カクレマショウ

やっぴBLOG

子曰ク。

2006-01-07 | └社会教育
仕事上、私が師とあおぐ方が環境系の講座の講師として来青。ゆっくりとはいきませんでしたが、久しぶりにお話ができました。それから講座の一部を聞くこともできました。

彼は、私たちが当然と思っていることを、さくっと別の角度から鮮やかに切り取って見せてくれます。当たり前だと思いこんでいたことがいとも簡単に否定されてしまう。その悔しさとその快感。「パートナーシップは対等が原則。しかし、特定の場面場面では対等でいられるかもしれないが、本当はとてもむずかしいこと。それは、みんな対等より対等じゃない方がラクだから。対等になると責任が生じるから、誰かに依存しているほうがラクに決まっている」。そんな一言一言に、思わず膝をたたきたくなる…。

正しいと思っていることをちょっと疑ってみる。ほんとにそうなのかなと疑問を投げかけてみる。なかなかできないものです。でも、彼には、それを忘れちゃ進歩はないよ、といつも教えられます。彼の話を聞くと、なんだかトクした気分になります。少しだけ自分が成長したような心地よさを感じるのです。

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2 コメント

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パートナーシップ (mim)
2006-01-30 16:11:03
「対等になると責任が生じるから、誰かに依存しているほうがラクに決まっている。」と言われ、一瞬クラクラするくらいのインパクトがありました。今、行政ではなにかと言うと「協働」が錦の御旗のように振りかざされ、協働でないと真の住民自治ではないようにされるけれど、改めて、そのベースの部分で、責任を押し付けているのではないか、本当の意味で行政と住民が対等な関係になっているのか、ということを考えなければならないのですね。

 社会教育の場面でも、現代的課題はこうなんんだ、市民はすべからくこのような講座を受けなければならない、而して地域にこのように還元すべきだ、とのたまう社会教育主事がいるのも事実です。

 先日の宇都宮の廣瀬先生の話もそうなんですが、私たちは常に別の視点から自らの考えを見直さなければならないな、と感じました。
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「協働」の陥穽ですね。 (やっぴ)
2006-02-18 01:32:59
mimさん、コメントありがとうございます。



責任の押しつけ、というのは行政が住民に対して、という意味ですね。社会教育行政の最大の役割は、住民の「自発性」をくすぐることだ、と私は思っています。「自発性」は待っていてもなかなか出てきませんから。そのうえで、初めてお互いの権利と責任が「自覚」されるのだと思っています。



ところで、廣瀬先生をご存知ということは…?
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