今年も、たくさんの同僚が行政から学校に異動になりました。
教員から行政(教育委員会)に入った人が学校に異動になることを、「戻る」という言い方をします。確かに元々は教員なのだから、元々いた「学校に戻る」には違いない。しかも、多くの場合は自分の意志とは関係なく、数年間は学校を離れさせられる羽目になっているわけで、とりもなおさず、それは「子どもたちと離れる」ということであり、子どもが好きで教員になった先生などは、学校が恋しくてたまらないという人もいますね。その気持ちもわかります。
でも、私は、「戻る」という言い方にとても違和感を覚えます。戻る、という言い方は、本来自分がいるべき場所に行く、ということですよね。ということは、今いる場所は、自分がいるはずのない場所ということ? そういう場所で、こんなところにいるはずじゃないよなあ思いながら仕事をするというのは、あまりにも「後ろ向き」すぎやしないでしょうか。
先日も、学校から教委に異動になったある先生が、「3年すれば教頭になって戻ってきますから」みたいなことを臆面もなく話していました。やれやれ。「戻る」ことを前提に仕事をしに行くのかい。それじゃ、偉くなるための「腰掛け」だと思われても仕方ない。だいいち、そんな心持ちじゃ、一緒に仕事をする行政職員に失礼ですよ。
長く行政に居すぎるからこんなことをいうわけじゃありませんが、少なくとも3年間は行政職員としてきちんと「前を向いて」仕事をしてほしい。学校に戻るとか戻りたいとか言うのは、それからにしてほしい。行く前から戻ることばかり考えているなんてもってのほかで、そういう人に、ろくな仕事ができるわけがない…と思いますけどね。
特に、社会教育の仕事をすることになった先生には、学校を地域の側から見るチャンスは滅多にないのだから、いろんな人を知って、いろんなことを貪欲に吸収してほしいなあと思います。学校に「戻った」としても、それはきっとものすごく生きると思うから。視点を変えて見るって、とても大切なことですね。
というわけで、明日からの私の仕事もそんな感じでいってみよ~!
教員から行政(教育委員会)に入った人が学校に異動になることを、「戻る」という言い方をします。確かに元々は教員なのだから、元々いた「学校に戻る」には違いない。しかも、多くの場合は自分の意志とは関係なく、数年間は学校を離れさせられる羽目になっているわけで、とりもなおさず、それは「子どもたちと離れる」ということであり、子どもが好きで教員になった先生などは、学校が恋しくてたまらないという人もいますね。その気持ちもわかります。
でも、私は、「戻る」という言い方にとても違和感を覚えます。戻る、という言い方は、本来自分がいるべき場所に行く、ということですよね。ということは、今いる場所は、自分がいるはずのない場所ということ? そういう場所で、こんなところにいるはずじゃないよなあ思いながら仕事をするというのは、あまりにも「後ろ向き」すぎやしないでしょうか。
先日も、学校から教委に異動になったある先生が、「3年すれば教頭になって戻ってきますから」みたいなことを臆面もなく話していました。やれやれ。「戻る」ことを前提に仕事をしに行くのかい。それじゃ、偉くなるための「腰掛け」だと思われても仕方ない。だいいち、そんな心持ちじゃ、一緒に仕事をする行政職員に失礼ですよ。
長く行政に居すぎるからこんなことをいうわけじゃありませんが、少なくとも3年間は行政職員としてきちんと「前を向いて」仕事をしてほしい。学校に戻るとか戻りたいとか言うのは、それからにしてほしい。行く前から戻ることばかり考えているなんてもってのほかで、そういう人に、ろくな仕事ができるわけがない…と思いますけどね。
特に、社会教育の仕事をすることになった先生には、学校を地域の側から見るチャンスは滅多にないのだから、いろんな人を知って、いろんなことを貪欲に吸収してほしいなあと思います。学校に「戻った」としても、それはきっとものすごく生きると思うから。視点を変えて見るって、とても大切なことですね。
というわけで、明日からの私の仕事もそんな感じでいってみよ~!
本日から新年度、それに伴ってある程度の期間、上記のようなやり取りがあった事、思い浮かびます。
確かに出る、戻るの表現は的確ではないかも知れません。が、教員と言う特殊な業務、つまりはっきりとした軸足を持つ職業であれば、軸以外の業務は副次的、と考えても致し方ないのでは?とも思います。
加えて言えば、世のほとんどの仕事において業務が単純かつ明確で、自己の明確な意思がなければその職業を全うします。最近になってキャリアアップなどと言い転職について寛容な風潮がありますが、実際には相変わらず生え抜き重用ですし転職する人間は腰が軽い、根がないとネガ評価が一般的です。たとえそれがジョブスキルの向上を伴っていても。
前向きに仕事をする姿勢はとても大切なことです。でも、その前向きとは駐車場の様に皆一様ではなく、人や職種によっては斜めや後ろに見えたりする物なのかもしれない、と考える事はできませんでしょうか?ねぇ??
私は、駐車場は出やすいよう、常に後ろ向きです(笑
前向き、後ろ向き、斜め向き?、人はいろいろあるでしょう。また、ニュートラルが良いという意見もあるかもしれません。
が、どんな人にも前向きの瞬間はあると思います。その時、人は堂々と胸を張っていいのだと思います。
教育界の方には、いつでも胸を張った姿を見せていて欲しいです。子ども達の為にも社会の為にも、それは大きな影響があると思います。
検索エンジンから辿り着きました。
ブログ記事、色々参考になりました。
私は、徳島県でUSPマエストロとして、
個人、又は企業の、
絶対的な強みを見つけるお手伝いや、
このようなセミナーを主催したりもしております。
http://www.musashi-jv.net/seminar/
是非、また寄らせてもらいます!
>私は、駐車場は出やすいよう、常に後ろ向きです
なるほど!
教員は確かに高い専門性が必要な職業ですが、だからこそ、「別の世界」を垣間見る機会がもっとあってもいいと思います。なんといっても、いずれ「社会」に出る子どもたちと毎日接する職業なのですから。
ま、軸足をどこに置くかは、確かにその人によりますが。
ありがとうございます。
そうですね。おっしゃるとおりだと思います。少なくとも、前向きに生きようとしている人たちの行き先を阻むような社会であってはいけないと思っています。ましてやそういう姿を決して子どもたちに見せてはいけないと思います。胸を張って生きることの尊さを大人がみんなで伝えていくことが大事ですよね。
サイトのぞかせていただき、徳島を舞台にした精力的なご活動に驚きました。さすが「一太郎」を生んだ徳島ですね。徳島ラーメンもおいしそうです。
ダンドリング、ダンドリスト、おもしろい言葉ですね!これからもよろしくお願いします。