あくまで想像ですが、たとえばフランス人で、アルコールそのものが全くダメという人を除いて、「ワインが飲めない」という大人はあまりいないんじゃないかと思います。酒を飲む、というよりワインは食事の一部として当たり前に存在する感覚ではないのでしょうか。
日本には、酒は飲めるけど日本酒だけはダメ、という人がいます。逆に、「日本酒もイケるクチ」とか「やっぱり酒は日本酒じゃなくちゃ」といった言い方もよく耳にします。どうも、日本における日本酒は、フランスにおけるワインとは根本からその意味が違うようです。
日本酒が飲めない、という人にその理由を聞くと、「(特に熱燗は)においをかいだだけでもうだめ」とか、「度数が強すぎていやだ」といった声が返ってきます。また、日本酒が好きな人でも、「日本酒飲むと悪酔いする」、「次の日まで残る」という話はよく聞きます。それはたぶん誤解だと思うのですが、要するに、日本酒は独特のにおいがするし、しかもアルコール度が高いので飲みにくい、ことになっているようです。
「におい」というより本来は「香り」と言うべきなのでしょう。残念なことに確かに鼻につんとくるような「におい」がする日本酒があります。ただ、「米」だけで作られた酒に、それほど「におい」があるものでしょうか。米は日本人が毎日口にする主食です。いくら発酵させているとはいえ、米は米なのです。たぶん、「嫌なにおい」があるとすれば、それは「清酒」に添加されている「醸造アルコール」のにおいなのではないでしょうか。
不思議でたまらないのは、「純米酒」という呼び方です。本来、日本酒はすべて「純米酒」のはずです。ワインとの比較でいえば、「純ブドウワイン」という言い方はあり得ませんね。ワインにブドウ以外のものを添加するなんて考えられないからです。ワインがブドウだけから作られるように、日本酒も米(と米麹)のみを原料として作られる酒であるはずなのに、あえて「純米酒」という区分けをするのはなぜなのでしょうか。
それは、「醸造アルコール」のせいです。醸造アルコールとは、工業的に精製したアルコールのことですが、「純米酒」以外の日本酒には、すべてこの醸造アルコールが添加されているのです。醸造アルコールを添加した日本酒が初めて登場したのは第二次大戦中です。酒造米不足のため、酒造業者が苦肉の策として醸造アルコールや糖類、水を加えて酒の量を増やしたのです。戦後の米不足の時期にも「アル添」は続きました。そして、その製法が現代まで引き継がれているのです…。
どちらがおいしいかと言ったら、醸造アルコールなど添加しない方がおいしいに決まっている。どちらが人間の身体にやさしいかと言ったら、これももちろん無添加の方に決まっています。全くおかしな話です。本当の「おいしさ」や質より、経済的な事情が優先されてきた日本の戦後を象徴するような話です。企業のエゴと従順な消費者。
「アルコール度が強すぎて飲みにくい」という声はもっともだと思います。16~17度もある酒をストレートで飲むのは、確かに酒に弱い人にとっては飲みにくい。『純米酒を極める』(上原浩、光文社新書)では、「割り水」を勧めています。つまり、日本酒を水で割って、度数を下げて飲むということです。
「日本酒はもともと原酒のままではなく、割り水をかけて飲むものだ。酒造家の方で割り水をかけて濃度を調整してから出荷しているのに、飲み手の方で割ってはいけないという理由はない。」
実に明快な考え方です。ただ、どんな日本酒でも割ればいいというものではなく、「基本的にアル添の酒はダメだ」そうです。酒の弱い人は、「純米酒」を水で割って飲む。そうすれば日本酒のおいしさに目覚めることができるかもしれません。
私自身もそれほど酒に強い方ではありませんが、「大吟醸」だろうが「特別本醸造」だろうが、「純米」でなければおいしいと思いませんし、そもそもなるべく口にしたくないと思っています。私が一番好きな日本酒は、南部杜氏の蔵元が作る「菊駒」の純米酒です。飲みつけているせいなのかもしれませんが、のっぺりと濃厚な味わいに、飲むたびにほっとする酒なのです。
日本には、酒は飲めるけど日本酒だけはダメ、という人がいます。逆に、「日本酒もイケるクチ」とか「やっぱり酒は日本酒じゃなくちゃ」といった言い方もよく耳にします。どうも、日本における日本酒は、フランスにおけるワインとは根本からその意味が違うようです。
日本酒が飲めない、という人にその理由を聞くと、「(特に熱燗は)においをかいだだけでもうだめ」とか、「度数が強すぎていやだ」といった声が返ってきます。また、日本酒が好きな人でも、「日本酒飲むと悪酔いする」、「次の日まで残る」という話はよく聞きます。それはたぶん誤解だと思うのですが、要するに、日本酒は独特のにおいがするし、しかもアルコール度が高いので飲みにくい、ことになっているようです。
「におい」というより本来は「香り」と言うべきなのでしょう。残念なことに確かに鼻につんとくるような「におい」がする日本酒があります。ただ、「米」だけで作られた酒に、それほど「におい」があるものでしょうか。米は日本人が毎日口にする主食です。いくら発酵させているとはいえ、米は米なのです。たぶん、「嫌なにおい」があるとすれば、それは「清酒」に添加されている「醸造アルコール」のにおいなのではないでしょうか。
不思議でたまらないのは、「純米酒」という呼び方です。本来、日本酒はすべて「純米酒」のはずです。ワインとの比較でいえば、「純ブドウワイン」という言い方はあり得ませんね。ワインにブドウ以外のものを添加するなんて考えられないからです。ワインがブドウだけから作られるように、日本酒も米(と米麹)のみを原料として作られる酒であるはずなのに、あえて「純米酒」という区分けをするのはなぜなのでしょうか。
それは、「醸造アルコール」のせいです。醸造アルコールとは、工業的に精製したアルコールのことですが、「純米酒」以外の日本酒には、すべてこの醸造アルコールが添加されているのです。醸造アルコールを添加した日本酒が初めて登場したのは第二次大戦中です。酒造米不足のため、酒造業者が苦肉の策として醸造アルコールや糖類、水を加えて酒の量を増やしたのです。戦後の米不足の時期にも「アル添」は続きました。そして、その製法が現代まで引き継がれているのです…。
どちらがおいしいかと言ったら、醸造アルコールなど添加しない方がおいしいに決まっている。どちらが人間の身体にやさしいかと言ったら、これももちろん無添加の方に決まっています。全くおかしな話です。本当の「おいしさ」や質より、経済的な事情が優先されてきた日本の戦後を象徴するような話です。企業のエゴと従順な消費者。
「アルコール度が強すぎて飲みにくい」という声はもっともだと思います。16~17度もある酒をストレートで飲むのは、確かに酒に弱い人にとっては飲みにくい。『純米酒を極める』(上原浩、光文社新書)では、「割り水」を勧めています。つまり、日本酒を水で割って、度数を下げて飲むということです。
「日本酒はもともと原酒のままではなく、割り水をかけて飲むものだ。酒造家の方で割り水をかけて濃度を調整してから出荷しているのに、飲み手の方で割ってはいけないという理由はない。」
実に明快な考え方です。ただ、どんな日本酒でも割ればいいというものではなく、「基本的にアル添の酒はダメだ」そうです。酒の弱い人は、「純米酒」を水で割って飲む。そうすれば日本酒のおいしさに目覚めることができるかもしれません。
私自身もそれほど酒に強い方ではありませんが、「大吟醸」だろうが「特別本醸造」だろうが、「純米」でなければおいしいと思いませんし、そもそもなるべく口にしたくないと思っています。私が一番好きな日本酒は、南部杜氏の蔵元が作る「菊駒」の純米酒です。飲みつけているせいなのかもしれませんが、のっぺりと濃厚な味わいに、飲むたびにほっとする酒なのです。
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