常田健(1910-2002)という画家は、青森県旧浪岡町(現在は青森市)の生まれで、生涯のほとんどを生まれ育った土地で暮らしました。りんご畑に囲まれた自宅の土蔵をアトリエに改造して、バッハを聴きながら、地元の農民たちの日常の姿を描きました。彼は、「人に見せるため」とか、「売るため」に絵を描いたのではありません。おそらく、描きたいから描く、それがすべてだったのではないのか。
彼の最晩年に、中央の画壇がようやく彼の絵に目を留めました。1999年、東京・銀座の画廊のスタッフが彼のアトリエに何度も足を運び、おびただしい数の彼の作品を「発見」した…。個展が開かれ、常田健は一躍全国に名を知られるようになります。
彼はこんなことを言っていたそうです。「中央の画壇の絵は、よく知らないし、知ろうとしないからだが、近年見た展覧会はがっかりした。全部同じ調子で、生き生きとした絵が一枚もなかったよ。できるかぎりきれいに描いているだけで、そのきれいさは、誰かのきれいさをそっくりそのまま持ってきているだけで……。そういうものを見ていると嫌気がさしてくるなあ。」(『常田健展』<2000年>図録掲載の立松和平「常田健─あまりにも率直な祈り」より)
もちろん、「原語」は津軽弁で語られたのでしょうが、こういうことを平気で言えるところが常田健らしいところです。彼が中央画壇で見いだせなかった「生き生きとした絵」を、彼は何百枚も描いているのですから。
彼の作品を常設展示している唯一の美術館が、浪岡の「土蔵のアトリエ美術館」です。300点余りの作品の中から、30点ほどを展示している小さな美術館。基本的に、夏期は木曜日から日曜日まで、冬期間は週末のみの開館(2月は閉館)。
作品数は少ないですが、その分一つ一つの作品をじっくり見ることができるし、何より、じっくり見たいと思わせる力がすべての絵にみなぎっています。一応、制作された年代順に展示されていますが、中には、制作年代が入っていないものや、「1970年代」というように、いつ描かれた作品なのかわからないものもあります。「売るため」ではないので、「いつかまた手を加えて完成させる」ために、彼自身、絵に年代を入れていないのだそうです。
また、作品のほかにも、彼が晩年に持ち歩いていたスケッチブックや、落書き帳のようなノートなど、実際に手にとってめくってみることができるのもうれしい。
作品を見たあとで、小さなソファとテーブルの置かれた小部屋で、1杯100円のコーヒーを自分で淹れ、1999年にNHK-BSで放送されたらしいドキュメンタリー(「常田健・土から生まれた150枚」)を見る。番組内で出てきた絵を見て、ふとギャラリーに入り、もう一度作品を見る。あるいは、彼の著書を斜め読みして、ある絵についての解説が出てくとると、またギャラリーへ…。美術館に行っても、なぜだか時間に追われるように見ることの多い私にとっては、至福のひとときでした。
窓の外には、たわわに実ったリンゴの木が見えます。美術館を出て、そのリンゴ畑の中を進むと、彼の土蔵アトリエがありました。中に入ると、静かにバッハが流れていました。主のいないアトリエで、彼の遺したおびただしい作品だけが、ひっそりと息づいていました。
彼の最晩年に、中央の画壇がようやく彼の絵に目を留めました。1999年、東京・銀座の画廊のスタッフが彼のアトリエに何度も足を運び、おびただしい数の彼の作品を「発見」した…。個展が開かれ、常田健は一躍全国に名を知られるようになります。
彼はこんなことを言っていたそうです。「中央の画壇の絵は、よく知らないし、知ろうとしないからだが、近年見た展覧会はがっかりした。全部同じ調子で、生き生きとした絵が一枚もなかったよ。できるかぎりきれいに描いているだけで、そのきれいさは、誰かのきれいさをそっくりそのまま持ってきているだけで……。そういうものを見ていると嫌気がさしてくるなあ。」(『常田健展』<2000年>図録掲載の立松和平「常田健─あまりにも率直な祈り」より)
もちろん、「原語」は津軽弁で語られたのでしょうが、こういうことを平気で言えるところが常田健らしいところです。彼が中央画壇で見いだせなかった「生き生きとした絵」を、彼は何百枚も描いているのですから。
彼の作品を常設展示している唯一の美術館が、浪岡の「土蔵のアトリエ美術館」です。300点余りの作品の中から、30点ほどを展示している小さな美術館。基本的に、夏期は木曜日から日曜日まで、冬期間は週末のみの開館(2月は閉館)。
作品数は少ないですが、その分一つ一つの作品をじっくり見ることができるし、何より、じっくり見たいと思わせる力がすべての絵にみなぎっています。一応、制作された年代順に展示されていますが、中には、制作年代が入っていないものや、「1970年代」というように、いつ描かれた作品なのかわからないものもあります。「売るため」ではないので、「いつかまた手を加えて完成させる」ために、彼自身、絵に年代を入れていないのだそうです。
また、作品のほかにも、彼が晩年に持ち歩いていたスケッチブックや、落書き帳のようなノートなど、実際に手にとってめくってみることができるのもうれしい。
作品を見たあとで、小さなソファとテーブルの置かれた小部屋で、1杯100円のコーヒーを自分で淹れ、1999年にNHK-BSで放送されたらしいドキュメンタリー(「常田健・土から生まれた150枚」)を見る。番組内で出てきた絵を見て、ふとギャラリーに入り、もう一度作品を見る。あるいは、彼の著書を斜め読みして、ある絵についての解説が出てくとると、またギャラリーへ…。美術館に行っても、なぜだか時間に追われるように見ることの多い私にとっては、至福のひとときでした。
窓の外には、たわわに実ったリンゴの木が見えます。美術館を出て、そのリンゴ畑の中を進むと、彼の土蔵アトリエがありました。中に入ると、静かにバッハが流れていました。主のいないアトリエで、彼の遺したおびただしい作品だけが、ひっそりと息づいていました。