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カクレマショウ

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「時計じかけのオレンジ」その2─「ウルトラ・バイオレンス」の世界

2005-08-31 | ■映画
「暴力」(悪)を人間は嫌いますが、それをキューブリックは「偽善」だと言います。みんな暴力に惹かれているというのが実情だ、と。「この地球でもっとも無慈悲な殺し屋は人類なのだ。私たちの暴力に対する関心は、潜在的なレベルでは遠い祖先と大差ないことを示唆している」(『ニューズウィーク誌』のインタビューに答えて/『映画監督スタンリー・キューブリック』より)。

ところで、この映画を見て、その暴力性に刺激を受け、自ら暴力を行使してしまった人間もやっぱりいるのです。1972年、アーサー・ブレマーという男は、大統領候補ジョージ・ウォレスの暗殺を図り、逮捕されました。ブレマーの書いていた日記に「時計じかけのオレンジ」が出てきます。「『時計じかけのオレンジ』を見て、ずっとウォレスを殺すことを考えていた」と。

そして、この「ブレマーの日記」をベースにして作られたのが「タクシードライバー」(ポール・シュレーダー脚本、マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演、1976年)なのです。デ・ニーロ演ずるトラヴィスは、汚れきった世の中を自分がクリーンにしてやるとうそぶき、大統領候補を拳銃で狙う。彼が救い出す13歳の売春婦アイリスを演じたのはジョディ・フォスターでしたが、この映画を繰り返し見て、彼女に偏執的な憧れを抱いたのがジョン・ヒンクリーという男でした。ヒンクリーは、彼女をストーカー的に追い回し、挙げ句の果て、彼女と「同等」になりたいとの思いから、歴史上に名前を残すために大統領襲撃を企てる。1981年3月30日のレーガン大統領暗殺未遂事件です。

「時計じかけのオレンジ」からブレマーへ。ブレマーから「タクシードライバー」へ。「タクシードライバー」からヒンクリーへ。映画という虚構の世界から、現実世界へ。そして再び虚構の世界から現実世界へ。この一連の流れのベースには「暴力」というキーワードが横たわっています。アレックスも、ブレマーも、トラヴィスも、ヒンクリーも、「暴力」でしか自分を表現できなかった。

暴力とは、人間の持つ「エゴイズム」がもっとも醜い形で表れたものと言えます。しかし、人間はそれを自ら「押さえ込む」ことができる動物でもあります。

キューブリックは、「ウルトラ・バイオレンス」に酔う人間を描き、そしてそれを外からの力で無理矢理押さえ込んで得意げになっている人間たちを描く。暴力を選ぶか選ばないか、それは本来、個人が持つ権利のはずです。他者によってその権利を奪われること、それがいかに人間の本来の姿とかけ離れているかということを、「時計じかけのオレンジ」は考えさせてくれます。

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