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カクレマショウ

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「呼ばれたい名前」と「さん付け運動」

2008-03-16 | ■教育
他人からどのように呼ばれるか。コミュニケーションの中で、それはとても大切なことです。もちろん相手によって呼ばれ方は違うだろうし、呼ばれてうれしい呼ばれ方もあるし、逆に「あなたにそんな呼ばれ方される覚えはない」とひそかに思うこともあるでしょう。あるいは、名前で呼ばれるか肩書きで呼ばれるか。「先生」という敬称については以前書いたことがありました。

立場を逆転させれば、相手をどう呼ぶか、ということに頭を悩ませることもよくありますね。こちらは親しみを込めて呼びたいと思っても、相手に違和感を持たれたらいやだなとか。「アヒルと鴨のコインロッカー」(伊坂幸太郎)では、初対面の相手に、「"さん"はいらない。その方が親しい感じがするだろ」といきなり呼び捨てで話をする場面があります。よく知らない相手を呼び捨てにするというのはけっこうなパワーがいる作業ですが、確かに、あえて「さん」ナシで会話をすると、それなりに「親しく」感じられたりするのかもしれません。

大人のワークショップでは、まず最初に「自分が呼ばれたい名前」を名札に書く、というところから始めることも多い。この数時間だけは、その名前で呼び合うというルールを決めてしまうのです。「自分が呼ばれたい名前」となるとけっこうこれも悩んだりする。でも、そんなに深く考える必要はないわけで、それはあくまでも「ワークショップの参加者」に呼ばれたい名前なので、別にふつうに苗字でもかまわない。無理して「みきティ(ハートマーク)」とか「よしっぺ」とかにされても、呼ぶ方に恥ずかしい思いをさせたりしたら元も子もない。

でも、「呼ばれたい名前」というのは実はとても重要で、その名前で呼んであげるということは、あなたを認めていますよ、というしるしにほかならない。

最近の小学校では、「さん付け運動」を展開するところが多いのだそうですね(2008年3月13日付け日本経済新聞)。つまり、先生が子どもを呼ぶときはもちろん、子どもどうしも「さん」を付けて呼び合うように指導しているということ。男子でも「たけしさん」。なんだかちょっと気持ちが悪い。男子が男子を「たけしさん」なんて、それはさすがにないだろうとは思いますが、それでも「くん」付けはするようにしているのでしょうね。

「さん付け」が蔓延(?)すると、確実に消えていくのが「あだ名」です。あだ名には2種類あると思います。呼ばれたいあだ名と呼ばれたくないあだ名。前者をニックネーム、なんて言い方をする場合もありますね。あるいは、別の切り方をすれば、面と向かって言えるあだ名と言えないあだ名。後者は、先生につけるあだ名だったりします。友だちどうしでも、陰口をたたく時に使われるあだ名が後者です。

そう、この「さん付け運動」の背景にあるのは、いじめの問題なのだとか。面と向かって言えないあだ名のはずが、堂々と本人の目の前で言ってしまうのがいじめ。それはほとんどが「容姿」からくるあだ名です。

さん付け運動を展開している学校の校長先生の話が新聞では紹介されていますが、「学校はフォーマルな場。けじめを教えるために行っている」、「相手に優しい会話になる。呼び掛けに続く言葉遣いも丁寧になる」。…う~ん。ほんとにそうだろうか??

いじめの原因になるからあだ名をつけさせたくない→だから「さん付け」推奨、では、何も解決しないのではと思うのですが。何か、根本的な問題先送り、のような気がしてならない。「さん」をつけたからといって、本当に「相手に優しい会話」ができるようになるものでしょうか?私にはそうは思えない。「けじめ」と言うならば、相手がいやなあだ名はつけない、言わないということを教える方がよっぽど「けじめ」だと思うのですが。

子どもたちって、けっこうあだ名を付け合うことで親しくなっていくものでしょう。それを一概に「○○さん」と呼ぶように強制していたのでは、親しくなる芽さえつみ取ってしまうことにもならないか。ただでさえ、学校以外では一緒に遊ぶことが少なくなっている子どもたちの関係。上手に相手の特徴をとらえてあだ名を付け合う、そしてそれをお互いが認めて、呼び合うことで「濃い」人間関係が築き上げられていくのではないでしょうか。

「ちびまる子ちゃん」のクラスみたいに、お互いが気兼ねなくあだ名で呼び合い、ある時は呼び捨ても通じて、もちろん「花輪クン」とか「関口さん」、「みぎわさん」というふうに、くん・さん付けも自然に存在する、という形が理想的なのかもしれません。



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