カクレマショウ

やっぴBLOG

若者とチャレンジ

2006-05-27 | └キャリア教育
リクルート社発行の雑誌「キャリアガイダンス」2006年5月号のテーマは「若者の「自立」を考える 親離れ・子離れの最新事情」。

ニート支援の活動を展開しているNPO法人ニュースタート事務局代表の二神能基さんが、「若者の自立」についてこんなことを語っています。

「よく「やりたいことをやりなさい」と、子どもの意志を尊重する親御さんがいますが、その寛容さがむしろ若者たちにはプレッシャー、ストレスとなるケースも多いです。過保護に育てられ、自主性が育まれていない中、進路選択の段になった途端「好きにしなさい」。すると、子どもは「親は理解があるのに、自分のやりたいことが見つからない」と劣等感を抱いてしまうわけです。こんな風に、彼らは自立という言葉に縛られ、概念に脅迫され続けている。その結果、脱社会的な生き方をせざるを得なくなってしまっている。」

自立すべきなのは、子どもではなくて、むしろ親(大人)の方のようです。自立しなさい、と言いながら、実は「子どもの足首をつかんで離さない」親。まじめでハメを外せない(ハメを外すことを許されてこなかった)な子どもほど、親の期待に負い目を感じてしまう傾向が強いのかもしれません。

二神さんのNPOでは、「希望長屋」という寮つきの人材派遣会社をこの4月から始めているそうです。ニートの若者が働きながら生活を共にできるシステムです。この取組のねらいについては、

「コミュニケーション能力は重要ですが、それだけではないだろうというのが我々の考えです。彼らの頑張りの元になるのは、自身の能力よりもむしろ、人とのつながり感なのではないかと。ダメな時でも戻ってこられる場所がある、互いに迷惑をかけあいながらも、助け合っていく仲間がいるという実感が、彼らの心を強くし、社会へ出ていく“一歩”につながっていくと考えています。」

と語っています。「ダメでも戻ってこられる場」は、本当は「家庭」なのでしょうが、子どもの自立を妨げるだけの家庭は、彼らにとってはもはや「戻ってはいけない場」なのかもしれません。そういう場を人為的に作ってあげなければならない社会、というのもなんだか淋しい話です。

二神さんは、しかし、ニートと呼ばれる若者たちの多くは「世の中のためになる仕事に就きたい」、「人が喜ぶ仕事がしたい」と考えていると言います。決してお金が欲しいだけではない。「ニート対策」というものがもし必要だとすれば、そのあたりにヒントがありそうな気がしています。実際、青森にも「ボランティア」をキーとして、ひきこもりの若者と社会との接点を探ろうという実践をしている団体があります。

同じ号で、「人は何のために働くのか」というテーマで、4人の識者のインタビューも掲載されています。その中で、幸せ教育研究所所長の中山治さんが、若者は「安らぎ型」ではなく「チャレンジ型」の人生をめざそうというメッセージを投げかけています。

これからの教育のキーワードは「幸せづくり」であり、それは「チャレンジ型」と「安らぎ型」に分けられると中山氏は語ります。「安らぎ型」とは、「競争からは距離を置き、心の安らぎに幸せを見いだす生き方」。平凡につつましく、ということです。「若者がはじめから平凡をめざすと、「平凡以下」になる危険性がきわめて高くなる」から、若者には「チャレンジ型」を選択してほしいというわけです。

同じインタビューで、サッカー解説者の中西哲生さんは、Jリーガーとしての経験から、「いくら努力してもかなわない夢があること」を学んだ、と言います。「そこで9年間やってきたお陰で「これだけ頑張れば、いつかはこんな見返りがある」と期待することはなくなった」と。

若者と大人の一番大きな違い。それは、若者にはたくさんの可能性があるということでしょうか。
夢を持つこと、そして自分の可能性に挑み続けること。それは若者の特権かもしれません。ただ、ニートに限らず、チャレンジしたくてもできなくてまごまごしている若者もたくさんいます。そういう若者の背中を押してあげることこそ、、大人の責任と言えるでしょう。でも、押し方には十分注意したい。思い切りどーんと押していい人、そっと押した方がいい人、時間をかけて少しずつ押した方がいい人、いろいろですから。


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