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青函連絡船─開業100年、廃止から20年。

2008-03-07 | ■青森県
1988年3月13日に運航を終えた青函連絡船。もうあれから20年にもなるのですね。今の高校生や中学生は連絡船を完全に知らない世代なのか。やっぱり一昔が過ぎたんだなと思います。

青函連絡船が開業したのは1908年3月7日。つまり今日が開業してちょうど100年目に当たります。これを記念して、現在残っている3隻の連絡船(青森市の八甲田丸、函館市の摩周丸、東京・お台場の羊蹄丸)が、今日午前10:00を合図に一斉に汽笛を鳴らしたのだそうです。もう亡くなってしまった人の「生誕100年」みたいなもので、これはそれほど意味がない。むしろ、青函連絡船が廃止されてからの20年をたどる方が大事でしょう。

私が初めて青函連絡船に乗ったのは、小学校の修学旅行です。函館までの一泊二日。朝早く学校を出て、東北本線を青森まで行って、そこから連絡船に乗る。もちろん、最大のお目当ては記念メダル。当時としてはけっこう高かったような覚えがありますが、自分で名前とか日付を刻印できる機械が置いてあって、一字一字がしゃんがしゃんと打ち込んだ、あの感触は今でも覚えています。その時の船が羊蹄丸だったことは、もちろん忘れようもありません。ついでに言えば、帰りの船は摩周丸でした。時刻表には船の名前まで書いてないので、乗船するまでどの船かわからないので、いったい何丸に乗れるのか、それも大きな楽しみだったのです。

大人になってからは、職場で年末にニセコにスキーに行く時に連絡船にお世話になりました。夜11時頃に桟橋に集合して、午前0時過ぎの連絡船に乗り込みます。20~30人くらいの大人数なので、スキーやブーツは1箇所にまとめて置いてもらい、二等席の一マスを確保するために乗船したらいきなり何人かで輪になってトランプを始めたものです。今考えると、着くまで大貧民やってるのですから、迷惑な団体客です。朝4時頃に函館に着いて、薄暗い中、そこからは貸切バスでニセコに向かう。さすがにバスではみんな寝てました。

帰りは、夕方に函館を発って夜11時頃に着く便でした。帰りのお楽しみは、食堂で食べる海峡ラーメン。誰かが必ずやる船長役(船長服を貸してくれるのです)。むしろ帰りの方がみんな元気で、手品は始まるわ、なぜか柔軟体操ははじまるわ、ドラマ?の撮影は行われるわで、大騒ぎ。

それから、儀式のように行われていたデッキでのレモン投げ。ニセコの宿で毎晩繰り広げられる「ミカン」投げゲーム(本当はレモンを使うのに、なぜか慣習的にミカン投げと呼ばれていた)、要するにレモンをつかめなかった人が罰を食らうというたわいもないゲームなのですが、連絡船の上でその「締め」の儀式をするわけです。来年も良い年になりますようにと願いながら、最後にレモンを津軽海峡に放り投げる…。

ニセコ・スキー・ツアーで最後に連絡船に乗った時には、ビデオで船内の思い出の場所をくまなく撮影し、本編のスキー編とは別に、連絡船特集編を作成したものでした。

連絡船が廃止されたのは、もちろん青函トンネルが開通したからで、スキーツアーも一度だけ列車でトンネルをくぐって行ったことがありました。時間的には函館までの時間がほぼ半分の2時間に短縮されましたが、やっぱり船の方がいいよね、ということで翌年からはフェリーを使っていました。ただ、広いデッキはないわ、海峡ラーメンも食べられないわで、やっぱり乗り慣れた連絡船の「あずましさ」とどうしても比較してしまう。

昨年東日本フェリーが就航させた高速フェリー「ナッチャン レラ」は、なんと連絡船の半分、列車とほぼ同じ時間で函館まで行ってしまいます。2015年にはいよいよ新幹線が北海道まで開通して、青森─函館間はなんと34分で結ばれてしまうとかで、それに対抗するために先手を打ったのでしょう。

今はもうニセコ・スキーツアーも消滅してしまいましたが、もし「ナッチャン レラ」で行くとしたら、「団体行事」はおろか、トランプさえできないでしょうね。みんな押し黙ったまま船に乗って、それぞれ好きな過ごし方をして、船を降りる。…しかし、それは少し寂しい。

連絡船がなくなって、確かに移動時間は短縮されたかもしれませんが、きっと何か大事なものを置き忘れてきているのです。青函トンネルは、確かに「世紀の大事業」だし、小学校の頃、青函トンネルのことを調べ断面模型までつくった私にとってはかなり青函トンネルへの思い入れは深いのですが、やっぱり本州と北海道は船で渡るべきだと今でも思います。速くなくてもいい。ゆっくりと津軽海峡の景色を楽しみながら。左手に竜飛岬、右手に仏ヶ浦。夏はデッキからイルカを見なくちゃいけない。函館山がだんだん近づいてくるのもわくわくするし、函館ドックの赤白のゲートを見つける楽しみもある。もちろん冬景色は冬景色で、寒いけど雪の舞う津軽海峡も情緒がある。

「津軽海峡冬景色」で「北に帰る人の群れは誰も無口で」とあるけれど、連絡船の中は誰も無口じゃなかった。4時間の船旅の中には、いろんな、あったかい会話がありました。

 

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