検索してみたら、2005年の10月に、八戸のみろく横丁のことを書いてありました。あれから八戸で飲むことがあると、そのたびに毎回みろく横丁に通っています。最近も、続けざまに行く機会があって、楽しいひとときを過ごすことができました。
みろく横丁に行くと、まず楽しいのは、ぶらぶら横丁を行きつ戻りつしながら、軒を連ねる20何軒かの店の中から、どこに入ろうかと思案しながら選べること。どの店も10席程度しかないので、ガラス越しに席が空いているかを確認しながら、その日の気分で店を決める。経験上、はしごをするとしても、1軒目の店に結局一番長居してしまうことが分かっているので、1軒目の選び方は極めて大事。慎重に選んでいるつもりで、結局は、店から「どうぞいらっしゃい!」とタイミングよく声がかかってつい誘い込まれることも何度もありますけどね。
2軒目になると、おでんが食べたいと決め打ちでのれんをくぐることもありますが、だいたいは、1軒目を決めるときに迷った店に行くことが多い。3軒目くらいになると、もうずいぶん酔っぱらっているので、通りかかった店で「ちょうどお二人分、席取ってありますよー」なんておねえさんから声を掛けられたら、まず間違いなくふらふらと入ってしまう。でも、不思議なことにそういう店ほど雰囲気が良かったりします。で、またぐいぐい酒が進んでしまうというわけで(^_^;)。
ところで、みろく横丁の店は、2年くらいで入れ替わっていくのですが、現在のラインナップも、琉球料理ありギョーザの店あり寿司店ありとバリエーション豊かです。ただ、私がちょっと残念に思っているのは、「魚の炭火焼き」の店が少なくなってしまったなあということ。今はかろうじて1軒だけのようです(未確認)。しかも、その店も、真ん中に据えられた炭火とカウンターの間はアクリル板で仕切られている…。いろいろな配慮があるのでしょうが、目の前で串に刺した魚を焼いてもらって食べるのに、この透明な板はちょっと邪魔かなあと思いました。いや、焼いてもらったメロ(ムツ)は最高に美味だったのですが。
それはともかく、みろく横丁の居心地の良さの最大の理由は、コの字型の狭いカウンターで、たまたま居合わせたほかのお客さんとごく自然に当たり前のように会話が弾むということです。この前も、奥さん連れで飲んでいた人と「菊駒」の話で盛り上がって、話をしているうちに、高校の1年後輩だということが判明してますます盛り上がったり、カウンターの向かいの席で一人で飲んでいたおじさんが、店の人にリクエストしてスマートフォンで懐かしい歌を次々とかけてもらっていて(YOUTUBEで検索しているらしい。便利といえばつくづく便利な世の中です…)、そんな歌選びで意気投合してみたり。「微笑がえし」とか「異邦人」とか「精霊流し」とか、杯を傾けながら、幸せそうな顔をして聴いているのを見ると、こっちまでうれしくなってしまう。まあ、最後には「もみじ」とか「里の秋」とか文部省唱歌まで飛び出したのには笑ってしまいましたけど!
まあ、こんな出会いって、「普通の」居酒屋でもないことはないけれど、みろく横丁ほどの頻度ではない。私は、一人で行こうが何人で行こうが、見知らぬほかのお客さんと会話しなかったことはまずありません。地元の人もいれば、東京の人もいました。店主が話をつなげてくれることもあるし、それぞれの仲間で話していることが耳に入って、そこから会話が弾むこともあります。いずれにしても、全く「構える」ことなく知らない人と話ができる、貴重な空間です。私にとって、大事な「居場所」の一つであることは間違いありません。
八戸という町は、もともとつながりとか人情を大事にするところですが、そういう良さが、みろく横丁に凝縮されているのかもしれません。よそから来た人に対しても、本当に優しい。前に会った若いサラリーマンは、東京から日帰りで八戸に出張すると、仕事を終えて最終の新幹線までの時間、必ずみろく横丁で過ごすんですと言っていました。電車のぎりぎりの時間まで横丁にいて、名残惜しそうにタクシーに飛び乗って帰っていったっけ。そういうのって、とてもうれしいですよね。
先日は、石巻から来たという被災者のご夫婦と隣り合って、短い時間でしたが、避難所の話などうかがいました。大変な目に遭われたはずなのに、みろく横丁ではとてもいい笑顔をされていたのが印象的でした。
また何度でも行きたい。温かな癒しの空間、みろく横丁。
みろく横丁に行くと、まず楽しいのは、ぶらぶら横丁を行きつ戻りつしながら、軒を連ねる20何軒かの店の中から、どこに入ろうかと思案しながら選べること。どの店も10席程度しかないので、ガラス越しに席が空いているかを確認しながら、その日の気分で店を決める。経験上、はしごをするとしても、1軒目の店に結局一番長居してしまうことが分かっているので、1軒目の選び方は極めて大事。慎重に選んでいるつもりで、結局は、店から「どうぞいらっしゃい!」とタイミングよく声がかかってつい誘い込まれることも何度もありますけどね。
2軒目になると、おでんが食べたいと決め打ちでのれんをくぐることもありますが、だいたいは、1軒目を決めるときに迷った店に行くことが多い。3軒目くらいになると、もうずいぶん酔っぱらっているので、通りかかった店で「ちょうどお二人分、席取ってありますよー」なんておねえさんから声を掛けられたら、まず間違いなくふらふらと入ってしまう。でも、不思議なことにそういう店ほど雰囲気が良かったりします。で、またぐいぐい酒が進んでしまうというわけで(^_^;)。
ところで、みろく横丁の店は、2年くらいで入れ替わっていくのですが、現在のラインナップも、琉球料理ありギョーザの店あり寿司店ありとバリエーション豊かです。ただ、私がちょっと残念に思っているのは、「魚の炭火焼き」の店が少なくなってしまったなあということ。今はかろうじて1軒だけのようです(未確認)。しかも、その店も、真ん中に据えられた炭火とカウンターの間はアクリル板で仕切られている…。いろいろな配慮があるのでしょうが、目の前で串に刺した魚を焼いてもらって食べるのに、この透明な板はちょっと邪魔かなあと思いました。いや、焼いてもらったメロ(ムツ)は最高に美味だったのですが。
それはともかく、みろく横丁の居心地の良さの最大の理由は、コの字型の狭いカウンターで、たまたま居合わせたほかのお客さんとごく自然に当たり前のように会話が弾むということです。この前も、奥さん連れで飲んでいた人と「菊駒」の話で盛り上がって、話をしているうちに、高校の1年後輩だということが判明してますます盛り上がったり、カウンターの向かいの席で一人で飲んでいたおじさんが、店の人にリクエストしてスマートフォンで懐かしい歌を次々とかけてもらっていて(YOUTUBEで検索しているらしい。便利といえばつくづく便利な世の中です…)、そんな歌選びで意気投合してみたり。「微笑がえし」とか「異邦人」とか「精霊流し」とか、杯を傾けながら、幸せそうな顔をして聴いているのを見ると、こっちまでうれしくなってしまう。まあ、最後には「もみじ」とか「里の秋」とか文部省唱歌まで飛び出したのには笑ってしまいましたけど!
まあ、こんな出会いって、「普通の」居酒屋でもないことはないけれど、みろく横丁ほどの頻度ではない。私は、一人で行こうが何人で行こうが、見知らぬほかのお客さんと会話しなかったことはまずありません。地元の人もいれば、東京の人もいました。店主が話をつなげてくれることもあるし、それぞれの仲間で話していることが耳に入って、そこから会話が弾むこともあります。いずれにしても、全く「構える」ことなく知らない人と話ができる、貴重な空間です。私にとって、大事な「居場所」の一つであることは間違いありません。
八戸という町は、もともとつながりとか人情を大事にするところですが、そういう良さが、みろく横丁に凝縮されているのかもしれません。よそから来た人に対しても、本当に優しい。前に会った若いサラリーマンは、東京から日帰りで八戸に出張すると、仕事を終えて最終の新幹線までの時間、必ずみろく横丁で過ごすんですと言っていました。電車のぎりぎりの時間まで横丁にいて、名残惜しそうにタクシーに飛び乗って帰っていったっけ。そういうのって、とてもうれしいですよね。
先日は、石巻から来たという被災者のご夫婦と隣り合って、短い時間でしたが、避難所の話などうかがいました。大変な目に遭われたはずなのに、みろく横丁ではとてもいい笑顔をされていたのが印象的でした。
また何度でも行きたい。温かな癒しの空間、みろく横丁。
いいですね。行ってみたいです。
「吉田類の酒場放浪記」というBSの番組に出てきそうな感じがしました。
ぜひみろく横丁、行ってみてくださいね。で、自分だけの店、見つけてみてください。