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「ホテル・ルワンダ」その1─フツとツチ

2007-01-24 | └歴史映画
■ルワンダとは?

ルワンダ共和国Republic of Rwandaは、アフリカのほぼ中央部、西隣がコンゴ、北隣はウガンダと、民族対立やら内戦やらで長く紛争が続いた、きな臭い一帯のど真ん中に位置しています。ルワンダとは、「大きな国」という意味らしい。面積は北海道の約3分の1、人口は約900万人です。「ルムンバの叫び」という映画は、コンゴの内戦を描いたものですが、そちらでもルワンダの内戦のことが少し触れられていたことを思い出しました。



昨年11月、ルワンダ共和国のカガメ大統領が来日し、就任したばかりの安倍首相との首脳会談を行っています。かつての内戦、そして大量虐殺を乗り越え、「平和の定着」に尽力している同大統領の手腕は、国際的にも高く評価されているようです。内戦の原因となった部族間の対立問題から汚職禁止まで、ルワンダは彼のもとで変わりつつあるように見えます。

この映画で描かれている1994年の「ルワンダ大虐殺」から10年以上が経過しています。しかし、ルワンダで本当に「平和の定着」が可能なのか? そのことを深く考えさせられる映画です。

■ルワンダの歴史を端折る

この映画、青森市では公開する劇場がなく、JICA(国際協力機構)が11月に市内で上映会を開催したのですが、運悪くそれにも行けず、DVDでようやく見ることができました。

冒頭、ラジオのアナウンスが流れます。

「ルワンダはフツの国/ツチは植民地支配に協力し、フツ族の土地を奪い、搾取した/今その反乱軍が帰ってきた/我々はルワンダ愛国戦線(RPF)の反乱軍どもを一掃する/油断するな。隣人を監視しろ」

この映画の基本は、フツ族とツチ族の果てしない争いにあります。しかし、この両部族の争いは、実は「仕組まれた」ものだったのです。

主人公は、ルワンダの首都キガリのホテルの支配人として働くポール・ルセナバギナ(ドン・チードル)。フツ族です。ラジオの声に続く、彼が部下(ツチ族)の運転するバンで町を走るシーンで、当時(1994年)のルワンダが置かれている状況が点描されていきます。

17世紀に建国されたルワンダ王国は、19世紀末、ドイツの植民地となりました。第一次世界大戦のドイツ敗戦により、ルワンダを含むドイツ領東アフリカは、隣のコンゴを支配していたベルギーの信託統治領となります。ルワンダが独立を果たすのは、他のほとんどのアフリカ諸国同様、第二次世界大戦後のことです(1962年)。

ルワンダは、もともと様々な部族が混在する国でしたが、19世紀以降、農耕を主な生業とするフツ族と牧畜を主とするツチ族の2大部族に収束していきます。当初は、人口的には少数派のツチ族がドイツの後ろ盾を得たこともあって優勢でした。それでも、両部族にはそもそもそれほどの文化や習慣の違いがあるはずもなく、ごく友好的に生活をしていたのです。

ところが、新たにルワンダの支配者となったベルギーは、統治策として、この2つの部族の分断を図ります。「分割して統治せよ」というのは、ごく普通の方法としてあちらこちらの植民地支配で見られました(英国によるインド支配も、ヒンドゥーとイスラムの対立を利用して行われたように)。ベルギーは、外見上ほとんど区別が難しい両部族の特徴をあえて作り出し、「よりヨーロッパ人の容貌に近い」ツチ族を政治的・社会的・経済的に優遇する措置をとりました。これがフツ族にとっておもしろいはずがありません。子どもたちにはお互いの部族を悪しざまに罵るような教育が行われ、いつしか両部族は憎み合う関係になっていったのでした。

独立をめぐる戦いにおいても、宗主国ベルギーの思惑がルワンダを左右します。国連の圧力もあり、ベルギーはルワンダに民主的な政府を作ろうとしますが、伝統に固執するツチの支配者たちがこれに反発したため、ベルギーはさっさとフツ族に乗り換えてしまいます。要するにベルギーにとっては、「どっちでもよかった」わけですね。で、1962年に独立を果たしたときには、ルワンダにはフツ族の政権ができていたというわけです。

■フツとツチ=津軽と南部(?)

フツ族とツチ族。言語も宗教も風習も同じ、お互いの結婚も普通に行われていた二つの「部族」が争うようになったのは、ヨーロッパ人がけしかけたからにほかなりません。そもそもフツとツチは「部族」ですらない。現在は、そのことを明確にするために、公式文書では「~族」という呼称をしないことになっているくらいです。

青森県でいえば、「津軽」と「南部」の違いくらいに当たるのでしょう。いまだにこだわる人もいる代わりに、現実の社会生活を送る上で支障になるほどの違いはほとんどない。しかしもし仮に、強力な「権力者」が登場してきて、津軽をあからさまに優遇したら、南部の人は面白くないでしょう。そして、「南部人」の怒りは、「権力者」よりも「津軽人」に向けられることも考えられます。また、これまであまり意識しなかった「津軽人」「南部人」というレッテルに縛られ、お互いに憎しみ合うようになるでしょう。「津軽パワー」とか「南部の団結」といった言葉をスローガンとして、相手を支配しようとする戦いが始まるかもしれません。

あるグループに対して「敵」を作り出し、お互いに憎み合い、争うように仕向けるなんて、実はとても簡単なことなのです。だららこそ、権力者たるもの、そのことは十分注意しなければならないはずなのですが、力のある国がそうでない国を支配することが当然のように行われていた帝国主義時代に、「力のない国」だったルワンダがまんまとそれにはめられたという図式。そしていったん書かれた図式は、「憎しみの連鎖」のために、なかなか消し去ることはできない。

(以下、続く)

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