■内戦勃発、そして1994年。
独立後もフツvsツチの抗争は続きました。少数派のツチは、ブルンジやウガンダに逃げ込み、大量の難民を生みました。1973年、フツ族のハビャリマナ国防相が無血クーデタに成功、大統領に就任します。彼は一党独裁体制を敷き、ツチ族に対する圧政を行いました。これに対して、国外に亡命していたツチ族を中心として結成されたルワンダ愛国戦線(RPF)が、ウガンダからルワンダ国内に侵攻し、内戦が勃発しました(1990年)。
ハビャリマナ大統領はRPFとの和平を進め、1993年に合意に達しますが、フツ族至上主義者たちはこれを裏切り行為ととらえました。そんな中、翌1994年4月6日、大統領が乗った飛行機が撃墜されるという事件が起こります。フツ族急進派はこれをRPFの仕業だと決めつけ、政権内のツチ族及び穏健派のフツ族の高官たちを即座に処刑してしまいます。映画にも出てきますが、あらかじめ処刑対象者のリストが作ってあったことからみても、この事件はフツ族急進派の企てた暗殺事件とする見方が強いようです。
この事件を機にフツとツチの争いが再燃したばかりでなく、フツ族の民兵グループ(インテラハムェ=共に戦う者)が国内各地でツチを襲い始めます。彼らの標的は「ゴキブリ」のツチだけでなく、ツチをかくまったり守ったりするフツにも向けられました。かくして、7月までの約100日間にわたて、ルワンダは虐殺の野と化しました。この間、殺されたツチ及び穏健派フツの人々は80万人から100万人に達すると見られています。
1994年と言えば、ほんの10数年前のことです。当時もマスコミ等で少しは報道されていましたが、日本人の多くはこの事実を知りませんでした。この映画で、1994年の100日間にルワンダで何が起こっていたかを私たちは知ることができますが、リアルタイムでちゃんと知るべきでした。ただ、問題は「知った」あとです。
ホアキン・フェニックス演じる米国の記者ダグリッシュが、スクープ的に虐殺の現場をカメラに収めてきます。ポールはこの映像を見たら、世界中の人がルワンダを救いにやってきてくれると喜びますが、ダグリッシュは冷めた表情を浮かべてこう言うのです。「世界の人たちは、あの映像を見て、“怖いね”と言ってディナーを続ける」。このセリフは、私自身に向けられた言葉でもあると思いました。当時、あのルワンダの惨状を知ったからといって、自分に何ができたでしょうか。「ディナーを続ける」傍観者でしかいられなかったでしょう。そのことも、深く心をえぐるのでした。。
それにしても、この映画を見て感じたのは、時には、暴力には暴力で立ち向かうしかないこともあるのかなということ。ルワンダ内戦に際して派遣された国連平和維持軍は、あくまでも「平和維持」が原則ですから、正当防衛以外に武器を行使することは許されません。フツの民兵が襲ってきた時も指揮官は「撃つな」と叫びます。その時、歯がゆさを感じたのは私だけでしょうか?暴徒化し聞く耳を持たない集団に対しては、やっぱり圧倒的な力で押さえつけるしかない…のかもしれません…。しかし、米・英・仏は、それさえもしませんでした。国際社会はルワンダを「見捨てた」のです。去っていく介入軍を見て、ポールは深い絶望感に襲われます。国内に誰一人頼れる者がいない今、平和を取り戻してくれるのは「強い」外国でしかないはずなのに。
え?
またもやルワンダは「外国」に頼らざるを得ないのか。そもそもこの争いのタネをまいたのも「外国」ではなかったのでしょうか? 100年も前のことだからもう忘れてしまったとでも言うのでしょうか。結局、「強い」国が「弱い」国を左右するという構図はちっとも変わっていない。もちろん、「強い」国に非があることは言うまでもありません。がしかし、「弱い」国も「強い」国を利用してきたという問題もまたあるのではないでしょうか。いじめの問題で、「いじめられる側にも問題がある」というのは唾棄すべき主張ですが、こと国際社会の中では、「弱い」国の方にも非が全くなかったとは言えないと思うのです。支配者にあたかもロボットのように従い、その代わりに多大な恩恵を受けてきた指導者が、アフリカにはごまんといます。
■“英雄”ポール・ルセサバギナ
一方、そうでない人物が、この映画の主人公ポールです。彼は実在の人物です。彼のとった行動が、家族を救うためだったというのはもちろんでしょう。しかしそれだけでは説明しきれないものを感じます。一流ホテルの支配人として偉い人たちに巧みに取り入り、賄賂でご機嫌を取りつつも、彼には、その根本において、強い正義感に裏打ちされた勇気、行動力そして決断力がありました。でなければ国外に逃げられる可能性のあったトラックから家族を置いて飛び降りたりはできなかったはずです。でなければ、敷地の外で隙あらば彼らを襲ってこようとする暴徒たちを背に、1200人もの人たちをホテルに滞在させたりはできなかったはず。
映画的に脚色された部分を差し引いたとしても、私にはポール・ルセサバギナという人こそ、現代の英雄の一人ではないかと思えてなりません。ガンジーもシンドラーもマリア・テレサもそうですが、他人のためにあれだけの自己犠牲を払うことが、少なくとも自分には絶対にできないと思うからです。
■キャストについて
ホテルチェーン本社のボス役でジャン・レノが出てくるのはご愛嬌としても、配役はかなり贅沢です。ホアキン・フェニックスなんて最初全然わからなかったし、国連平和維持軍のオリバー大佐役のニック・ノルティも適役か。ポールの妻タチアナを演じたソフィー・オコネドー、ポールを助ける政府軍のビジムング将軍(彼はのちに大統領になる)のファナ・モコエナ、フツ急進派のルタガンダ(のち処刑される)のハキーム・ケイ=カジームなどなど、脇を固める"アフリカ"系の役者もいい。もちろん、ポール役のドン・チードルの演技は抜群。彼は「クラッシュ」で抑えた渋い役回りでしたが、1年前のこの映画では、あの忘れられない顔で泣いたり笑ったり怒ったりと、存分にポールという人物を表現してくれています。
独立後もフツvsツチの抗争は続きました。少数派のツチは、ブルンジやウガンダに逃げ込み、大量の難民を生みました。1973年、フツ族のハビャリマナ国防相が無血クーデタに成功、大統領に就任します。彼は一党独裁体制を敷き、ツチ族に対する圧政を行いました。これに対して、国外に亡命していたツチ族を中心として結成されたルワンダ愛国戦線(RPF)が、ウガンダからルワンダ国内に侵攻し、内戦が勃発しました(1990年)。
ハビャリマナ大統領はRPFとの和平を進め、1993年に合意に達しますが、フツ族至上主義者たちはこれを裏切り行為ととらえました。そんな中、翌1994年4月6日、大統領が乗った飛行機が撃墜されるという事件が起こります。フツ族急進派はこれをRPFの仕業だと決めつけ、政権内のツチ族及び穏健派のフツ族の高官たちを即座に処刑してしまいます。映画にも出てきますが、あらかじめ処刑対象者のリストが作ってあったことからみても、この事件はフツ族急進派の企てた暗殺事件とする見方が強いようです。
この事件を機にフツとツチの争いが再燃したばかりでなく、フツ族の民兵グループ(インテラハムェ=共に戦う者)が国内各地でツチを襲い始めます。彼らの標的は「ゴキブリ」のツチだけでなく、ツチをかくまったり守ったりするフツにも向けられました。かくして、7月までの約100日間にわたて、ルワンダは虐殺の野と化しました。この間、殺されたツチ及び穏健派フツの人々は80万人から100万人に達すると見られています。
1994年と言えば、ほんの10数年前のことです。当時もマスコミ等で少しは報道されていましたが、日本人の多くはこの事実を知りませんでした。この映画で、1994年の100日間にルワンダで何が起こっていたかを私たちは知ることができますが、リアルタイムでちゃんと知るべきでした。ただ、問題は「知った」あとです。
ホアキン・フェニックス演じる米国の記者ダグリッシュが、スクープ的に虐殺の現場をカメラに収めてきます。ポールはこの映像を見たら、世界中の人がルワンダを救いにやってきてくれると喜びますが、ダグリッシュは冷めた表情を浮かべてこう言うのです。「世界の人たちは、あの映像を見て、“怖いね”と言ってディナーを続ける」。このセリフは、私自身に向けられた言葉でもあると思いました。当時、あのルワンダの惨状を知ったからといって、自分に何ができたでしょうか。「ディナーを続ける」傍観者でしかいられなかったでしょう。そのことも、深く心をえぐるのでした。。
それにしても、この映画を見て感じたのは、時には、暴力には暴力で立ち向かうしかないこともあるのかなということ。ルワンダ内戦に際して派遣された国連平和維持軍は、あくまでも「平和維持」が原則ですから、正当防衛以外に武器を行使することは許されません。フツの民兵が襲ってきた時も指揮官は「撃つな」と叫びます。その時、歯がゆさを感じたのは私だけでしょうか?暴徒化し聞く耳を持たない集団に対しては、やっぱり圧倒的な力で押さえつけるしかない…のかもしれません…。しかし、米・英・仏は、それさえもしませんでした。国際社会はルワンダを「見捨てた」のです。去っていく介入軍を見て、ポールは深い絶望感に襲われます。国内に誰一人頼れる者がいない今、平和を取り戻してくれるのは「強い」外国でしかないはずなのに。
え?
またもやルワンダは「外国」に頼らざるを得ないのか。そもそもこの争いのタネをまいたのも「外国」ではなかったのでしょうか? 100年も前のことだからもう忘れてしまったとでも言うのでしょうか。結局、「強い」国が「弱い」国を左右するという構図はちっとも変わっていない。もちろん、「強い」国に非があることは言うまでもありません。がしかし、「弱い」国も「強い」国を利用してきたという問題もまたあるのではないでしょうか。いじめの問題で、「いじめられる側にも問題がある」というのは唾棄すべき主張ですが、こと国際社会の中では、「弱い」国の方にも非が全くなかったとは言えないと思うのです。支配者にあたかもロボットのように従い、その代わりに多大な恩恵を受けてきた指導者が、アフリカにはごまんといます。
■“英雄”ポール・ルセサバギナ
一方、そうでない人物が、この映画の主人公ポールです。彼は実在の人物です。彼のとった行動が、家族を救うためだったというのはもちろんでしょう。しかしそれだけでは説明しきれないものを感じます。一流ホテルの支配人として偉い人たちに巧みに取り入り、賄賂でご機嫌を取りつつも、彼には、その根本において、強い正義感に裏打ちされた勇気、行動力そして決断力がありました。でなければ国外に逃げられる可能性のあったトラックから家族を置いて飛び降りたりはできなかったはずです。でなければ、敷地の外で隙あらば彼らを襲ってこようとする暴徒たちを背に、1200人もの人たちをホテルに滞在させたりはできなかったはず。
映画的に脚色された部分を差し引いたとしても、私にはポール・ルセサバギナという人こそ、現代の英雄の一人ではないかと思えてなりません。ガンジーもシンドラーもマリア・テレサもそうですが、他人のためにあれだけの自己犠牲を払うことが、少なくとも自分には絶対にできないと思うからです。
■キャストについて
ホテルチェーン本社のボス役でジャン・レノが出てくるのはご愛嬌としても、配役はかなり贅沢です。ホアキン・フェニックスなんて最初全然わからなかったし、国連平和維持軍のオリバー大佐役のニック・ノルティも適役か。ポールの妻タチアナを演じたソフィー・オコネドー、ポールを助ける政府軍のビジムング将軍(彼はのちに大統領になる)のファナ・モコエナ、フツ急進派のルタガンダ(のち処刑される)のハキーム・ケイ=カジームなどなど、脇を固める"アフリカ"系の役者もいい。もちろん、ポール役のドン・チードルの演技は抜群。彼は「クラッシュ」で抑えた渋い役回りでしたが、1年前のこの映画では、あの忘れられない顔で泣いたり笑ったり怒ったりと、存分にポールという人物を表現してくれています。
私も映画が大好きで、この作品も気になっていました。
やっぴさんのブログにも書かれていたので、DVDをレンタルし、つい先程観終わりました。
画像の中での子ども達の輝く瞳と怯える瞳に涙し、
何時にも益して、戦争の悲惨さと悲しい歴史を思い知らされました。
何があっても戦争は繰り返されてはならない。
しかし、国連平和維持軍とは何を示唆するのだろう。
イランでの日本の自衛隊は・・・。
報道を観てディナー(夕飯を食べている)をしている自分は、ただの傍観者なのでしょうか。
心に突き刺さります。
深くいろんなことを考えさせられる映画でしたね。
ルワンダ関連では、「ルワンダの涙」という映画も公開されたようですね。こちらは「虐殺」そのものに焦点を当てた作品らしいです。残念ながら青森では上映されませんが…。