カクレマショウ

やっぴBLOG

本当の「人材県」って?

2007-01-23 | ■青森県
地元紙に、青森県出身で、現在ある経済雑誌社に務める女性(1962年生まれ)による「青森再生への第一歩 教育振興 目指せ「人材県」」という意見が掲載されていました。

彼女は、就職してから米・スタンフォード大学に留学したそうで、スタンフォードが「地方」にあって、いかに優秀な人材を輩出してきたか、そして、スタンフォードのような世界に冠たる教育機関を青森につくろうという志はあるのかと問いかけます。いきなりスタンフォードをつくれ、と言われても困りますが、多くの起業家を輩出してきたスタンフォードを目指すぐらいの「志」を持つことはたしかに大切だとは思います。

しかし、青森県が遅れているのは、「大学進学率」の低さ(全国平均より14.5ポイントも低い)のせいであり、それが「そのまま県民所得の低さにつながり」、「中央・地方の格差の前に青森はなすすべなく立ちすくんでいるように見える」と言われると、「んん?」と思わざるをえません。

さらに、行政当局はこの事実を「重く受け止め」て、「奨学金を充実させる、レベルの高い補習授業を組むなど、やる気のある生徒をサポートする仕組み整備に本気で取り組めば、五年以内に、全国水準まで進学率を上げることは、決して夢物語ではないはずだ」…。奨学金の充実はたしかに、青森県にとっては進学率向上の一つの手かもしれません。「レベルの高い補習」とは要するに受験テクニックを教えろということでしょうか。いずれにしても、納得できないのは「大学進学率向上」こそすべてだ、という主張です。

筆者は、「資源小国の日本」の経済発展を支えたのは「知」であったとし、「知」は「未来を切り開くキーワードだ」としています。たしかにそうかもしれません。しかし、これまで必要とされ、日本人が「教育」によって培うよう努力してきた「知」と、これからの未来社会に求められる「知」って、実は少し違うんじゃないかと思うのです。これまでと同じように、「受験戦争」の中で詰め込み的に蓄えられた「知」だけではこれからは生きていけないんじゃないでしょうか。

筆者の主張に決定的に欠けているのは、日本社会が大きく変わりつつあるという視点ではないでしょうか。彼女自身が経験したような「受験戦争」はこれからもずーーっと続き、“受験学力”という意味の「学力」が最も重視される社会であり続けるというお考えのようですが、果たして本当にそうでしょうか? 既に別の価値観が日本の社会の中で少しずつ認められつつあるのではないでしょうか?

大学に行くのも行かないのも、本人なりの価値観に基づいて選択すればいい話です。多くの高校生が大学に行くこと、そのために受験勉強をしっかりやらせて「知」を身に付けることこそ青森県の進むべき道だと真正面から提言されても、面食らうだけです。もちろん、そういう価値観を持てるだけの子どもたちを育むことは大切なことです。

「首都圏」に「対抗」できるだけの大学進学率向上をさんざん訴えた挙げ句、最後は「青森再生の第一歩は教育再生から始まる」と締めくくられています。んん?? 大学進学率を上げることだけが「教育再生」じゃないはずですよ。

要は、大学なら大学、高校なら高校を出たあと、いったいどんな人生をデザインできるかということ。そして、大人がそれをどうサポートできるかということです。それをなおざりにしては、たとえスタンフォードを作ったとしても、壮大な税金の無駄遣いになるのは目に見えています。

労働政策研究・研修機構の『現代日本人の視点別キャリア分析─日本社会の劇的な変化と労働者の生き方─』という報告書では、今や若者が「個人としてのキャリア・デザインを強く求められるのは大変な重荷」になっているとし、「セカンドチャンス」を与えることの重要性とともに、個々の状況によっては「とりあえず」の職業選択もできる仕組みが必要としています。いわゆる「キャリア・ドラフト」ですね。

進学にしても、就職にしても、個人個人にはいろんな可能性が秘められています。そして、社会もまた、これまで以上に多様な価値観を求めています。十把一絡げで「いい大学」に行け、「いい会社」に就職しろという時代ではなくなっているのです。青森県を「人材県」とするならば、この点をしっかり踏まえていく必要があるのではないでしょうか。


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