青森県立美術館の特別展に行ってきました。
まずは、何で青森で「旅順」の博物館のコレクションを?というところから…。
「旅順」といえば、「世界史的」には、日露戦争(1904-05年)を思い出してほしいところです。中国・遼東半島の先端に位置するこの町を、日本はポーツマス条約(1905年)でロシアから譲り受けることになりました。もともと、旅順は、日清戦争(1894-95年)の際に日本が占領し、戦後の下関条約で旅順を含む遼東半島を中国(清)から奪ったものの、日本の大陸進出をよしとしない欧米列強の圧力で、すぐに返還させられた(三国干渉)いわくつきの地。日露戦争中には、市の郊外にある「二百三高地」で、乃木将軍率いる日本陸軍がロシア軍と熾烈な戦いを繰り広げたことでも有名です。
日本軍にとっては、天然の良港・旅順は大陸進出の重要な軍事拠点でした。現在、旅順は、隣接する大連市に併合され、その一部(旅順口区)となっています。青森県は、2~3年前から、大連との経済的な結びつきを深めようとしており、昨年は「青森県大連ビジネスサポートセンター」を開設するなど、民間レベルのビジネス交流を、県が後押ししているような状況です。今回、県立美術館で旅順博物館展を開催することになったのも、こうした政治的・経済的な背景があるものと思われます。
旅順口区は、現在、中国海軍の重要な軍港と位置づけられているため、外国人の立ち入りが規制されており、旅順博物館も外国人には公開されていないのだとか。また旅順博物館としては、これまで最大規模の海外展示ということで、今回の展示品の約半数は、日本人が初めて目にするものだそうです。そう考えると、とても貴重な展覧会と言えます。特に、旅順博物館が世界に誇る、世界最古級(1,700年前)の漢文写経や、「仏教西伝」の足跡を証明する写経(の断片)などは国内外を通じて初めての公開だそうです。
旅順博物館の所蔵品はおよそ6万点。そのうち3分の1以上の26,500点は、いわゆる「大谷コレクション」です。「大谷コレクション」とは、明治から大正にかけて中央アジアやインドの仏教伝播ルートを調査した「大谷探検隊」が収集した文物です。
大谷探検隊を率いていたのは、実は、考古学者でも歴史学者でもない、お坊さんでした。京都・西本願寺の宗主・大谷光瑞(こうずい)です(光瑞については、とても興味深い人物なので、改めて触れたいと思います)。大谷探検隊は、日本で唯一の本格的な中央アジア探検隊でした。その収集物は、現在、中国、韓国、日本に分散しており、全容がいまだ把握できていないことから「幻のコレクション」とも言われますが、旅順博物館の収蔵品は、日本の龍谷大学のそれとともに、最も貴重なコレクションを取りそろえていると言われます。今回の展示でも、大谷コレクションを中心とした西域の文物(「新疆(=しんきょう)文物」)が大半を占めていました。
私が印象に残った展示品をいくつか挙げてみます。まずは、「新疆文物」から…。(写真はいずれも東奥日報社のサイトから)
・彩色龍型切り絵断片(さいしきりゅうがたきりえだんぺん)
裏面に文字が書かれていて、文字通り断片的ですが、唐代の土地に関わる文書らしい。で、その反故(ほご)を使って、赤・緑・青・黒・黄の5色で龍が描かれています。今、職場でも「エコ」の観点から裏紙利用が促されていますが、これは「エコ」ではなく、当時、紙がまだ貴重品だったことを示すものです。
・漢文仏典写本断片冊(かんぶんぶってんしゃほんだんぺんさつ)
これぞ「大谷コレクション」の極致。今からおよそ1,700年前の3世紀頃に書かれた世界最古の漢文仏典写本。大谷探検隊が収集したバラバラの仏典を台紙に貼り付けてノートにしたもの。表紙が青いので、「藍冊」と呼ばれるのだとか。こういうのが旅順博物館には52冊あるのだそうです。サンスクリット語(梵語)で書かれた写本断片と合わせて、仏教が確かに西域を通って中国に入ってきたことを示す遺物です。
・泥塑彩色侍女俑頭部(でいそさいしきじじょようとうぶ)
今回の特別展のポスターやチケットに使われているもの。実物を見るのをとても楽しみにしていましたが、なんと、高さ17.5センチという「小ささ」に驚きました。唐代に作られた「泥塑彩色」の「人形」は他にもいろいろ展示されていましたが、やっぱりこの「人」が一番美しいかもしれない。ふくよかな上品さというのでしょうか。口元のふたつのつけぼくろが印象的です。つけぼくろって、ヨーロッパの宮廷の流行かと思っていましたが、中国でもあったとは知らなかった。なぜほくろが「おしゃれ」なのか、私には理解できないのですが…。
・泥塑人面(でいそじんめん)
これも唐代の作。お面のように顔部分しか残っていないため、その表情がより印象深い。別に「歯っかけ」だからというわけではなく。鼻が高く、彫りの深い顔立ち、豊かなあごひげは、漢民族ではなく、インドや西域の人を思い起こさせます。それにしても、悲しそうな顔です。これは、釈迦の入滅(死去)を嘆き悲しんでいるのだとも言われています。
「総合文物(歴代芸術品)」として紹介されている仏像やら青銅器やら陶磁器については、これまでのいろんな展覧会でも見てきたような物が多く、これといって特筆すべきものがありませんでした。一つだけ、直径80cmほどの「銅鼓」(後漢)に目を奪われました。てっぺんに、6匹のカエルが配置されているではありませんか! しかもそのうち3匹は子ガエルを、残りの3匹は亀を背中に乗せている。銅製の太鼓自体はでかいのですが、造形がなかなかキュート!
この旅順博物館展は、「大谷コレクション」のことを知っておいた方がきっと、たぶん、もっと楽しめると思います。
まずは、何で青森で「旅順」の博物館のコレクションを?というところから…。
「旅順」といえば、「世界史的」には、日露戦争(1904-05年)を思い出してほしいところです。中国・遼東半島の先端に位置するこの町を、日本はポーツマス条約(1905年)でロシアから譲り受けることになりました。もともと、旅順は、日清戦争(1894-95年)の際に日本が占領し、戦後の下関条約で旅順を含む遼東半島を中国(清)から奪ったものの、日本の大陸進出をよしとしない欧米列強の圧力で、すぐに返還させられた(三国干渉)いわくつきの地。日露戦争中には、市の郊外にある「二百三高地」で、乃木将軍率いる日本陸軍がロシア軍と熾烈な戦いを繰り広げたことでも有名です。
日本軍にとっては、天然の良港・旅順は大陸進出の重要な軍事拠点でした。現在、旅順は、隣接する大連市に併合され、その一部(旅順口区)となっています。青森県は、2~3年前から、大連との経済的な結びつきを深めようとしており、昨年は「青森県大連ビジネスサポートセンター」を開設するなど、民間レベルのビジネス交流を、県が後押ししているような状況です。今回、県立美術館で旅順博物館展を開催することになったのも、こうした政治的・経済的な背景があるものと思われます。
旅順口区は、現在、中国海軍の重要な軍港と位置づけられているため、外国人の立ち入りが規制されており、旅順博物館も外国人には公開されていないのだとか。また旅順博物館としては、これまで最大規模の海外展示ということで、今回の展示品の約半数は、日本人が初めて目にするものだそうです。そう考えると、とても貴重な展覧会と言えます。特に、旅順博物館が世界に誇る、世界最古級(1,700年前)の漢文写経や、「仏教西伝」の足跡を証明する写経(の断片)などは国内外を通じて初めての公開だそうです。
旅順博物館の所蔵品はおよそ6万点。そのうち3分の1以上の26,500点は、いわゆる「大谷コレクション」です。「大谷コレクション」とは、明治から大正にかけて中央アジアやインドの仏教伝播ルートを調査した「大谷探検隊」が収集した文物です。
大谷探検隊を率いていたのは、実は、考古学者でも歴史学者でもない、お坊さんでした。京都・西本願寺の宗主・大谷光瑞(こうずい)です(光瑞については、とても興味深い人物なので、改めて触れたいと思います)。大谷探検隊は、日本で唯一の本格的な中央アジア探検隊でした。その収集物は、現在、中国、韓国、日本に分散しており、全容がいまだ把握できていないことから「幻のコレクション」とも言われますが、旅順博物館の収蔵品は、日本の龍谷大学のそれとともに、最も貴重なコレクションを取りそろえていると言われます。今回の展示でも、大谷コレクションを中心とした西域の文物(「新疆(=しんきょう)文物」)が大半を占めていました。
私が印象に残った展示品をいくつか挙げてみます。まずは、「新疆文物」から…。(写真はいずれも東奥日報社のサイトから)
・彩色龍型切り絵断片(さいしきりゅうがたきりえだんぺん)
裏面に文字が書かれていて、文字通り断片的ですが、唐代の土地に関わる文書らしい。で、その反故(ほご)を使って、赤・緑・青・黒・黄の5色で龍が描かれています。今、職場でも「エコ」の観点から裏紙利用が促されていますが、これは「エコ」ではなく、当時、紙がまだ貴重品だったことを示すものです。
・漢文仏典写本断片冊(かんぶんぶってんしゃほんだんぺんさつ)
これぞ「大谷コレクション」の極致。今からおよそ1,700年前の3世紀頃に書かれた世界最古の漢文仏典写本。大谷探検隊が収集したバラバラの仏典を台紙に貼り付けてノートにしたもの。表紙が青いので、「藍冊」と呼ばれるのだとか。こういうのが旅順博物館には52冊あるのだそうです。サンスクリット語(梵語)で書かれた写本断片と合わせて、仏教が確かに西域を通って中国に入ってきたことを示す遺物です。
・泥塑彩色侍女俑頭部(でいそさいしきじじょようとうぶ)
今回の特別展のポスターやチケットに使われているもの。実物を見るのをとても楽しみにしていましたが、なんと、高さ17.5センチという「小ささ」に驚きました。唐代に作られた「泥塑彩色」の「人形」は他にもいろいろ展示されていましたが、やっぱりこの「人」が一番美しいかもしれない。ふくよかな上品さというのでしょうか。口元のふたつのつけぼくろが印象的です。つけぼくろって、ヨーロッパの宮廷の流行かと思っていましたが、中国でもあったとは知らなかった。なぜほくろが「おしゃれ」なのか、私には理解できないのですが…。
・泥塑人面(でいそじんめん)
これも唐代の作。お面のように顔部分しか残っていないため、その表情がより印象深い。別に「歯っかけ」だからというわけではなく。鼻が高く、彫りの深い顔立ち、豊かなあごひげは、漢民族ではなく、インドや西域の人を思い起こさせます。それにしても、悲しそうな顔です。これは、釈迦の入滅(死去)を嘆き悲しんでいるのだとも言われています。
「総合文物(歴代芸術品)」として紹介されている仏像やら青銅器やら陶磁器については、これまでのいろんな展覧会でも見てきたような物が多く、これといって特筆すべきものがありませんでした。一つだけ、直径80cmほどの「銅鼓」(後漢)に目を奪われました。てっぺんに、6匹のカエルが配置されているではありませんか! しかもそのうち3匹は子ガエルを、残りの3匹は亀を背中に乗せている。銅製の太鼓自体はでかいのですが、造形がなかなかキュート!
この旅順博物館展は、「大谷コレクション」のことを知っておいた方がきっと、たぶん、もっと楽しめると思います。
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