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オリンピックの話◆第2話 オリンピア競技会

2004-08-03 | └オリンピックの話
さて、クーベルタンがそんなにまでして復活させたかった古代ギリシアのオリンピア競技会とはどんなものだったのでしょう。

「オリンピック」の語源ともなっているオリンピアとは、ギリシア神話に登場する最高神ゼウスの神殿があった場所です。古代ギリシア時代、ここで4年ごとにゼウスを讃える祭典と競技が行われました。同じような競技会は、実はオリンピア以外の3カ所でも開催されていましたが、そこはやはり大神ゼウスに捧げる祭りということで、オリンピアの祭典がもっとも盛大に行われたようです。
オリンピア競技会の優勝者の記録が残っているのが紀元前776年からなので、通常この年のオリンピックが第1回とされています。

古代ギリシアでは、ポリスと呼ばれる都市国家が分立していました。「ギリシア」という国があったわけではなく、「アテネ」とか「スパルタ」というポリスの集合体がギリシアだったわけです。
住んでいるポリスは違っていても、彼らは同じギリシア人であるという強い同胞意識を持っていました。自分たちを「ヘレネス」(“英雄ヘレネの子孫”という意味)と呼び、異民族は「バルバロイ」(汚い言葉を話す者)と呼んで蔑んでいたことにそれが表れています。「ヘレネス」は共通の言葉ギリシア語を話し、ゼウスを筆頭とするオリンポス12神をあがめ、そしてオリンピアで強さと美しさを競ったのです。

当時の競技会の種目は、短距離走、長距離走、五種競技、円盤投げ、槍投げ、ボクシング、パンクラテオン(総合格闘技)、馬車競争(戦車競争)などでした。
短距離走は、当時1スタディオンと呼ばれた192mの距離で行われ、第1回から続くもっとも伝統ある種目でした。

競技会の期間は5日間ですが、初日は開会式とゼウスの祭典が、最終日は勝者を讃える宴がそれぞれ行われたので、競技自体は3日間で実施されました。競技会の1ヶ月前になるとギリシア中に開催を告げる使者が送られ、各地から続々と選手が集まってきます。

古代オリンピックでは期間中一切の戦争が中止されたというのは有名な話ですが、実は期間中というのは本番の5日間だけではなく、お触れが出されてから1ヶ月間だったのです。ということは、戦争を中止したのは、集まってくる選手や見物客の道中の安全を守るためだったということなのです。のちに競技会の規模が拡大すると、休戦期間は3ヶ月に延ばされました。休戦協定を破ったポリスには厳しい罰則が与えられ、他のポリスと絶縁関係とされます。今でいう経済制裁でしょうか。

実際、スパルタがこの禁を破ったため、一時競技会への参加を禁止されたこともありました。これは経済制裁なんかよりずっとつらい罰則でした。ゼウスの祭典に参加できないということは、ゼウスの加護が受けられないということですから。政治的な思惑で参加をボイコットしてしまう現代のオリンピックとはその意味するところは全く異なっていたのです。

さて、優勝者には最高の栄誉が与えられました。その象徴がオリーブの冠でした。オリンピアの神殿に像が作られ(このことは「神と同席することを認められた」ということを意味しました!)、故郷では英雄として迎えられ、多額の褒賞金が与えられたり、税が免除されたり、いずれにしても永遠にその名を残すことができました。

ところが、本来オリーブの冠という無償の栄誉だけが与えられていた競技会が、このような「現ナマ」の威力によって徐々に腐敗していくのです。勝つために審判を買収したり、競技そのものに不正を加える不届き者が出てきました。今ならさしずめドーピングでしょうか。

紀元前2世紀、ギリシアはローマの支配下に入ります。ローマ時代にも競技会は続けられましたが、ネロ皇帝が自分で参加したいばかりにむりやり「音楽競技」を加えて自分の歌を披露したり(まるでジャイアン)、4年ごとの原則を破ったりと、ローマ皇帝という権力のもとでオリンピア競技会の性質がゆがめられてしまうこともあったようです。

その後キリスト教がローマ領内に普及するにつれて、オリンピアの祭典は「異教」の祭典として廃れていきます。4世紀、キリスト教がローマの国教となったことで、オリンピア競技会は正式に禁じられ、1000年以上にわたる293回の開催をもって幕を閉じたのです。

近代オリンピックの歴史はたかだか100年ちょっと、回数にして28回です。早くも腐敗の芽が見えたりもしていますが、これから先、どこまで続き、またどんな風に変質していくのでしょうか。

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3 コメント

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Unknown (真鶴さら)
2004-08-10 03:09:57
はじめまして。

とってもわかりやすくて詳しいオリンピックの解説で大変ためになりました。

古代だからといって「古きよき時代」と単純に言えないものですね。

トラックバックと本文中のリンクをさせていただきました。



近代オリンピックのほうのエントリーも楽しく拝見させていただいてます。

ミュンヘンのテロのこととか、リアルタイムで知らないことだったので、とても興味深く読ませていただきました。



長々と失礼いたします。
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Unknown (お節介やき)
2004-08-17 15:16:22
上記オリンピックの話し2話の中で、「オリンピア」は「オリンポス山」の麓にあるとありますが、

 ・オリンポス山(2917Mの活火山)はギリシャの北、今回サッカーが行われた「テッサロニキ」に近く、「オリンピア」はペロポネソス半島の北西(アテネから6-7時間)と場所が違います。

 「オリンピア」同様、競技が行われたところは複数あって、デルフィはその規模も大きく、競技場も残り

スタデイオンのスタート石も残っています。

お節介やきより
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ありがとうございます (yappi)
2004-08-17 22:29:44
誤った知識を正しいと思い込んでいました。

その部分訂正しました。

ご指摘ありがとうございました。
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