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カクレマショウ

やっぴBLOG

オリンピックの話◆第1話 語れなかったクーベルタンのこと。

2004-08-02 | └オリンピックの話
職場で「オリンピックっていつからだっけ」という話題を聞きつけ、ヨッシャ私の出番とばかりに「それは近代オリンピックのこと?それとも古代のこと?」「近代なら、1896年アテネで開かれたのが最初で云々…クーベルタンが云々…」と調子に乗ってしゃべりかけたら、「ハイハイ。でも今聞いているのは今年のオリンピックが始まる日はいつかってこと!」と一蹴されてしまいました。発祥の地に戻ってくる今年のオリンピックならではの話題、と思ったのもつかの間、誠に残念なことでした。

2004年アテネオリンピックは8月13日からですね。

近代オリンピックの父ピエール・ド・クーベルタン男爵はフランスの貴族です。彼は若い頃に触れたイギリスのパブリックスクールのスポーツ教育に感銘を受け、フランスでもそれを根付かせたいと考えました。彼は国民の士気を高めるためには青少年のスポーツしかないと考え(意外とド根性好きか、この男爵)、また各国の状況視察を通しては、国別の対抗戦形式にするのがいいと考えるようになりました。

こうしてクーベルタンは1892年、「ルネサンス・オリンピック」と呼ばれる演説を行い、オリンピック競技会の復活を世界に訴えるのです。これにはあまり反応がなかったのですが、彼はくじけることなく運動を続け、ついに1894年に開かれた国際会議でオリンピックの復活が決定されるに至ったのでした。

第1回大会は1896年に古代オリンピック競技会発祥の地アテネで開催されることになりました。実は、クーベルタン自身は、祖国フランスのパリで第1回を開催したかったらしい。ところが、パリ大会は1900年開催の予定であり、オリンピック復活でいけいけモードの同会議で、6年後というのは長すぎるという雰囲気が圧倒的だったため、やむなくギリシア開催に同意したと言われています。

この会議では、IOC(国際オリンピック委員会)設立も決定されますが、当時は、開催国から会長を出すことになっていたため、初代IOC会長の栄誉もギリシア人に持っていかれてしまいました。もちろん、第2回はパリで開催され、クーベルタンは第2代IOC会長にめでたく就任しています。よかったよかった。

また、第1回アテネ大会は男性だけのオリンピックでした。これは、古代オリンピックに因んだというよりは、貴族であるクーベルタン男爵が、女性は勝利者に栄冠を与える役目がふさわしいと考えていたからです。第2回パリ大会ではさすがに女性の参加も認められましたが、今ならとても許されない考えですね。危うし!クーベルタン。

第1回アテネ大会の種目を調べてみたら、陸上、水泳、体操、レスリング、フェンシング、射撃、自転車、テニスの8競技42種目。競技自体はどれも現在も行われていますが、中身を見るとずいぶん違うようです。水泳競技はプールではなく海で行われ(!)、「100m潜水」という恐ろしげな種目があったりしますし、体操競技の中に重量挙げが含まれていたり、「鉄棒団体」「綱登り」なんて興味深い種目もあります。陸上ではトラックを右回りに走っていたし、マラソンも42.195kmではなく、36.75kmでした。

今年のアテネ大会は28競技301種目が行われます。参加選手は第1回の13ヶ国295人に対して、201の国と地域から1万5,000人以上。史上最大規模のテロ対策五輪という、平和の祭典にもっともふさわしくない形容詞が早くも付せられています。しかし、競技の中では、世界のトップアスリートたちがきっとまた様々なドラマを見せてくれることでしょう。

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