カクレマショウ

やっぴBLOG

先生も親も、まず「大人」である。

2008-04-15 | ■教育
千葉県の県立高校で、入学金(9万円)未納の生徒2人を入学式に出席させなかったというニュース。その日のうちに保護者が入学金を納めて(1人は一部納入)、入学は認められたそうですが、「入学金を納めないと入学を認めないという県条例に従ったまで」と学校側は、判断は間違っていなかったと話しているそうです。

なんとまあ杓子定規なことよと学校の対応に驚きます。一生に一度の(たぶん)高校の入学式に出られなかった2人の心はどれだけ傷ついたことか。そのことに誰も思いは至らなかったのか。

しかし、学校の対応にあきれる以上に、私はこの2人の高校生の保護者に怒りを覚えます。支払えなければ支払えないということを、なぜ学校に相談しなかったのか。事前の入学説明会で、学校側も納入が困難な場合は事前に相談するようにと話していたのに。くだんの保護者が入学説明会に出席していたかどうかはわかりませんが、それでも高校に入学するのに入学金を支払わなければならないということ、もし支払えない状況であれば相談してみることは、大人の常識として当たり前のことでしょう。

青森県でも、高校の授業料の未納、滞納者が増えていると聞きます。ちょっと前に話題になった小・中学校の給食費の未納問題と同じように、「払えるのに払わない」輩がどのくらいいるのかはわかりませんが、仮に「払わなくても当然」と考えているとしたら、それは、親として保護者としてという前に、「大人」として役割を果たしていないということですね。

学校教育は、もっぱら子どもたちのために存在するものです。形式や制度といった大人の都合の前に、子どもたちがどんな思いをするのか、そのことをまず一番に考えなければならない。今回の「事件」を見て、学校も保護者も関係なく、「大人」の側にそうした「想像力」が欠けているのではと思いました。入学式に出られなかった2人の高校生は、これからいったい誰を「恨んで」生きていくのでしょうか。「約束」を守ろうとしなかった親か、それとも「制度」を盾にした学校(先生)か。いずれにしても、非常に後味の悪い出来事でした。こんなのは、「なくてもいい」ことです。


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7 コメント

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はじめまして (blocru)
2008-04-16 09:25:21
ホントに杓子定規なら、その場で「お帰りください」と言うんじゃないでしょうか。
式にこそ出られなかったが、とりあえず待ってくれたというのは一種の温情ではないかと。
Unknown (Unknown)
2008-04-16 22:52:14
本当に「温情」があるなら式の後でも、保護者と話をして判断できるでしょう?その生徒がどう考えていたかは分かりませんが、15才の気持ちを受け止める社会の懐の浅さを感じてしまいます。
コメントありがとうございます。 (やっぴ)
2008-04-16 23:50:08
結局、私たちは報道が伝えることでしか「事実」を知り得ないので、その生徒がどう考えていたか」はもちろん分からないし、勝手に外野でわいわい言ってるだけなんですけどね。

ただ私としては、「15歳の気持ちを受け止めるだけの社会の懐の浅さ」を感じるということに共感しています。入学式ですよ、入学式。それに出られないというのは一大事ですよ。
Unknown (れごまま)
2008-04-17 22:36:25
このニュースを聞いたとき、今の日本の「格差社会」を考えられずにはいられませんでした。(保護者が怠慢で滞納したのではないと仮定しての話です)
自分の周りでも経済的理由で「習い事」を辞めていく子どもを見かけるようになりました。高校も義務教育でないのだから支払いができないのなら、辞めないといけないのはある意味当然かもしれません(奨学金とかの話は別として)
明日はわが身です。
ちゃんとした教育を受けさせるには私学に入れるか塾に通わせるか・・・とにかく保護者の経済力がモノをいう、一般サラリーマン家庭に小学校の授業料に月額6万円とか払えません。
上流家庭に生まれた子にしか高等教育が受けられなくなっていっている現実を国は本当にどう思っているのか、疑問です。
Unknown (kabu)
2008-04-18 23:39:23
はじめてのコメントをUnknownでしてしまったkabuです。
失礼しました。

「社会の懐の浅さ」と「格差社会」…これ、並べると結構深い意味があると思いました。
子ども(人間)が育つ現在の環境を考えると、懐の浅さと格差の関係が変則的に絡んでいるように思えるのですが?
格差社会が問題になるーしかし、どの時代も格差はあったはずです。一番、今危惧する事は格差を支える精神的な筋力が衰えている事じゃないでしょうか?
画一的なものしか受け入れない社会的な体質がある。
 中学生が受験して高校を目指す。義務教育から卒業するのですが、中学生が抱える現実感はおとなが考えるモノとかなり
違っているのではないでしょうか?
 そういう意味でも懐が浅すぎると感じています。
個性の伸張と経済的格差 (やっぴ)
2008-04-21 08:27:06
れごままさん kabuさん
コメントありがとうございます。

おっしゃること、いちいちごもっともです。

「画一的なものしか受け入れない」というのは、「社会的な体質」とkabuさんがおっしゃるとおりで、日本人の昔からの特性の一つかと思いますが、「少子化」の中で、それがますます顕著になってきているのではと思います。社会全体でみれば子どもの数は少なくなってきているので、「個性」を重視する傾向が出てきてもおかしくないと思うのですが、現実は、逆に、少ないものをますます一色に染めようとする傾向があるような気がしています。

一人一人の「個性を伸ばす」という意味でも、経済的格差によって教育の機会を奪われるのはたまりません。それは社会にとっても大きな損失ですね。

教育の平等 (cc)
2008-04-22 18:58:21
学校側の温情によって支払わない親のために、その学校の生徒全員の教育水準が低下するわけです。私なら自分の子供はきちんとした学校に行かせたいと思いますね。教育はなるべく平等に機会が与えられるべきではないでしょうか。
給食費の問題もそうですが、まず最初に学校を批難する大人が居ることは極めて深刻だと思います。丁度モンスターペアレントと呼ばれる親の世代なのかもしれませんが、酷い社会になってしまったものです。数千人も居る親の言い分が全て通るような運営など出来るわけがないのです。そのような方向で学校を「良く」しようなどというのは教育的に良い方向には向かいません。入学金を支払った大半の親は今回の処置に賛成ですよ。
批難するだけ、木を見て森を見ない意見ばかりが幅をきかせ、教育の現場はより一層その自由度を奪われてゆくでしょう。今回の学校判断は親子にも社会にも良い教育となったでしょうが、偏向報道のためにずいぶん負担もかかったのではないかと憂慮します。学校の持つ権限を拡大しないとこれは問題です。

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