
"INCEPTION"
2010年/米国/148分
【監督・脚本】 クリストファー・ノーラン
【出演】 レオナルド・ディカプリオ/コブ 渡辺謙/サイトー ジョセフ・ゴードン=レヴィット/アーサー マリオン・コティヤール/モル エレン・ペイジ/アリアドネ トム・ハーディ/イームス ディリープ・ラオ ユスフ キリアン・マーフィ/ロバート・フィッシャー マイケル・ケイン/マイルズ
(C)2010WARNERBROS.ENTERTAINMENTINC.
《2010年8月1日 青森コロナ》
*******************************************************************
夢の中の夢、その夢の中の夢、そのまた夢の中の夢…。
あ゛~、頭イタくなる!
そもそも、夢の中の自分が夢を見る、なんて経験がないし、夢の中でこれは夢なんだ!と自分に言い聞かせた経験もないもんで、夢の多層構造なんて、そんな複雑な設定についていけるか不安でした。でも、潜在意識の穴に陥ることもなく、2時間28分、しっかり覚醒して楽しむことができました。ただ、エンドロールが出た瞬間、もしかして、これって夢かも…?と恐ろしい不安が頭をよぎってしまったのは私だけではないでしょう。
「夢」って2種類の意味がありますね。一つはもちろん、寝ている時に見る夢。もう一つは「将来の夢」という時の夢。こっちの場合は、英語を使って「ドリーム」という言い方もよくします。英語でも、“dream”は同じように両方の意味を持ちます。ちなみに、ドイツ語では”Traum”(「トラウマ)の語源ですね)、フランス語では”rêve”で、いずれも、両方の意味を持ちます。
「将来の夢」という意味で使われるようになるのは近代以降のことだそうです。それにしても、「睡眠中に見る幻覚」と、「将来の希望」がなぜ同じ言葉で表されるのか? 私は不思議に思います。睡眠中の夢は、潜在意識の現れと言いますが、それは将来の出来事とやはり関係があるのでしょうか。この映画では、過去の記憶を夢の中で再現してはいけない、という不文律が繰り返し語られます。でも、夢ってそもそも過去の記憶が織りなすものではないのか? なぜ「将来」とつながるのか…?
人が夢を見ているときに、その潜在意識に入り込んでアイディアを抜き取ることを「エクストラクション extraction」というそうです。心理学者ユングが、人間の意識を氷山に喩えて、海面に出ている部分以外がすべて潜在意識であると言ったのは有名ですが、それくらい人間の潜在意識は広大。そこに、自分でも気づかない(意識していない)アイディアが埋もれている。夢は潜在意識の現れなので、夢に忍び込めればそういうアイディアをこっそり盗むことができる…。
と、なんだか胡散臭い匂いもしますが、とにかく、コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、他人の夢からエクストラクションする技術において、世界最高の腕を持っている。それがなぜカネになるかというと、産業スパイとして、企業のトップの夢に忍び込んでアイディアを盗んではライバル社に売る、からなんですね、はい。口に出して言うのは簡単ですが、そうそう簡単に他人の夢に忍び込めるわけがない。だいたい、忍び込むためには、
1 ターゲットに見てもらいたい夢を設計する。
2 ターゲットが寝る。(できるだけぐっすりと)
3 寝ているターゲットと回路で接続する。(脳をつなぐのかと思ったら、映画では手首をつないでました…。)
4 接続されたまま自分も寝る。(できるだけぐっすりと)
5 ターゲットの夢に自分も入り込む。(映画では、アタッシェケースの中に仕込まれた機械のボタンをムギュ!と押すと回路がつながる仕掛けになっていた。)
と、結構手間がかかります。「夢の設計」については、最初の方で、コブが助手として雇うアリアドネ(エレン・ペイジ)にコブが説明するシーンがありました。夢の中では、自分が思うがままに周りの世界を作ったり、動かしたりできる。予告編にあったように、パリの街をグキッと折り曲げてみたり、好みのビルをデザインしてみたり、まさに自由自在。コブたちは、目的に合わせて夢を設計することに長けているということなのですね。
夢の中で危険が迫ったら、あえて「死ぬ」ことで目が覚める。死なないまでも、ある程度ショックを与える(これを「キック」という)ことで、夢から覚めることができる。ただ、夢を長く持続させるために強力な鎮静剤を使った場合、夢の中で死んでも、目が覚めないことがある。そうなると、その人は二度と目ざることのない「虚無」の世界に陥る、つまり「廃人」となってしまうという。こわー。映画でもそういう危機が何度か出て来ます。そういう時は、寝ている人に水をぶっかけて無理矢理目覚めさせる。…なんか単純で、イイ。目覚めは最悪そうだけど。
ところで、この映画では、日本人実業家・サイトー(渡辺謙)の企みで、エクストラクション以上のことをコブは請け負うことになる。それが「インセプション inception」。つまり、夢の中で、新しいアイディアを「植え付け」ること。要するに、サイトーは、ライバル社であるフィッシャー社の若き後継者ロバート(キリアン・マーフィー)に、「やる気」をなくさせようとするのです。ロバートの夢に忍び込んで、潜在意識にそういうアイディアを植え付ければ、もはやフィッシャー社は死んだも同然…。
ただ、インセプションを成功させるためには、ロバートの夢の中でさらに夢を見させ、その夢の中でも夢を見させるという、3階層まで入り込むことが必要。さすがのコブも、それは無理だと言うが、サイトーはコブの弱みをちゃんと握っていたのです。
後半の、この夢の3階層のシーンは、本当に目が離せない。おまけに、ことのなりゆきで、コブとアリアドネは第4の階層にまで落ちていくことになるというスリルもあり。幸いにも、4つの夢の設定がそれぞれ全く異なるシチュエーションなので、混乱することはない。さすが、クストファー・ノーラン。ノーラン監督といえば、「バットマン・ビギンズ」、「ダークナイト」のバットマン・シリーズで知られますが、私にとっては、「メメント」(2000年)や「フォロウィング」(1998年)の、ややこしいけど、徹底的に考えられた編集が印象に残る監督です。何度もDVDで見直すハメになるのだけれど、見るたびに新しい発見があって、すこぶる面白い。この映画も、DVDが出たらきっと何度も見てしまうでしょうね。
「アリアドネ」という名前にはっとしました。ギリシア神話に登場する“クレタ島の迷宮物語に登場する女性の名前です。迷宮ラビュリントスに潜む怪物ミノタウロスを倒すためにやってきたテセウスに恋をしたアリアドネは、テセウスが迷宮から戻ってこられるように、糸玉をテセウスに渡す。ミノタウロスを倒したテセウスは、糸をたどって迷宮から無事出てこられた…という物語。テセウスを救うための「設計」をしたのがアリアドネ、と考えると、この映画で、アリアドネは「夢の設計士」として、確かにコブの窮地を何度も救っています。
「糸玉」に当たるのが、あの「コマ」です。夢の中ではずっと回り続けるコマ。夢を自由に操ることができるコブでさえ、「ここからが夢だとわかる夢はない」と言います。夢と現実の境界は決して見ることができないのかもしれません。人間は、小さなコマを頼りにするしかないのです。
ほんとうに、あのラストシーンには背筋がぞっとしました…。
2010年/米国/148分
【監督・脚本】 クリストファー・ノーラン
【出演】 レオナルド・ディカプリオ/コブ 渡辺謙/サイトー ジョセフ・ゴードン=レヴィット/アーサー マリオン・コティヤール/モル エレン・ペイジ/アリアドネ トム・ハーディ/イームス ディリープ・ラオ ユスフ キリアン・マーフィ/ロバート・フィッシャー マイケル・ケイン/マイルズ
(C)2010WARNERBROS.ENTERTAINMENTINC.
《2010年8月1日 青森コロナ》
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夢の中の夢、その夢の中の夢、そのまた夢の中の夢…。
あ゛~、頭イタくなる!
そもそも、夢の中の自分が夢を見る、なんて経験がないし、夢の中でこれは夢なんだ!と自分に言い聞かせた経験もないもんで、夢の多層構造なんて、そんな複雑な設定についていけるか不安でした。でも、潜在意識の穴に陥ることもなく、2時間28分、しっかり覚醒して楽しむことができました。ただ、エンドロールが出た瞬間、もしかして、これって夢かも…?と恐ろしい不安が頭をよぎってしまったのは私だけではないでしょう。
「夢」って2種類の意味がありますね。一つはもちろん、寝ている時に見る夢。もう一つは「将来の夢」という時の夢。こっちの場合は、英語を使って「ドリーム」という言い方もよくします。英語でも、“dream”は同じように両方の意味を持ちます。ちなみに、ドイツ語では”Traum”(「トラウマ)の語源ですね)、フランス語では”rêve”で、いずれも、両方の意味を持ちます。
「将来の夢」という意味で使われるようになるのは近代以降のことだそうです。それにしても、「睡眠中に見る幻覚」と、「将来の希望」がなぜ同じ言葉で表されるのか? 私は不思議に思います。睡眠中の夢は、潜在意識の現れと言いますが、それは将来の出来事とやはり関係があるのでしょうか。この映画では、過去の記憶を夢の中で再現してはいけない、という不文律が繰り返し語られます。でも、夢ってそもそも過去の記憶が織りなすものではないのか? なぜ「将来」とつながるのか…?
人が夢を見ているときに、その潜在意識に入り込んでアイディアを抜き取ることを「エクストラクション extraction」というそうです。心理学者ユングが、人間の意識を氷山に喩えて、海面に出ている部分以外がすべて潜在意識であると言ったのは有名ですが、それくらい人間の潜在意識は広大。そこに、自分でも気づかない(意識していない)アイディアが埋もれている。夢は潜在意識の現れなので、夢に忍び込めればそういうアイディアをこっそり盗むことができる…。
と、なんだか胡散臭い匂いもしますが、とにかく、コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、他人の夢からエクストラクションする技術において、世界最高の腕を持っている。それがなぜカネになるかというと、産業スパイとして、企業のトップの夢に忍び込んでアイディアを盗んではライバル社に売る、からなんですね、はい。口に出して言うのは簡単ですが、そうそう簡単に他人の夢に忍び込めるわけがない。だいたい、忍び込むためには、
1 ターゲットに見てもらいたい夢を設計する。
2 ターゲットが寝る。(できるだけぐっすりと)
3 寝ているターゲットと回路で接続する。(脳をつなぐのかと思ったら、映画では手首をつないでました…。)
4 接続されたまま自分も寝る。(できるだけぐっすりと)
5 ターゲットの夢に自分も入り込む。(映画では、アタッシェケースの中に仕込まれた機械のボタンをムギュ!と押すと回路がつながる仕掛けになっていた。)
と、結構手間がかかります。「夢の設計」については、最初の方で、コブが助手として雇うアリアドネ(エレン・ペイジ)にコブが説明するシーンがありました。夢の中では、自分が思うがままに周りの世界を作ったり、動かしたりできる。予告編にあったように、パリの街をグキッと折り曲げてみたり、好みのビルをデザインしてみたり、まさに自由自在。コブたちは、目的に合わせて夢を設計することに長けているということなのですね。
夢の中で危険が迫ったら、あえて「死ぬ」ことで目が覚める。死なないまでも、ある程度ショックを与える(これを「キック」という)ことで、夢から覚めることができる。ただ、夢を長く持続させるために強力な鎮静剤を使った場合、夢の中で死んでも、目が覚めないことがある。そうなると、その人は二度と目ざることのない「虚無」の世界に陥る、つまり「廃人」となってしまうという。こわー。映画でもそういう危機が何度か出て来ます。そういう時は、寝ている人に水をぶっかけて無理矢理目覚めさせる。…なんか単純で、イイ。目覚めは最悪そうだけど。
ところで、この映画では、日本人実業家・サイトー(渡辺謙)の企みで、エクストラクション以上のことをコブは請け負うことになる。それが「インセプション inception」。つまり、夢の中で、新しいアイディアを「植え付け」ること。要するに、サイトーは、ライバル社であるフィッシャー社の若き後継者ロバート(キリアン・マーフィー)に、「やる気」をなくさせようとするのです。ロバートの夢に忍び込んで、潜在意識にそういうアイディアを植え付ければ、もはやフィッシャー社は死んだも同然…。
ただ、インセプションを成功させるためには、ロバートの夢の中でさらに夢を見させ、その夢の中でも夢を見させるという、3階層まで入り込むことが必要。さすがのコブも、それは無理だと言うが、サイトーはコブの弱みをちゃんと握っていたのです。
後半の、この夢の3階層のシーンは、本当に目が離せない。おまけに、ことのなりゆきで、コブとアリアドネは第4の階層にまで落ちていくことになるというスリルもあり。幸いにも、4つの夢の設定がそれぞれ全く異なるシチュエーションなので、混乱することはない。さすが、クストファー・ノーラン。ノーラン監督といえば、「バットマン・ビギンズ」、「ダークナイト」のバットマン・シリーズで知られますが、私にとっては、「メメント」(2000年)や「フォロウィング」(1998年)の、ややこしいけど、徹底的に考えられた編集が印象に残る監督です。何度もDVDで見直すハメになるのだけれど、見るたびに新しい発見があって、すこぶる面白い。この映画も、DVDが出たらきっと何度も見てしまうでしょうね。
「アリアドネ」という名前にはっとしました。ギリシア神話に登場する“クレタ島の迷宮物語に登場する女性の名前です。迷宮ラビュリントスに潜む怪物ミノタウロスを倒すためにやってきたテセウスに恋をしたアリアドネは、テセウスが迷宮から戻ってこられるように、糸玉をテセウスに渡す。ミノタウロスを倒したテセウスは、糸をたどって迷宮から無事出てこられた…という物語。テセウスを救うための「設計」をしたのがアリアドネ、と考えると、この映画で、アリアドネは「夢の設計士」として、確かにコブの窮地を何度も救っています。
「糸玉」に当たるのが、あの「コマ」です。夢の中ではずっと回り続けるコマ。夢を自由に操ることができるコブでさえ、「ここからが夢だとわかる夢はない」と言います。夢と現実の境界は決して見ることができないのかもしれません。人間は、小さなコマを頼りにするしかないのです。
ほんとうに、あのラストシーンには背筋がぞっとしました…。
でも、すごい映画だとはわかりました。
こちらで解説を読んですごくよく分かりました。
本当に良く練られてる良い映画ですね。なんか、立体的というか。
レビュー拝見しました。
現代科学では、確かに不可能なことなのかもしれませんね。ま、映画だから許せるのかもしれません。
一応、つじつまはあっているような気がしますが、とりあえずもう一回見たいですね。
見に行きましたか?
ぜひ感想聞かせてね!