カクレマショウ

やっぴBLOG

「マイ・ブラザー」─人が人らしく生きられなくするのが戦争。

2010-08-15 | ■映画
BROTHERS”
2009年/米国/105分

【監督】 ジム・シェリダン
【脚本】 デヴィッド・ベニオフ
【オリジナル脚本】 スサンネ・ビア アナス・トーマス・イェンセン
【音楽】 トーマス・ニューマン 主題歌:U2「WINTER」
【出演】 トビー・マグワイア/サム・ケイヒル ジェイク・ギレンホール/トミー・ケイヒル ナタリー・ポートマン/グレース・ケイヒル サム・シェパード/ハンク・ケイヒル

(C)2009BrothersProduction,LLC.AllRightsReserved.

《2010年8月10日 シネマディクト》

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今日は終戦記念日でした。「先の戦争」というのが、日本では「太平洋戦争」、「日中戦争」を指すということの意味を改めて噛みしめたいと思います。「先の戦争」で尊い命を落とした日本人は310万人だという。終戦から65年たっても「戦没者追悼記念式典」がおごそかに執り行われ、甲子園でも球児や観客がそろって黙祷を捧げるシーンは、単なる「恒例行事」であることを通り越して、胸に響くものがあります。

幸いにも日本は65年間、戦争に関わっていませんが、世界を見渡すと、戦火はいまだ絶えず、犠牲者は引きも切らない。私たちは、いろいろな映画の中で、現在起こっている戦争の事実や背景、あるいは影響を知ることができます。で、言えるのは、「先の戦争」も、現代の戦争も、あるいは何百年前に起こった戦争も、「悲劇」をもたらすという点では何も変わらないということ。戦争には常に苦しみや悲しみがついて回る。当たり前のことですが、戦争は決して喜劇にはなり得ない。

この映画もまた、戦争がもたらす悲劇を描いています。2001年の「9.11」以来、テロリスト撲滅を掲げる米国(ブッシュ政権)によるアフガニスタンへの派兵。第二次世界大戦でも朝鮮戦争でもなく、ベトナムでもなく、ついこの前のことです。

デンマーク映画「ある愛の風景」(2004年)をジム・シェリダン監督がリメイクしたもの。「家族(兄弟、夫婦、親子)の絆」というテーマ、ストーリーや各シーンのつくりはほぼオリジナルと同じです。違うのは、「視点」か。オリジナルが、あくまでも「兄弟」からの視点なのに対して、リメイク版のほうは「兄の妻」からの視点に少しばかり重きが置かれているような気がします。

本作でその「兄の妻」を演じているのが、ナタリー・ポートマンです。「レオン」で鮮烈にデビューした彼女、いろんな映画に出て、間違いなく「いい女優」に成長してきていますね。女優は顔の美しさだけじゃないということを、彼女を見ているとつくづく思う。もちろん、彼女は超美形ではありますが、それに溺れない強さをナタリー・ポートマンは持ち合わせている。この映画でも、ラストシーンの表情の素晴らしさといったら! ある評論家が「菩薩」と評していましたが、ほんとうに、あんな表情に包み込まれたらどんなに幸せなことでしょう…!



この映画はもちろんナタリー・ポートマンだけの映画ではありません。「兄」を演じるトビー・マグワイアも素晴らしい。トビー・マグワイアといえば、「スパイダーマン」ですが、そっちの新作を断ってまで、この映画に出演を希望したのだとか。「兄」サムは、米国海兵隊員としてアフガニスタンに赴き、そこでの体験が彼の性格をすっかり変えてしまう。その変貌ぶりを、彼はこん身の演技で見せてくれます。げっそりにこけた頬、抑揚のない話し方、血の通わない瞳、「キレた」時の暴虐さ。ベトナム戦争など、戦争帰りで人が変わってしまった例は、米国の映画でもたくさん出てきますが、これほど見事な変貌ぶりを見せてくれた映画を私は知らない。

そして、もう一人、「弟」トミー役のジェイク・ギレンホールもまたすごいんです。初主演映画「遠い空の向こうに」(1999年)ではロケットに賭ける高校生をさわやかに演じ、「ブロークバック・マウンテン」(2005年)では同性愛者の葛藤を演じ切ったギレンホール。この映画では、「弟」という立場ゆえの、様々な苦悩を表現してくれています。まず、何かにつけ優秀な兄と比較される「出来の悪い弟」の苦悩。出征した兄の留守中、募る兄嫁への思い。そして、それでも変わらない兄への愛情…。「弟」っていろいろ大変デス。

兄が戦死したという知らせを受けて、ショックにうちひしがれる父(サム・シェパード)に対し、トミーは言う。「自分が代わりに死ねばよかった…」。なんて悲しいセリフでしょうか。決して、父に対する皮肉なんかじゃなく、トミーは心からそう思っている。それが悲しいのです。そのことを、ギレンホールはちゃんと分かって演じている。それが素晴らしい。

さて、アフガニスタンでサムがタリバンから受けたすさまじい仕打ちについて書きます。

サムは撃墜され、死亡したとされるのですが、実は、部下と二人、生き延びてタリバンの捕虜になっていました。タリバンは、二人に「アメリカはアフガニスタンから去れ」とビデオカメラの前で語らせる。それをネットで世界中に流すつもりなのでしょう。さらに、サムに対して、部下の二等兵を殺せと命じる。「家族のもとに帰りたいなら、殺せ」と。

もし、自分がああいう場面に遭遇したら、いったいどうするだろう、と考えました。銃を頭に突きつけられて、殺せばお前を生かして帰してやる、と言われたら、サムのように狂気に駆られて部下をめった打ちにできるだろうか。

自分には、たぶん「殺せない」と思いました。そういうことをするくらいなら、「死んだ方がマシ」というのが結論。「帰してやる」というのもとても信じられない話だし、タリバンの狙いは、「同僚を殺す米国兵」の映像を世界に流したいだけなのですから。部下を殺しても、殺さなくても、どうせ死ぬならせめてもの抵抗を見せて死にたい…と思う。

…なんて、サムのように、厳しい訓練と鍛錬を積んだ人でさえ、あの狂気のもとでは、タリバンの「悪魔のささやき」を一蹴することができなかったことを思えば、自信がある!と胸を張って言えないのでありますが、少しばかりの矜持は最後まで持っていたいと思うのでした。

サムは、矜持を捨ててしまったばかりに、あれほど苦しむことになる。人間が人間らしく生きられなくするのが戦争。人が「正当に」殺されたり死んだりするのが戦争。残された家族が悲しみにうちひしがれるのが戦争。でも、矜持を失って自分を見失ってしまっても、なお生きていかなければならない人をつくってしまうことも、戦争のもたらす大きな悲劇なのです。

しかし、グレース(ナタリー・ポートマン)は、「菩薩」として、ちゃんとサムを包み込んでいくことでしょう。もちろん、トミーも。それがせめてもの救い。

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