カクレマショウ

やっぴBLOG

「中央」と「地方」

2007-05-19 | ■社会/政治
今日NHKで放送されていた「日本の、これから」という番組、斜め見していました。NHKお得意のスタジオ討論の形式で、地方の衰退を止めるには…というテーマです。

のっけに、あなたは現在の地方と東京など大都市圏との格差をどう思うか、という質問。選択肢が「1 問題である」と「2 しかたがない」の2つしかないことにまず驚く。というより、そもそも「問題である」ということを前提とした番組ではなかったのか?と思う。スタジオに集まった一般人も、携帯電話からの視聴者からの回答も、圧倒的に「問題である」という方が多いのは当然でしょう。ただ、有識者としてセンターに座る5~6人の中では、大学の先生2名ほどが「しかたがない」方に手を挙げていました。

司会者は、スタジオの一般人に次々と指名し、意見を求めていく。「しかたがない」と回答した人もけっこう指名されていました。有識者も含めて、そのほとんどが、「自由競争社会なのだから、豊かなところをそうでないところの差が出るのは当然で、魅力のある方へ人口が移動するのも、人間の心理からすれば当たり前」という意見だったように思います。それは確かに一理はありますが、そう言ってしまったら、「格差をどう埋めていくのか」という議論には発展しようがないし、逆に格差が拡大することを容認しているようにも受け取れます。

スタジオで発言していた一般人の方々は、いきなり指名されて、数十秒の時間で自分の意見を言うのも大変だろうなと思いつつも、そのほとんどは「番組進行の大勢にはほとんど影響のない」意見ばかり。こういうのって意味あるのかな?と思います。確かに、気になる発言をする人も2~3人いましたが、胸に名前(名字)と職業、年齢を書いた名札をつけているだけでは、彼らの意見の「バックグラウンド」が見えないので、聞いていて「中途半端」な感じがして仕方がないのです。つまり、同じ意見でも、どういう立場で、どういう価値観を持った人の意見なのかによって、納得できたりできなかったりするものだと思うからです。顔や職業や年齢だけから、バックグラウンドを推測するのは到底不可能です。結局、彼らのせっかくの意見も、番組の「流れ」の中に埋もれていってしまう。

そういう意見を聞いている時間があったら、むしろ事前の街頭インタビューをきちんと整理した上で、できるだけたくさんの「データ」として紹介するとか、「バックグラウンド」がある程度推測でき、知見(今日の番組で言えば、研究者や作家、元政治家としての見識や経験)も豊かな方々の意見を聞く時間を多く取った方がよっぽど意味があるのではと思いました。

それはともかくとして、この番組、最後まで見ることができなかったのですが、私としては、「格差があるのは仕方がない」という考えには賛成できないし、ましてや、地方には自己責任のもとでがんばってもらえばいいとか、東京は世界的に見れば「負け組」なのだからまずは東京を発展させることこそ優先すべき、という考えにもまったく反対です。

制度的には、地方分権から「地方主権」に本格的に移行するようなシステムが必要だし、もっと地方の「良さ」をみんなが認め合えるような価値観の醸成も必要。つまり、なんでもかんでも「東京と比較しない」ということです。「東京」の物差しですべてを測る癖をなくすこと。地方はそれぞれに独自の物差しを持つこと。その上で、何ができて何ができないのかを「地方」の人が本気になって考えていけばいいのではないでしょうか。

それにしても、「中央」と「地方」って何なんでしょうね。かつて、伊奈かっぺい氏がよく言っていた、青森駅前のりんご市場の「地方発送承ります」という貼り紙の「地方」って、「東京」も入るんだよねという小話がありましたが、まったくその通りで、いつまで「中央」だの「地方」だのって言ってなくちゃならないんだろう。

東京は「政治」的には「中央」であってもいいのですが、そのほかの部分で「中央」である必然性はまったくない。どこかの「地方」がある分野の「中央」であってもいいし、また、どの「地方」もそれぞれが「中央」であってもいい。「中央」とか「地方」という考え方自体が「東京中心」の考え方なのかもしれませんね。

 

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