この本では、「基本的な職業観・勤労観の構築」が大切であり、そのキーワードとして「人間力」を掲げています。つまりは「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」。
この「人間力」の形成をベースとしたキャリア教育を行うこと、これは、欧米各国のキャリア教育でも既に取り組まれてきたことだと言います。さらに、欧米の取組に共通しているのは、「発達段階ごとに異なる明確な目標を明らかにして取り組んでいること」、「学校の中だけでなく、家庭、企業を含む地域社会ぐるみで、広く協力関係を打ち立てていること」が挙げられています。後者については欧米の具体的な取組の姿には触れられていないのが残念ですが、それについては別の本を読めということですね。
キャリア教育については、さらに「学力との関係」についても言及されています。学校の先生からよく聞くのですが、キャリア教育なんかをやろうと思うと、保護者から「そんな時間があったらもっと授業を進めてほしい」という声が聞かれることがあるのだとか。ただでさえ「ゆとり教育」で基礎学力が低下傾向にある今、「キャリア教育は、学習時間の浪費であるという批判」が出てくることもわからないでもない。「しかし、本来的なキャリア教育は、基礎学力の向上に資するものであっても、障害となるものではない」「自分を理解し、現実社会および将来に向けた学習の有意性を認識することで、学力向上への強い動機が生まれる。学力向上と職業観・勤労観の構築は、代替的な目標ではなく、補完的な関係なのである」。
これは私もかねがね考えていたことですが、キャリア教育で将来の夢や希望を具体的に「カタチ」にしていくことによって、どんな勉強をすべきかが見えてくると思うのです。闇雲に「勉強しろ」と言われても子どもたちだってその気になれないかもしれないけれど、「何のために勉強するのか」という動機付けがベースにあるとしたら、「やりがいのある勉強」ができるのではないのでしょうか。「学力の向上」は、「結果」としてそのあとについてくるだけです。子どもたちには将来の自分のキャリアが見え、しかもそのために最低限必要な学力も身に付く。一石二鳥です。
この本の最後の節は、私がこれまで考えたことのなかった新しい視点を提示してくれる内容でした。「企業経営者は教壇に立て!」です。
曰く、「企業経営者は、キャリア教育の推進にあたって重要な当事者の一員であることを自覚すべきである」、「まず私たち企業経営者が、『人間力』の形成を通した職業観、勤労観の構築の重要性について理解を深め、広くキャリア教育への強力な支持を表明することが必要」。こういう観点が「企業経営者」自身の側から出ていることがうれしい。
また、なるほどなと思ったのは、「社員が保護者や地域住民の立場でキャリア教育に参加することを積極的に評価し、支援するような社内の環境整備も行う必要がある。…(中略)…経営者から求められて業務の一環としてキャリア教育に携わるのではなく、みずからが当事者意識を持って自発的、積極的に関わっていくことが不可欠」。 ─うん! これですね。企業のCSRがどうのこうの言う前に、経営者自身も含めて、社員は社員である前に、保護者であり、地域社会の一員なのです。そこからスタートしなければ、いくら「地域ぐるみのキャリア教育」を叫んだところで、長続きはしないでしょう。要するに、社会のあらゆる大人が、「大人」として子どもたちのキャリア形成に関わっていくことが必要なのですね。
『ニッポン「起業」学』>>Amazon.co.jp
この「人間力」の形成をベースとしたキャリア教育を行うこと、これは、欧米各国のキャリア教育でも既に取り組まれてきたことだと言います。さらに、欧米の取組に共通しているのは、「発達段階ごとに異なる明確な目標を明らかにして取り組んでいること」、「学校の中だけでなく、家庭、企業を含む地域社会ぐるみで、広く協力関係を打ち立てていること」が挙げられています。後者については欧米の具体的な取組の姿には触れられていないのが残念ですが、それについては別の本を読めということですね。
キャリア教育については、さらに「学力との関係」についても言及されています。学校の先生からよく聞くのですが、キャリア教育なんかをやろうと思うと、保護者から「そんな時間があったらもっと授業を進めてほしい」という声が聞かれることがあるのだとか。ただでさえ「ゆとり教育」で基礎学力が低下傾向にある今、「キャリア教育は、学習時間の浪費であるという批判」が出てくることもわからないでもない。「しかし、本来的なキャリア教育は、基礎学力の向上に資するものであっても、障害となるものではない」「自分を理解し、現実社会および将来に向けた学習の有意性を認識することで、学力向上への強い動機が生まれる。学力向上と職業観・勤労観の構築は、代替的な目標ではなく、補完的な関係なのである」。
これは私もかねがね考えていたことですが、キャリア教育で将来の夢や希望を具体的に「カタチ」にしていくことによって、どんな勉強をすべきかが見えてくると思うのです。闇雲に「勉強しろ」と言われても子どもたちだってその気になれないかもしれないけれど、「何のために勉強するのか」という動機付けがベースにあるとしたら、「やりがいのある勉強」ができるのではないのでしょうか。「学力の向上」は、「結果」としてそのあとについてくるだけです。子どもたちには将来の自分のキャリアが見え、しかもそのために最低限必要な学力も身に付く。一石二鳥です。
この本の最後の節は、私がこれまで考えたことのなかった新しい視点を提示してくれる内容でした。「企業経営者は教壇に立て!」です。
曰く、「企業経営者は、キャリア教育の推進にあたって重要な当事者の一員であることを自覚すべきである」、「まず私たち企業経営者が、『人間力』の形成を通した職業観、勤労観の構築の重要性について理解を深め、広くキャリア教育への強力な支持を表明することが必要」。こういう観点が「企業経営者」自身の側から出ていることがうれしい。
また、なるほどなと思ったのは、「社員が保護者や地域住民の立場でキャリア教育に参加することを積極的に評価し、支援するような社内の環境整備も行う必要がある。…(中略)…経営者から求められて業務の一環としてキャリア教育に携わるのではなく、みずからが当事者意識を持って自発的、積極的に関わっていくことが不可欠」。 ─うん! これですね。企業のCSRがどうのこうの言う前に、経営者自身も含めて、社員は社員である前に、保護者であり、地域社会の一員なのです。そこからスタートしなければ、いくら「地域ぐるみのキャリア教育」を叫んだところで、長続きはしないでしょう。要するに、社会のあらゆる大人が、「大人」として子どもたちのキャリア形成に関わっていくことが必要なのですね。
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