007シリーズ21作目、だそうです。今回は若き日のジェームズ・ボンドが描かれます。といっても、9.11は出てくるは、使ってるパソコンにはしっかりVAIOのマークが見えるはで、時代は現代なのですよ。単にボンド役を変えただけ、ではない、新しい007シリーズの始まりさえ予感させてくれる映画です。
近所のおやじさんが007の大ファンで(特にショーン・コネリー版)、半ば無理矢理007シリーズのDVDを貸してくれたことがありました。テレビで放映されたときしか見たことのなかった私も、ついに007の名作を「ちゃんと」見られたのでした。
第1作「007 ドクター・ノオ」 (1962年)
第2作 「007 ロシアより愛をこめて」 (1963年)
第3作「007 ゴールドフィンガー」 (1964年)
第4作「007 サンダーボール作戦」(1965年)
第5作「007は二度死ぬ」(1967年)
第7作「007 ダイヤモンドは永遠に」 (1971年)
第6作「女王陛下の007」のボンド役はジョージ・レーゼンビー。その後、第8作から第14作までの7作品はロジャー・ムーア、第15作・第16作はティモシー・ダルトン、そして第17作から第20作までの4作品はピアース・ブロスナンがそれぞれボンドを演じています。このほか、番外編として、このシリーズから離れていたショーン・コネリーが12年ぶりにボンドを演じた「ネバーセイ・ネバーアゲイン」(1983年)という作品があります。
007シリーズのそもそもの原作者は、英国のスパイ小説家イアン・フレミングです。彼が1953年から亡くなる1964年までの間に書いた長編12作のうち、11編までが映画化されています。特にショーン・コネリー版はすべてフレミング原作となっています。実は、残りの1編が、今回映画化された「カジノ・ロワイヤル」(1953年)なのです。これは、ジェームズ・ボンドが初めてこの世に送り出された記念すべき作品であるにもかかわらず、007シリーズを生み出してきたイオン・プロダクションが映画化の権利を押さえることができなかった作品なのだとか。1967年に、全く別のプロダクションによってコメディとして映画化されたらしいのですが、今回、正式な007シリーズとして初めて映画化されることになったものです。
というわけで、ジェームズ・ボンドの「誕生秘話」的な要素もあり、これまでのボンドのイメージとは違う部分も多々あります。若き日のボンドを演じるダニエル・クレイグがなかなかよろしい。若いんだか年食ってるのかわからない顔、しかもどう見ても悪役の方が似合いそうな顔ではありますが、新しい「現代版ボンド」としてはけっこうはまり役なのではないでしょうか。まだまだとらえどころのないボンドなので、なんとなく落ち着かないところは仕方ないところ。ショーン・コネリーと比較しちゃかわいそうです。ラストショットのキメポーズもかっこよかったし、次回作に期待をつないでくれました。
結局のところ、このシリーズは「冷戦」が背景にあってこそのシリーズだったのだと思います。ソ連をはじめとする東側陣営をきっぱり「悪役」として描くことができたこそ、ボンドのからだを張った活躍ぶりも生きてくるというもの。あの時代、このシリーズの新作が出るたびに「緊張緩和のバロメーター」とされたくらいですから。しかし、冷戦が終結し、新たな国際的な課題が山積している現代には、現代にふさわしいボンドが必要なのです。この映画では「テロリストに資金を供給する男」が悪役とされているわけですが、そういう意味では、まだまだ背景が描き切れていない部分が多すぎます。
娯楽映画として見れば、冒頭の、まるでジャッキー・チェンばりの軽業アクションや、ボンドカーが横転するシーンとか、アクションシーンはそれなりに見どころあります。しかし、特に前半が説明不足でどんどん進んでしまうのでついていけない。一番の見せ所であろうカジノのシーンも、ゲームのルールをよく知らないせいで置いてけぼりされるという不満だけでなく、そもそも手に汗握るような緊迫感が全く伝わってこない。カジノであれだけ大金賭けてるんだから、もっとスリリングでドキドキでハラハラのはずでしょ? そこをちゃんと描かなければ「カジノ・ロワイヤル」じゃないでしょう。そもそも。
私にとっては、ヴェニスの浮き家?が沈むシーンが見ていて一番惹きつけられました。
ところで、「007」の読み方ですが、日本では、石ノ森章太郎の「サイボーグ009」という漫画の影響か、「007」を「ゼロゼロセブン」と呼ぶ人も多いようです。しかしこちらは、「ダブルオーセブン」と呼ぶのが正しいみたいですね。
近所のおやじさんが007の大ファンで(特にショーン・コネリー版)、半ば無理矢理007シリーズのDVDを貸してくれたことがありました。テレビで放映されたときしか見たことのなかった私も、ついに007の名作を「ちゃんと」見られたのでした。
第1作「007 ドクター・ノオ」 (1962年)
第2作 「007 ロシアより愛をこめて」 (1963年)
第3作「007 ゴールドフィンガー」 (1964年)
第4作「007 サンダーボール作戦」(1965年)
第5作「007は二度死ぬ」(1967年)
第7作「007 ダイヤモンドは永遠に」 (1971年)
第6作「女王陛下の007」のボンド役はジョージ・レーゼンビー。その後、第8作から第14作までの7作品はロジャー・ムーア、第15作・第16作はティモシー・ダルトン、そして第17作から第20作までの4作品はピアース・ブロスナンがそれぞれボンドを演じています。このほか、番外編として、このシリーズから離れていたショーン・コネリーが12年ぶりにボンドを演じた「ネバーセイ・ネバーアゲイン」(1983年)という作品があります。
007シリーズのそもそもの原作者は、英国のスパイ小説家イアン・フレミングです。彼が1953年から亡くなる1964年までの間に書いた長編12作のうち、11編までが映画化されています。特にショーン・コネリー版はすべてフレミング原作となっています。実は、残りの1編が、今回映画化された「カジノ・ロワイヤル」(1953年)なのです。これは、ジェームズ・ボンドが初めてこの世に送り出された記念すべき作品であるにもかかわらず、007シリーズを生み出してきたイオン・プロダクションが映画化の権利を押さえることができなかった作品なのだとか。1967年に、全く別のプロダクションによってコメディとして映画化されたらしいのですが、今回、正式な007シリーズとして初めて映画化されることになったものです。
というわけで、ジェームズ・ボンドの「誕生秘話」的な要素もあり、これまでのボンドのイメージとは違う部分も多々あります。若き日のボンドを演じるダニエル・クレイグがなかなかよろしい。若いんだか年食ってるのかわからない顔、しかもどう見ても悪役の方が似合いそうな顔ではありますが、新しい「現代版ボンド」としてはけっこうはまり役なのではないでしょうか。まだまだとらえどころのないボンドなので、なんとなく落ち着かないところは仕方ないところ。ショーン・コネリーと比較しちゃかわいそうです。ラストショットのキメポーズもかっこよかったし、次回作に期待をつないでくれました。
結局のところ、このシリーズは「冷戦」が背景にあってこそのシリーズだったのだと思います。ソ連をはじめとする東側陣営をきっぱり「悪役」として描くことができたこそ、ボンドのからだを張った活躍ぶりも生きてくるというもの。あの時代、このシリーズの新作が出るたびに「緊張緩和のバロメーター」とされたくらいですから。しかし、冷戦が終結し、新たな国際的な課題が山積している現代には、現代にふさわしいボンドが必要なのです。この映画では「テロリストに資金を供給する男」が悪役とされているわけですが、そういう意味では、まだまだ背景が描き切れていない部分が多すぎます。
娯楽映画として見れば、冒頭の、まるでジャッキー・チェンばりの軽業アクションや、ボンドカーが横転するシーンとか、アクションシーンはそれなりに見どころあります。しかし、特に前半が説明不足でどんどん進んでしまうのでついていけない。一番の見せ所であろうカジノのシーンも、ゲームのルールをよく知らないせいで置いてけぼりされるという不満だけでなく、そもそも手に汗握るような緊迫感が全く伝わってこない。カジノであれだけ大金賭けてるんだから、もっとスリリングでドキドキでハラハラのはずでしょ? そこをちゃんと描かなければ「カジノ・ロワイヤル」じゃないでしょう。そもそも。
私にとっては、ヴェニスの浮き家?が沈むシーンが見ていて一番惹きつけられました。
ところで、「007」の読み方ですが、日本では、石ノ森章太郎の「サイボーグ009」という漫画の影響か、「007」を「ゼロゼロセブン」と呼ぶ人も多いようです。しかしこちらは、「ダブルオーセブン」と呼ぶのが正しいみたいですね。
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