ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

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昭和40年代前半の鉄道写真(42・ 近鉄)

2015-03-11 | 昭和40年代の鉄道(近鉄)

<近鉄>旧ビスタカー

昭和40年から44年に撮影した近鉄電車の記録を、<近鉄>として形式別に掲載する。

鉄道写真を始めた原点は、少年時代に一番魅力を感じていた近鉄特急を何としても撮りたかったことにある。
初回は、最優先で撮影したかった旧ビスタカー。撮影時はデビューしてから約10年が経過していた。

昭和33年、初代ビスタカー10000系が運行開始した。国鉄のビジネス特急こだまが登場した年である。
カルダン駆動方式、空気バネ台車、軽量構造の高性能車で、電車では世界初となる2階建車両を連結した。

大阪寄りからモ10001・02・ク03・サ04・ク05・モ06・07の7両固定で1編成のみの製造。
翌年の34年から量産される新ビスタカーの試作車であり、当時は旧ビスタカーと呼ばれていた。

2灯シールドビーム採用の流線形で高床運転台の先頭車は、日本の電車とは思えない独特のスタイルである。
オレンジとダークブルーのツートンカラーは、以後、近鉄特急車の塗色とされて歴史を重ねることになった。
当初の塗分けは側面窓回りがオレンジであったが、撮影時は新ビスタカーに合わせて塗替え後の姿である。

撮影当時は伊勢路号のマークをつけていた

1968.7 上本町駅

旧ビスタカーは、33年7月、上本町・宇治山田間2往復に投入されて運行を開始、46年に廃車された。
後述する名古屋線改軌後も同線では運行されず、名古屋在住の当時は伊勢中川の先まで行かないと出会えなかった。
容易に行くことはできず、初撮影は42年3月の松阪駅であった。

モ10001先頭の上本町行7両編成

1967.3 松阪駅

モ10001先頭の上本町行5両編成

1967.4 松阪駅

内蔵した空調装置で運転台上部が盛上がった形状、車体軽量化の一環で4枚折戸を採用
 

複層ガラスを使用した大型の固定窓、室内は回転式クロスシート

1967.3 松阪駅

基本7両固定編成ではあるが、乗客数によって2両を外した5両の短縮編成でも運行されていた。

最後尾が中間車ク10005の上本町行5両編成

1967.4 松阪駅

中間3両のク03・サ04・ク05は3両2連接で両端が2階建、中央扉のあるサ04に集中式冷房装置を搭載

1969.1 松阪駅

2階部分は屋根上にドームが突出した形状

1967.3 松阪駅

41年11月12日、大阪線河内国分駅で待避中の準急に上本町発宇治山田行特急が追突する痛ましい事故が発生した。
名古屋の夕刊のトップで大きく新聞報道され、報道写真を見て事故車が1編成のみの旧ビスタカーであることを知った。

念願の旧ビスタカーの写真を撮る前の出来事である。伊勢方面への先頭車モ10007の前面はこの事故で大破した。
したがって撮影時は、当時登場した18200系に似た貫通式に大幅改造後である。

改造後のモ10007が最後尾の上本町行7両編成

1967.3 松阪駅

モ07の4枚折戸は廃止


2基の冷房装置が取付けられた先頭車と次位車のダクト連結部

1968.7 上本町駅


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