ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(40・北陸線交直セクションの繋ぎ役)

2015-03-06 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

北陸線交直セクションの繋ぎ役(最終回) 米原機関区

昭和43年5月26日、田村から米原に向かう途中、米原機関区に立ち寄って休廃車されたD50を見てきた。

デフレクターに縁取りがあるD50ー249は休車扱い   






他に姿があったのは廃車されたD50-201 米原機関区の緑ナンバープレート

1968.5 米原機関区


この年の8月、もう一度米原機関区を訪れると、D50は第二種休車のD50ー131の姿しか見られなかった。
10月のダイヤ改正で米原・田村間はディーゼル機関車に置換えられ、同機関区のD50は年内に全て廃車された。

長野工場式デフのD50-131




機関区には無煙化に備えて北陸線での復活を待つDD50が留置され、歴史の巡り合わせを感じさせた。
DD50は28年から6両が製造され、そもそも当初は敦賀機関区の配属で電化前の米原・敦賀間で運用されていた。

米原機関区に留置されたDD50ー1



1968.8 米原機関区

米原地区の蒸気機関車終焉が迫るなか、最後に撮影したD51の米原出発である。東海道線の貨物列車に被ってしまった。

D51-658牽引の下り旅客

1968.8 米原駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(39・北陸線交直セクションの繋ぎ役)

2015-03-03 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

北陸線交直セクションの繋ぎ役  田植の頃・米原の機関車交換

昭和43年5月26日の続編。米原駅まで戻ると東海道線から北陸線に入る臨時列車の機関車交換作業が始まった。

米原まで牽引したEF58ー170の切離し


入替線からD50-328が登場




D50-328は集煙装置、重油併燃装置付


バックして連結


機関車の交換を終えて米原出発を待つ 辺り一面に煙が充満した


先程出発したD50-328が上り旅客列車を牽引して戻ってきた。

糸魚川からの上り234レが米原到着 テンダーに重油併燃装置のD51ー383とD50ー328の重連






下り糸魚川行243レの米原出発 集煙装置、重油併燃装置付長野工場式デフのD51ー501が牽引



1968.5 米原駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(38・北陸線交直セクションの繋ぎ役)

2015-02-28 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

北陸線交直セクションの繋ぎ役  田植の頃・D51へ主役交代

昭和43年5月26日の続編である。田村での機関車交換を撮ってから、前回と逆ルートを辿って米原まで歩いた。
前回とは打って変わり、沿線は田植が終わって間もないさわやかな日。まだ現役であったD50の撮影に間にあった。

米原機関区に配属の7両のD50は、休廃止が進行して稼働していたのは2両(300、328)になっていた。
一方、D51は3両(383、501、785)が配属されて、半間間ですっかりで主役が交代していた。

下り貨物牽引のD50ー300


金沢からの上り226レ牽引のD50-300が逆行で田村を出発


D51ー785、D50ー328重連の下り回送 いずれも集煙装置、重油併燃装置装備




上り貨物牽引のD51-785


下り急行第2"加賀"が行く

1968.5 北陸線 坂田・田村

この区間の中間にある坂田は当時から無人駅であった


新津行下り523レ牽引のD51-383


富山からの上り532レ牽引のD50ー328




上り貨物牽引のD51ー383 重油併燃装置の大型タンクをテンダーに装備


下り貨物牽引の長野工場式デフのD51ー501


下り貨物牽引のD51ー785 長野機関区の白ひげ塗装


長大編成のキハ58系下り急行"きたぐに"、"奥能登"併結

1968.5 北陸線  米原・坂田

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昭和40年代前半の鉄道写真(37・北陸線交直セクションの繋ぎ役)

2015-02-24 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

北陸線交直セクションの繋ぎ役  田植の頃・田村の機関車交換

昭和43年5月26日、前回から半年を経て再び湖東のこの地を訪れた。
名古屋から普通電車を乗り継いで、米原から長野行普通列車に乗った。機関車はD51に主役が交代していた。

米原出発を待つ下り長野行622レ 集煙装置、重油併燃装置付で長野工場式デフのD51ー501が牽引


客車先頭部より

1968.5 米原駅

田村到着後の機関車交換作業の様子である。

D51-501の切離し 米原方面を望む


待機していたED70ー5が連結に向かう 右は上りホーム


田村以北を牽引するED70ー5 雪害による塗装の痛みが激しい


D51ー501は上り貨物を牽引して逆行で米原操車場に向けて発車



1968.5 田村駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(36・北陸線交直セクションの繋ぎ役)

2015-02-22 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

北陸線交直セクションの繋ぎ役  再び雪の湖東へ・D50の時代

昭和42年12月25日、再び米原・田村間を訪れた。前回から2年が経過していた。
名古屋から急行"比叡"1号に乗り米原到着は8時40分。辺り一面銀世界で小雪舞う北国街道を田村に向けて歩いた。

交直両用電気機関車ED30は、この年の5月にすでに転出済みであり、当時の主役はD50であった。
D50は9600形の後継機として大正末期から昭和6年までに貨物用蒸気機関車として380両が製造されている。

米原機関区には7両のD50(131、200、201、249、300、328、350)が配属されていた。
すでにD51の配備が始まっていて、うかうかしているとD50が次々に廃車されていく頃であった。

集煙装置を付けたD50ー328が米原駅構内回送中    後方は上り急行"くずりゅう"

1967.12 米原駅

北陸線下り長野行622レ牽引のD50-300 米原を出発して新幹線交差地点を力走


しばらく先に進むと、先行して田村に向かっていたD50ー328が上り貨物列車を牽引して戻ってきた。
田村では機関車の向きを変えられないので、上り列車は全て逆行運転になる。

上り貨物牽引のD50ー328  


雪が降り続くなか、琵琶湖に流れ込む天野川の鉄橋付近でしばし寒さに耐えながら下り貨物列車を待った。
この区間の最大勾配は10‰しかないが、冷込みがきついのでよい煙が期待できるはずである。
米原構内奥の操車場を発車する汽笛が聞こえ、やがて長い編成の貨物を牽引してD50が姿を見せた。

下り貨物牽引の長野工場式デフを付けたD50ー131




金沢からの上り226レを牽引して逆行で戻ってきたD50ー131


上り貨物牽引のD50-300

1967.12 北陸線 米原・坂田

田村近くまで歩いてくると、漸く雪が降り止んだ。

交直セクションを通過してきた下り新津行523レ牽引のD50-328


交流電気機関車が待機する田村駅遠景 上り貨物を牽引して逆行で戻るD50ー328が発車


D50-328は集煙装置、重油併燃装置を装備


下り貨物牽引のD50―131


富山発大阪行532レ牽引のD50ー300が田村を発車    


この区間では交直両用電車の他、気動車も見られ多彩であった。
特急気動車"白鳥"は(5)、交直両用特急電車は(12)、交直両用急行電車は(13)に掲載している。

長大編成のキハ58系下り急行"きたぐに"、"奥能登"併結

1967.12 北陸線 坂田・田村

キハ58系下り急行"大社"

1967.12 北陸線 米原・坂田

長野機関区から転属されたD51ー501がD50-328と並ぶ

1967.12 田村駅

第一種休車のD50ー201 化粧煙突に直角のデフレクター

1967.12 米原駅

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