ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(61・無煙化が進行する高山線美濃太田⑤)

2015-11-23 | 昭和40年代の鉄道(高山線他)

太多線のC58

太多線は岐阜県内の多治見・美濃太田間を結ぶ18キロ足らずの路線である。
昭和43年3月当時、美濃太田の高山寄りでは、多治見に向けて出発する太多線の上り貨物列車が見られた。
牽引するのは美濃太田機関区のC58、貨車編成は短くせいぜい15両までであった。


C58-142[美]の美濃太田駅構内の貨車入換作業




太多線を出発


C58-280[美]の貨車入換作業

1968.3 美濃太田駅


真夏の牧峠

太多線根本・姫間にある牧峠は、前後に最大20‰の勾配区間がある。
43年7月14日、真夏で煙は期待できないものの峠に向かうC58を撮りに行った。

S字カーブを登ってくる上り貨物列車が狙いであったが、撮影場所を探しているうちに列車が来てしまった。
臨機応変に対応できず、中途半端な写真が残っていた。兎に角暑い日であったと記憶している。
13時台に美濃太田発の2本の貨物列車が走っていたが、後発が運休で撮り直しもできなかった。

C58-169[美]牽引の太多線上り貨物



1968.7 太多線 姫・根本

多治見で折り返してきたC58―169の下り貨物   小泉で上りDCと交換待ち停車中

1968.7 太多線 小泉駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(60・無煙化が進行する高山線美濃太田④)

2015-11-20 | 昭和40年代の鉄道(高山線他)

高山線の気動車

昭和43年3月当時、高山線の急行は全て気動車で、普通列車も大半が気動車であった。
10月の岐阜・高山間の無煙化後にDD51が牽引していた客車列車は、翌年に気動車化された。


美濃太田に入線する上り急行"ひだ"2号    最後尾は長大編成対応のキハ58-1050

1968.3 美濃太田駅

キハ58系、55系の混成11両の上り臨時急行"ライン"

1968.3 美濃太田・坂祝

名古屋発着の定期急行は"加越"、"ひだ"であり、越美南線の北濃行の急行"おくみの"が名古屋・美濃太田を"ひだ"に併結して運行された。
この他に大阪・高山間に"のりくら"、循環列車の"しろがね"、"こがね"が設定されていた。

この年10月のダイヤ改正でキハ82系による特急"ひだ"が運行を開始、急行は"のりくら"に統一して改称されている。






1967.10 名古屋駅

岐阜から美濃太田を経由して太多線に入り多治見に向かう気動車は当時から運行されていた。

キハ30先頭の下り太多線多治見行普通DC

1968.3 坂祝・美濃太田

キハ58系、55系、35系混成上り岐阜行普通DC


美濃太田から越美南線に向かうキハ17系4連普通DC    前部58系2連は急行"おくみの"用増結車と推定される

1968.3 美濃太田駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(59・無煙化が進行する高山線美濃太田③)

2015-11-18 | 昭和40年代の鉄道(高山線他)

D51と貨物列車

昭和43年3月当時、高山線の貨物列車は、美濃太田機関区のC58と高山機関区のD51が牽引していた。
この日、岐阜からD51が牽引する下り貨物列車がやってきた。


D51-338[高]牽引の下り貨物

1968.3 坂祝・美濃太田

おそらく臨時貨物で美濃太田に45分停車後、高山線を北上していった。
この先急勾配が控えている訳でもないが、爆煙の発車風景、C58とは迫力が違う。
フイルムは当然手動巻きだが、何枚か撮れた。駅で撮る楽しみはここにある。

D51-338の高山線下り貨物







1968.3 美濃太田駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(58・無煙化が進行する高山線美濃太田②)

2015-11-14 | 昭和40年代の鉄道(高山線他)

機関区とC58

美濃太田駅を西へ400m程行くと美濃太田機関区があった。
配属されたC58のナンバープレートは、名古屋機関区と同じ赤色に塗装されていた。

昭和43年3月当時、美濃太田機関区のC58は、高山線の旅客列車及び岐阜・美濃太田間の貨物列車の一部、
太多線の貨物列車で運用されていた。
その後、10月に岐阜・高山間が無煙化されてからは、美濃太田構内の貨車入換に1年間使用されたようである。


美濃太田機関庫   C58とDD51の姿も


ターンテーブル上のC58と扇形機関庫


C58-280[美]と給炭槽、右にガントリークレーン


DD51-559と並ぶC58(機番不明)


美濃太田を出ると、岐阜方向は15‰の上り勾配になる。
前照灯がシールドビーム化された美濃太田機関区のC58が貨物列車を牽引してきた。

C58牽引の上り貨物



1968.3 美濃太田・坂祝

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昭和40年代前半の鉄道写真(57・無煙化が進行する高山線美濃太田①)

2015-11-11 | 昭和40年代の鉄道(高山線他)

C58と旅客列車

昭和43年3月10日、高山線の美濃太田周辺を訪れた。
美濃太田は、高山線の起点である岐阜から東約27キロにあり、美濃加茂市の中心である。
分岐する越美南線(現在は第三セクター長良川鉄道)の起点、太多線の終点で、美濃太田機関区があった。

高山線は45年3月を目標として全線ディーゼル化が計画されており、
当時はすでに蒸気機関車からディーゼル機関車への置換えが進行中であった。
岐阜・高山間が無煙化されたのはこの年10月であり、蒸気機関車終焉の半年前の様子である。

当時、旅客列車は美濃太田、高山機関区のC58か美濃太田区のDD51が牽引しており、
一部の列車は美濃太田以北をC58からDD51に交換していた。
美濃太田区のDD51は主に半重連形(501~592)が配属されていた。

C58は戦前から戦後にかけて431両製造された客貨両用の地方線用中形機関車であるが、
あまり撮る機会がなく、高山線に出かけたのもこの日限りであった。


美濃太田を発車するC58-368[美]牽引の高山線上り岐阜行826レ    左の線路は越美南線、奥に機関区の煙






午後、C58-368が下り高山行833レを牽引して岐阜から戻ってきた

1968.3 坂祝・美濃太田

833レはDD51-556に機関車を付替えして美濃太田を発車 

1968.3 美濃太田駅

岐阜からDD51ー554牽引できた下り高山行831レ

1968.3 坂祝・美濃太田

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