ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(91・中央西線電化の記録㉚)

2016-02-25 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

中津川以北   雪の木曽谷

落合川から坂下・田立・南木曽・十二兼・野尻と進む。
南木曽は昭和43年10月に三留野から駅名変更。坂下まで中津川市である。

落合川・坂下間6.1キロの複線化は、1110mの新瀬戸山、1138mの第1高峰山等3基のトンネルを含む下り線を建設。
南木曽・十二兼間5.5キロは、1485mの第1羅天、1325mの第2羅天等4基のトンネルがある上り線を建設した。
前者は43年、後者は44年に完成した。

坂下・田立間2.8キロの新上鐘山、田立・南木曽間6.3キロの2551mの島田、1015mの兜トンネルの3基は複線で建設。
ゆえに坂下から南木曽間の複線化は遅れ、48年の塩尻電化直前の完工であった。
田立駅は坂下寄りに移設、田立・南木曽間は旧線から離れた別線である。落合川から南木曽間は撮影機会がなかった。

45年3月6日、雪の落合の峠で撮影後、中津川10:36の松本行827レに乗って野尻に向かった。
DLなので度々移動に利用した列車、50分程乗り11時半頃到着。車窓から下見した場所を念頭に十二兼を目指した。
十二兼・野尻間3.7キロは単線区間である。この日、この区間が中央西線の最後の撮影になった。

下り、上りの急行をやり過ごすため827レは野尻に10分以上停車する。駅を出ると下り急行が入線してきた。

キハ91系下り803D急行"きそ"4号の後尾から 右奥に58系上り804D急行"きそ"2号が交換待ちで停車中

1970.3 野尻駅

雪を踏んで約30分歩き、街はずれまで来て下り貨物を待つ。ここから野尻までは20‰の上り勾配である。
2時間以上前、中津川・落合川間で撮影の669レが坂下で約1時間停車して12時10分頃に通過する。
S字カーブの先に姿を見せ、期待どおりの爆煙で坂を登ってきた。

D51-249[中]牽引の下り貨物669レ






約40分間列車が来ないので歩を進める。S字カーブに到達して上り勾配を来る下り列車を待つことにした。
12時50分になる頃、この区間にトンネルはないが、前照灯を点灯してDC急行がきた。

キハ58系下り2801D急行"赤倉"


13時頃、2駅先の大桑で下り急行と交換した上り貨物列車が坂を下ってきた。

半戦時型煙室戸上部切欠き、変形ドーム 長工式デフD51-862[木]牽引の上り貨物656レ


回送のC56を連結


南木曽を過ぎると谷が深まり、冬の天候もがらりと変わる。体の芯まで冷え込むこの日、突如視界を遮る吹雪になった。
吹雪ピークの頃、突風のなか13時10分頃の下り臨時貨物6671レを待ったが、来ない。無情にも運休であった。

上り1802D急行"ちくま"1号、DLの830レは見送って一時避難することにした。
1時間程して吹雪が去って谷に日が射し込む。一転して逆光に悩みつつ十二兼14:20発の下り旅客列車を待ち構えた。
列車は5分遅れで、回復運転で速度を早めたD51が16.7‰勾配を駆け上がってきた。

D51- 274[中]牽引の下り長野行829レ






しばらく歩いて、15時過ぎに来る下り貨物列車を待った。16.7‰の連続勾配を素晴らしい煙を吐き上げてやって来た。
この日一番の煙。朝の中津川・落合川間で後補機を務めていた851号機の牽引であった。

煙室戸上部切欠きのD51-851[中]牽引の下り貨物653レ




15時15分頃、野尻で下り貨物と交換待ちした上り貨物列車が坂を下ってきた。

D51牽引の上り貨物694レ


十二兼に近い谷を見下ろす地点に来て十二兼で上り貨物と交換する下り貨物列車を待ち、山を背景にして撮影できた。
この時間帯は1時間にD51が4本通るので、極めて効率がよかった。

D51牽引の下り貨物673レ

1970.3 十二兼・野尻

十二兼に到達。南木曽・十二兼間は前述のとおり複線化完成後ですでに複線運行。上りの新線は大半がトンネル区間である。
16:00発D51重連牽引の上り旅客が発車。本務機は黒煙を上げ、この先が下り勾配とは思えない力強さであった。

D51-267[中]先頭のD51重連 上り松本発名古屋行832レ



1970.3 十二兼駅

旧線の十二河原トンネル坑口まで南木曽寄りに数百m走った。
上り旅客と複線区間で行き違う十二兼16:10発車の下り旅客列車がくるまで数分しかない。
南木曽・十二兼間は最大20‰の上り勾配が続く。山々にドラフト音が響きやがてトンネルに入る汽笛が聞こえた。

緊張の一瞬。爆煙とともにD51が181mの短いトンネルから飛び出した。この区間で撮影した唯一の写真になった。
この後、16:53上り名古屋行普通気動車で帰った。厳しい雪中の撮影行であった。

D51-777[中]牽引の下り塩尻行831レ

1970.3 南木曽・十二兼

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昭和40年代前半の鉄道写真(90・中央西線電化の記録㉙)

2016-02-20 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

中津川以北   弥生の雪

昭和45年3月6日、中津川・落合川間で1年振りに撮影。大学受験を終えて合否の発表前、早速D51の撮影に向かった。

801D急行"きそ"2号で中津川8:36到着。ホームに降りた途端、雪交じりの風が吹き付ける。落合への上り勾配を目指した。
道中、いよいよ雪が激しくなるなか上り貨物列車が坂を下ってきた。

D51-171[中]牽引の上り貨物652レ


丘に登り、9時10分頃に中津川を発車する下り貨物列車を待つ。発車の汽笛が聞こえ遠方の煙が見えて胸が高まる。
煙が勢いを増して子野川橋梁に差し掛かる。橋の前後は25‰の上り勾配。素晴らしい白煙にしばし寒さを忘れた。

D51-501[中]牽引の下り貨物691レ




中津川以北では大概貨車の編成が短くなるが、この貨物はタンク車を4両連結した重量編成。極めて低速で進む。





本務機D51-501[中」は北陸線米原・田村間の繋ぎ役で活躍した長野工場式デフ装備の機で久し振りの出会い。
43年10月に無煙化された米原から中津川機関区に転属されていた。


半戦時型変形テンダーのD51ー851[中]の後補機が押していく


43年10月のダイヤ改正で登場した中央西線初の特急"しなの"を落合山トンネルの上で待った。
下り11Dは名古屋を8:30に出発して中津川の発車が9:34。約1時間での到着。以前は考えられないスピードである。

キハ181系下り特急"しなの"


10数分待ちで下り貨物列車が続行する。凍えながら待つうち一時弱くなっていた雪が再び激しく降り始めた。
D51がトンネルを目指して力行。後補機は最早視界に入らない。

D51-249[中]牽引の貨物669レ






10分程で吹雪がおさまり、先行した691レの後補機が落合川で解放され、逆向きで坂を下ってきた。
峠の落合川側は複線化工事が始まっていたので撮影せず、この後は中津川から下り列車に乗って野尻に向かった。

半戦時型煙室戸上部切欠きD51-851[中]上り単機回送

1970.3 中津川・落合川

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昭和40年代前半の鉄道写真(89・中央西線電化の記録㉘)

2016-02-17 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

中津川以北   落合川の旧線

中津川・落合川間の複線化は、新線建設と旧線使用のたすき掛け線増で上下線ともに25‰の上り勾配を緩和した。

中津川からの下り線は、下り勾配の中津川トンネル、緩い上り勾配の延長1138mの新落合山第1トンネルを新設。
トンネルで峠を越えた先で旧線に入り、25‰の急勾配を下って落合山第2トンネルを抜けて落合川に向かう。
落合川からの上り線は、新設の落合山第2トンネルを経由して旧線と並行する新線を建設、最大勾配を20‰にした。
下りの新線と接続する辺りで旧線に入って、従来の延長450mの落合山第1トンネル内で峠を越えて中津川に向かう。

分かり難いが、新旧の落合山第1トンネルと落合川間の複線化は上下線が捻れるようにして建設された。
旧線のトンネルは電化に向けて拡張し、工事期間中は上り線も新線を使用した。複線電化の完成は48年に至った。

43年10月の中津川電化開業で、中津川機関区のD51は30両のうち10両が相前後して転出及び廃車された。
米原機関区から2両が転入して22両体制になり、木曽福島機関区の12両は6両が転出及び廃車になって半減した。
この頃は、中央西線を走行する全てのD51に集煙装置が装備されていた。

44年3月9日、中津川・落合川間、峠の落合川側で撮影。
落合山第1トンネルへ向かう複線化着工前の旧線である。上り貨物が落合川を渡って25‰のS字カーブを登ってきた。

D51-249[中]牽引の上り貨物 シャッターを切るにはまだ早くても一番ときめく時










D51-827[中]の後補機




本務機がトンネルに入る。トンネル内も上り勾配が続きトンネルを出て絶気する。




1969.3 落合川・中津川

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昭和40年代前半の鉄道写真(88・中央西線電化の記録㉗)

2016-02-13 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

中津川以北   落合の峠

中津川・落合川間3.8キロは、落合山トンネルを頂点に前後が25‰勾配の峠路で中央西線の難所の一つであった。
下り列車はここから鳥居峠まで延々と木曽谷の上り勾配を行き、上り列車はほぼ惰行で来るが、この峠の前で力行する。
貨物列車は中津川、落合川の双方でD51かC12の後補機を連結して運転されていた。

昭和43年6月30日、中津川周辺で撮影してから落合山トンネル上の峠まで歩いた。
トンネル上から落合川方向を望む。左手に木曽川の落合ダム。落合川駅はダム湖左岸にあり写真の中央右寄りになる。

キハ58系上り急行第2"しなの"


キハ58系下り急行"赤倉" 後方から


中津川寄りに峠を下って線路脇で下り貨物を待った。中津川から落合山トンネル入口まで25‰勾配が1.5キロ以上続く。
13時頃、D51がゆっくり坂を上ってきた。後補機付きながら短い編成。完全燃焼で煙はスカスカ、拍子抜けであった。

半戦時型カマボコドームのD51-902[木]牽引の下り貨物653レ


後補機はD51-825[中] 逆向きで押していく


D51-825[中] 落合川で解放された先程の補機が上り単機回送


次の下り中津川13:35発の旅客列車を撮影して終了。歩き続けた後で、あまりの暑さに耐えられなかったようだ。

D51牽引の下り長野行829レ 子野川のアンダートラス橋梁を行く

1968.6 中津川・落合川


記憶は定かでないが、43年3月19日のこと。おそらく初めてこの区間に行った時であると思う。
線路伝いに歩いていると落合川に向かっているはずの補機が猛スピードで走ってきた。危うく轢かれるところであった。
この頃、後補機を走行中解放していたことを後になって知った。

D51-200[中]の上り単機回送 その後、梅小路機関区に転属、動態保存された

1967.3 落合川・中津川

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昭和40年代前半の鉄道写真(87・中央西線電化の記録㉖)

2016-02-08 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

中津川以北   中津川のC12

中津川・塩尻間は奈良井以北では撮っていない。写真は昭和45年まで、記録は48年の塩尻電化開業を待たずに終了する。

中津川から落合川・坂下・田立と進む。
岐阜、長野の県境は坂下・田立間で、坂下までが名古屋鉄道管理局その先は長野鉄道管理局の管轄になる。

今回は中津川機関区のC12の写真。中津川・坂下間の旅客列車牽引と落合川間の貨物列車の後補機等で活躍した。
4両が配属され、恵那起点の明知線の貨物列車、中津川構内の入換の他、製紙工場への引込線の仕業に就いていた。
本線では、先述の旅客列車1往復と回送等で恵那から坂下間を走行した。

43年6月30日、中津川橋梁で上り貨物を撮影して駅方向に歩くと、10時頃にC12が引込線に姿を見せた。
中津川への単機回送で逆行で走ってきた。これを目的にしていたのか偶然出会ったのか記憶にない。
引込線は中津川の美乃坂本寄りから南下して本州製紙中津工場に向かう。翌44年に廃止された。

C12-42[中] 単機逆行で中津川に戻る 


25分程すると貨車の入換作業が始まった。







約20分間の入換作業を終えて引込線を出発


中津川機関区のC12とD51 左手が美乃坂本方向で駅構内から25‰の上りであることを示す標識が見える。

C12-166[中]

1968.6 中津川駅


43年3月19日の撮影。
鳥居峠で撮影した帰り、中津川で途中下車して落合川方面に向かった。
夕暮れの通勤時間、中津川17:49発、坂下18:04到着で3駅間を客車3両で走る列車が設定され、C12が牽引していた。

C12-209[中]牽引の下り坂下行623レ 逆行で25‰を行く






複線化後、上り専用にされた旧線を落合川に向かう。橋梁を渡ると再び25‰上り勾配である。右は国道19号線。


1968.3 中津川・落合川

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