ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(52・近鉄)

2015-04-05 | 昭和40年代の鉄道(近鉄)

<近鉄>関急の緑の弾丸

昭和12年、桑名・名古屋間の開通を翌年に控えた関西急行電鉄によって、関急1型、後のモ6301形が製造された。
13年、関急は1型を使用して旧伊勢電鉄の江戸橋から大神宮に至るルートで名古屋と伊勢を結ぶ特急運転を開始した。
伊勢電の車両はアズキ色であり、新鋭車両がダークグリーンの塗装で登場したことで緑の弾丸と呼ばれたといわれる。

15年、関西急行電鉄は参宮急行電鉄に合併され、16年には大阪電気軌道が参急を合併して関西急行鉄道が設立された。
10両製造されていた旧1型は、関西急行鉄道のモ6301形6301~10に改番されることになった。

モ6301形は半鋼製の両運転台車で、伊勢電の車両限界に対応して17m車とされ、付随車は製造されていない。
車内は、転換式クロスシートを採用して一部にロングシートを配置していた。長距離運行ながら便所の設置はない。
以下、戦中、戦後にモ6301形と同じ設計基準で製造された増備車のモ6311形、6331形についても記載する。

22年、近鉄は戦時下において全廃した特急を復活、戦前の車両を整備することにより名阪有料特急の運行を始めた。
大阪線と名古屋線の軌間の違いで伊勢中川での相互乗換えを要したことは既述したとおりである。
大阪線のモ2227形、サ3000形に対して、名古屋線はモ6301形とク6471形から特急用車両が抜擢された。
モ6301~3及びク6471、72の計5両を改装、クリームとブルーの塗装で3連あるいは4連で運行を開始した。

ク6471形は、5年製造の旧伊勢電旧デハニ231形の制御付随車である旧クハ471形で戦前の特急に使用されていた。
乗務員扉のない旧式車両であるが、転換クロスシート、便所付であったことからモ6301形の編成に組入れて補完した。

24年、特急増発とともに座席指定制を開始。これに伴い特急の増備車が投入されることになった。
モ6304及びモ6311形からはモ6320、ク6471形の残った1両であるク6473の計3両が格上げされた。
これらの形式は、28年に次世代の特急車6421系が投入されると一般車への格下げが始まった。

名古屋線の電車は小学生の頃までダークグリーンであったが、撮影当時は標準色のマルーンレッドに塗替えられていた。
モ6301形は何度も乗車した馴染み深い電車であり、アンチクライマーが撤去されずに初期の外観を留めていた。

モ6301形、特急車の経歴があるとされるモ6304


モ6311形は、戦時下の17年にモ6311~6315、19年にモ6316~6320の計10両が製造された。
外観はモ6301形とほぼ同じであるが、全溶接構造になり雨樋の位置が側面から前面に移動したのが特徴である。
19年の5両は、資材不足のなか戦時輸送用の位置付けで全席ロングシートで製造された。

前述したとおり、24年の特急増発時においてモ6311形からもモ6320が特急専用車に格上げされている。
また、一部の車両を改装してダークグリーンの塗装のまま特急に増結する予備車にしていたようである。
ロングシートのまま残されていた車両は、31年に転換クロスシート化された。

雨樋が前面外付けにされたモ6311形、一番車のモ6311


モ6317最後尾の名古屋発宇治山田行急行と乗車待ちの旅客

1967.12 名古屋駅

前照灯の外装を変えずシールドビーム2灯化されたモ6312最後尾の宇治山田行急行


1967.3 松阪駅

モ6331形は、23年に戦後の急行用増備車としてモ6331~6340の10両が製造された。
モ6311形とほぼ同じ外観の17m車で、アンチクライマーも設置されたが、前面外付けの雨樋は側面に戻された。
扉間が固定クロスシートで製造され、この形式から特急専用車に改造された車両はない。

モ6331と付番されたのは、22年に戦後混乱期の車両増強策としてク6321形を新造した経緯による。
ク6321形は、モ6301形のスタイルを継承して5両が製造され、後に電装化されてモ6261形になった。
19m車で3扉、ロングシートで製造され、6331形とは位置付けが異なった。

モ6331形、モ6335先頭の宇治山田行急行

1969.1 松阪駅

モ6331形最終番車モ6340先頭の準急

1968.8 益生・伊勢朝日

モ6331形のうちモ6333、モ6338の2両は大幅改造されて、車体を伸延し通勤用の3扉20m車となった。
37年にモ6338は中央扉のみ両開化、38年にモ6333が全扉両開化、窓枠のアルミサッシ化が行われている。
名古屋線での20m車の運行は、狭軌時代の31年に四日市駅移転及び急曲線改良工事によって可能になっていた。

最初に改造されたモ6338先頭の5連急行

1968.2 近鉄長島・桑名


<近鉄>初の特急専用車

昭和25年、モ6301形の特急増備車として6401系が新造された。大阪線に先駆け近鉄初の特急専用車であった。
モ6331形のスタイルを踏襲した全溶接半鋼製の17m車であり、張上屋根は採用されず雨樋は側面に設置された。

モ6401形3両、制御付随車ク6551形2両、計5両が両運転台車で製造され、1編成のみの運用であった。
6301形同様に便所が設置されず、本系統でも引続きク6471形を連結した編成で運行された。

車内は、全席転換クロスシートで初めて蛍光灯が使用され、当初からクリームとブルーの特急色に塗装されていた。
28年の6421系登場後も36年まで特急車として使用されたが、特急車冷房化工事において本系統は除外された。

モ6403先頭の5両編成の急行

1967.3 近鉄八田・伏屋


以下は、当時の名古屋線で撮影した特急格下げ車以外の他形式の急行電車の写真である。
近代的な高性能通勤型の急行に置換えが進む時期であったが、古典的な車両や歴史ある改造車が活躍していた。

ク6461形は、昭和4年、伊勢電鉄によって製造された半鋼製17mの制御車の旧クハ461形である。
便所を設置していたので当時の急行の先頭車にも組込まれていた。前述した特急用改造車ク6471形の先代にあたる。

飾り窓のク6463先頭の名古屋行急行、後にサ6463に改造

1965.7 伊勢中川駅

モ6251形は、5年に参宮急行電鉄により大阪電気軌道への乗入用区間車として製造された旧デ二2000形である。
その後、津支線で区間運用され、16年に狭軌用のモ6251形に改造されて名古屋線用になった。
標準軌化後の再改造で張上屋根、ノーシル・ノーヘッダーになり、手小荷物室廃止等で変則的な3扉車に姿を変えた。
名古屋線では初の19m車で、当時は数少ない大型車としてロングシートながら急行に使用されていた。

津支線とは、名古屋進出を目論む参急が桜井・宇治山田間全通と時を同じくして建設した参急中川・津間の路線である。
13年、関急により桑名・名古屋間が全通すると、経営破綻した伊勢電を吸収していた参急は津支線を江戸橋まで延長。
5年に開通していた旧伊勢電の桑名・大神宮間の路線と江戸橋で連絡するためであり、江戸橋を名阪間の接続駅とした。
それも束の間、半年後に参急中川・江戸橋間を標準軌から狭軌にして名古屋線に組み入れ、接続駅を中川に変更している。
なお、参急に引継がれた江戸橋・大神宮の路線は近鉄時代も運用されたが、36年に廃止された。

2灯シールドビーム化されたモ6253最後尾の回送

1968.4 近鉄八田・伏屋

モ6251形は乗務員扉に続くHゴムの2段窓が特徴 モ6256先頭の宇治山田行急行

1967.12 名古屋駅

6441系は、大阪線1460系と同様の両開3扉の20m車で名古屋線狭軌時代の33年に製造された。
新型軽量車体であるが、旧伊勢電デハニ231形、改番後モニ6231形の電装品流用した吊掛式駆動車である。
登場時は当時の高性能通勤車の塗色、ベージュに青帯であった。

塗替後、1灯時代のモ6444最後尾の名古屋行急行

1967.3 伊勢中川駅

1600系は、改軌後の34年から製造された名古屋線初の高性能通勤車で両開4扉、ベージュに青帯に塗装された。
41年以後、高性能通勤車は1800系、1810系と増備されていく。

ク1600形から改番のク1700形、ク1712先頭の名古屋行急行

1965.7 伊勢中川駅

41年に製造された1800系、最後尾モ1804の5連名古屋行急行

1968.2 桑名・近鉄長島

42年に製造されたラインデリア装備の当時最新鋭1810系5連の急行

1968.1 近鉄八田・伏屋

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昭和40年代前半の鉄道写真(51・近鉄)

2015-04-02 | 昭和40年代の鉄道(近鉄)

<近鉄>狭軌時代の名古屋線特急車

昭和28年、前回記した大阪線用特急車2250系と同時に狭軌の名古屋線用特急車として6421系が製造された。
2250系と外観、車内設備は統一仕様とされたが、名古屋線の急曲線区間に対応して車長は1m短い19m車である。

2250系と同様3次に亘って製造され、28年にモ6421形とク6571形の1次車各3両、2次車各2両が落成。
30年に3次車になるモ6421形1両が製造された。2次車以降は前面窓枠がHゴム仕様である。

25年に製造された先代の名古屋線の特急専用車6401系からスタイルが一新、本格的な特急車としてデビューした。
2250系と同様、32年に冷房装置、公衆電話、シートラジオが取付けられた。

後継のモ6431形新造の33年、急行用制御車ク6561形の1両が付随車サ6531に改造されて編成入りしている。
3次車のモ6426と組むための改造であったようだ。ク6561形については後述する。

34年に名古屋線が改軌された後は、名古屋・宇治山田間の直通特急として4連あるいは5連で運行されていた。
新ビスタカー増備に伴い35年から2次、3次車が格下げされ、38年の新エースカーの増備で1次車が格下げされた。

子供の頃、伊勢湾の海水浴の行き帰りに見たクリームとブルー、塗替後はオレンジとブルーの特急色が印象的であった。
何度も見ていた特急電車であるが、カメラを手にするまでに間に合わず、写真は全て3扉化された後の一般車である。

中央両開、3扉化後の1次車ク6571先頭の5連名古屋行急行 特急時代を彷彿させる編成


後部から 最後部に3扉、2灯シールドビームに改造後の3次車モ6426を連結

1968.8 伊勢朝日・益生

3扉、2灯シールドビームに改造後の2次車モ6424先頭の5連急行

1969.9 弥冨・近鉄長島

後部が1次車モ6422の2連名古屋行準急

1968.8 桑名駅

1次車ク6572の中川行準急


2灯シールドビーム化前の2次車モ6424の普通 2次車、3次車の前面窓枠はHゴム仕様で製造

1968.8 名古屋駅

2次車ク6574の中川行急行

1968.2 名古屋駅

30年に1両のみ製造の3次車モ6426


当時は前照灯2灯シールドビームへの改造が進行中で白熱灯の車両が混在した 1次車の左ク6573右モ6422

1968.8 名古屋駅


27年、急行用の制御車としてク6561形が5両製造された。6421系のベースになった19m車である。
名古屋線で初めて張上屋根を採用、前照灯埋込式、ノーシル・ノーヘッダーの全鋼製軽量車体構造である。
前述のサ6531は、ク6561を冷房装備付、便所付の特急仕様の中間付随車に改造したものである。 

ク6563の普通

1966.5 桑名駅

2灯シールドビームに改造後のク6565先頭の名古屋行臨時急行

1969.1 明野・明星

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昭和40年代前半の鉄道写真(50・近鉄)

2015-03-31 | 昭和40年代の鉄道(近鉄)

<近鉄>大阪線初の特急専用車

戦災復興で延期されていた伊勢神宮の式年遷宮が昭和28年の実施に決定。近鉄は参拝客の大幅増に備えることになった。
急遽、大阪線、山田線では初の特急専用車になる2250系、狭軌の名古屋線用には6421系を新造して投入した。

両系統は統一仕様で製造され、近代的なスタイルで時代の先端を行く豪華車両の電車として一世を風靡する存在であった。
張上屋根、前照灯埋込式、ノーシル・ノーヘッダー全鋼製の軽量車体であり、全席転換クロスシートを採用していた。
32年には当時として画期的な冷房装置を備え、同年中に全車にシートラジオ、一部車両には公衆電話を取付けている。

2250系は、モ2250形とサ3020形のMTの2両の組合わせを基本として4連編成で運行を開始した。
28年中に1次車各4両、2次車各2両、計12両が落成。30年に3次車モ2250形4両、サ3020形3両を増備。
1、2次車は両運転台、3次車は片運転台である。2次車のモ2255以降、前面窓はHゴム仕様になった。
3次車の付随車サ3020形の製造が1両少ないのは、前回記したとおり旧貴賓車のサ2600を組込むためであった。
最終的にモ2250形10両、サ3020形9両が出揃い、増結の2227形と組むこともあった。

新ビスタカー登場の翌年の35年に一般車格下げを開始、まずモ2250形の5両、サ3020形の3両が3扉化された。
この時、最初の改造車モ2255、57は各々2247、48に改番されている。

サ3020形の残る6両3024~29は、制御車不足に対応して特急車のク3120形3121~26に改造された。
残存の2250形とともに、新エースカー登場の38年まで伊勢中川・宇治山田間の短距離準特急等で運用されたようだ。

鉄道雑誌で見て憧れの的であった2250系特急を撮りたかったが、時すでに遅く写真は格下げ後の全車3扉化後である。
撮影当時は、上本町・宇治山田間の急行主体の運用で名古屋線では見られず、出会う機会も殆どなかった。

3扉化されたク3123先頭の2250系4連と後方2200系2連の上本町行急行

1969.1 明星・明野

2次車以降(2255~60)前面窓枠がHゴム仕様のモ2255、木枠の1次車は撮っていない

1969.1 明星検車区

モ2250形で最初に3扉化され、一般車に格下げされたモ2247(旧モ2255)

1968.7 上本町駅

特急時代は前照灯と冷房ダクトが一体化した特異な形状であったク3120形、ク3125

1966.8上本町駅


1968.7 上本町駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(49・近鉄)

2015-03-27 | 昭和40年代の鉄道(近鉄)

<近鉄>名阪有料特急の元祖

参宮急行電鉄の通称2227形(新モ2200形)は、2200系の増備車として昭和14年及び16年に20両が製造された。
昭和15年が紀元2600年で橿原、伊勢神宮参拝客の増加が見込まれ、その輸送増強策としての増備であった。

形式番号は、デ2200形を受け継いでデ2227~46。旧2200形と同一性能の鋼製20m車である。
外観は、溶接技術の向上によりリベットが大幅に減り、張上屋根を採用、客用扉が中央に寄って側面の形状が一変した。
両運転台車であることに変わりはないが、車内は、中央部のみに転換クロスシートが採用された。

戦時体制下、省線東海道線の代替路線が計画されていた事情で、狭軌転用の改造を可能とする前提での製造であった。
そのため、狭軌仕様のモーターを搭載したことで旧2200形より車両の床面が高くなっている。

16年、両運転台の制御付随車である3110形が5両製造された。ク3110~14で、便所は設置されなかった(除14)。
これとは別に、15年、紀元2600年を記念して貴賓車2600が製造された。

戦後の22年、伊勢中川乗換で名阪間初の有料特急が設定された。大阪線用の特急車は2227形から抜擢されている。
デ改めモ2227形となった2両に中間付随車旧サ3000形を組入れた3連で、床面はじめ不揃いの新旧混合編成であった。
車内設備を有料特急用に改装してクリームとライトブルーに塗色され、まず2編成がデビューした。
ク3110形でなくサ3000形が使用されたのは、前者が戦中、戦後の混乱期にロングシート化されていたためである。

初代はモ2227形5両、サ3000形2両の改装であったが、翌23年の伊勢特急の運行開始によって増備が始まった。
モ2227形は、過半の車両が順次特急車に格上げされた経歴を有している。

28年の2250系特急の投入以降、徐々に一般車に格下げされていくが、30年代初期に新たに格上げされた車両がある。
モ2231等(不詳)が前照灯埋込み式、前面窓枠がHゴムの形状の特急車に改造された。

貴賓車2600はサ2600に改造、改番され、28年から2250系、その後上記改造車と組んで特急車として使用された。
2200系が特急運用から完全に外れたのは、新ビスタカー登場の翌年である35年であった。

初期形は雨樋が前面外付け 一番車のモ2227先頭の宇治山田発中川行普通

1969.1 明野・明星 

雨樋の外付けはモ2230までのようで、埋込式にされたモ2233

1968.7 上本町駅

モ2227形はイコライザー式の大型台車を採用 モ2245

1969.1 明星検車区

旧モ2200形と同様、パンタグラフ非設置側の運転台横に便所が設置され、片窓の前面形状であった。

両運転台の片側の前面形状が片窓のモ2232

1966.7 伊勢中川駅


以下は、43年7月、上本町駅で撮影した大阪線の区間急行等の写真。

23年、戦後最初に大阪線用に新造された2000系。20m車であるが、復興期の製造で2200系に大きく見劣る。

両開扉に改造されたモ2001先頭の区間急行

1968.7 上本町駅

4年、大軌桜井線開通を機に製造された大型19m車、3扉の区間車旧デボ1000形、モ1002の準急


5年、大軌初の20m車として増備、3扉の区間車旧デボ1300形、モ1311の区間急行

1968.7 上本町駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(48・近鉄)

2015-03-24 | 昭和40年代の鉄道(近鉄)

<近鉄>参急の名車

昭和5年から6年にかけて、参宮急行電鉄により当時としては画期的な高水準である長距離高速電車2200系が製造された。
桜井・宇治山田間が全通し、大阪電気軌道桜井線と接続して大阪、伊勢間直通運転を開始するに合わせての新造であった。

青山峠をはじめとする33‰の連続勾配での高速運転のため、150kwの大容量の主電動機と発電ブレーキを装備していた。
これにより最高速度は110km/h、最大上り勾配でも65km/hの走行を可能とする能力を有した。半鋼製20m大型車である。
外観は、両端にある客用扉の間に狭窓が並ぶ端正なスタイルであり、車内は固定クロスシートが採用された。

デ2200が27両、デト二2300が8両、ク3100が5両、サ3000が17両、合計57両が製造されている。
デト二2300を伊勢方向の先頭にして、デ2200を3両とサ3000を2両連結した最大6連編成で運行されたといわれる。
急行として登場したが、戦前の特急としても運行され、一方、デ、デトニは両運転台で、区間車の単行使用もあったとされる。

2200系は、日本の電車史上語り継がれてきた名車であり、往年の電車好きであれば誰もが知る存在であった。
戦後は大阪、山田線の急行を中心に運用され、40年代も活躍中であったので幸い何度か2200系に乗車する機会があった。
青山越えにさしかかった急行電車の唸るモーター音とダブルタイフォンといわれた警笛音は脳裡に焼付いている。

40年代前半の撮影時は、衝突事故に備えて設置されたアンチクライマーが撤去されていて、3扉化の改造が進行中であった。
名古屋線でも運用されており、まだ2、3両残っていた2扉車を狙って度々撮りに行っていたが、出会うのは運次第であった。

2扉のモ2206(39年の改番後、以下同じ)最後尾の宇治山田方面回送


モ2206先頭の6連上本町行急行


区間用増備として片運転台で製造されたク3100形、3扉化後のク3102先頭に宇治山田からの回送

1969.1 明星・明野

3扉、片運転台化されたモ2204(改番前のモ2200)が最後尾の名古屋行急行

1968.2 桑名・近鉄長島

3扉、ロングシート化後のモ2217の大阪線普通

1968.7 上本町駅

モ2200形(旧)の最終番車 3扉、片運転台、ロングシート化後のモ2226


デトニ2300形は、荷物室に続く2室のコンパートメントを備えた一般車との合造車で、伊勢方面の先頭車で運用された。
また、戦後24年、改番後のモ2303は改造され、レクリエーションカーとして一時期有料特急に連結したとされる。

モニ2300形、片運転台化後のモニ2302

1969.1 明星検車区

モニ2306最後尾の上本町行急行

1969.1 明野・明星

両運転台車の2200形は、パンタグラフ非設置側の運転台横に便所を設置して片方の前面窓がない特異な形状であった。
撮影当時は片運転台化への改造も進行中であり、名物の片窓の先頭車に出会うのは2扉車よりさらに稀であった。

3扉化後も両運転台のモ2210先頭、名古屋線中川行急行

1965.5 近鉄長島・桑名

両運転台の一方に便所設置した2扉時代のモ2207 事故による車体焼失の復旧車で全溶接構造

1966.4 米野検車区

シュリーレン台車に変更された3扉、ロングシート化後のモ2222


サ3000形の一部は、22年の有料特急運転開始の際、後述するモ2227形と組んで特急専用車として使用された。

サ3000形は軸ばね台車を採用、3扉化後のサ3007

1969.1 明星検車区


1968.8 名古屋駅

38年の事故で車体焼失した旧モ2204は、機器を流用して高性能通勤型モ1460形に準じた両開3扉の軽量車体になった。

旧モ2204(改番前)の復旧車モ1421

1967.3 桑名駅

モ1421の単行回送   

1968.2 近鉄長島・桑名

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