ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(41)

2015-03-08 | 昭和40年代の鉄道(その他国鉄)

名古屋近郊のタンク機関車C11

昭和40年代前半、C11が名古屋近郊の樽見線、武豊線の貨物列車を牽引していた。

C11は支線区の旅客列車用として7年から22年にかけて製造された小型のタンク式蒸気機関車である。
タンク式では最多の381両が製造され、貨物、入換用にも使用された。

43年5月、大垣駅での写真。樽見線は47年に無煙化された。現在は第三セクターの樽見鉄道になっている。

大垣電車区所属のC11-154牽引の樽見線貨物列車が出発




大垣到着の樽見線普通気動車    時代を感じさせるキハ07を連結した2両編成

1968.5 大垣駅

41年10月、名古屋駅ホームでの写真。
武豊線の貨物列車は名古屋機関区のC11が牽引していたので、東海道線を単機回送するC11を時折見かけた。
武豊線の旅客列車は早くも33年に気動車化されていたが、同線の無煙化は45年であった。

武豊線用名古屋機関区のC11-219 



1966.10 名古屋駅

東海道線上りを行く武豊線の普通気動車 キハ35系2連の前方はキハ17

1965.10 東海道線 熱田・名古屋

42年3月、高山線の車窓から撮影した写真。当時、猪谷・富山間でC11が運行されていた。

富山機関区のC11-268 戦時設計の4次車(247~381)で角形のドームと砂箱

1967.3 高山線 猪谷・富山間(駅不詳)

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昭和40年代前半の鉄道写真(33)

2015-02-13 | 昭和40年代の鉄道(その他国鉄)

保津峡のDF50とC57

昭和43年8月、夏休みの家族旅行で保津峡を訪れた際、山陰線のDF50を撮っていた。

山陰線の旅客列車のディーゼル化はすでに進行していたが、当区間の無煙化完了は比較的遅い46年であった。
それゆえ、運よく旅客列車を牽引するC57も撮影することができた。

山陰線のDF50は、マン社のエンジン搭載で73両製造された500番が大半で、米子機関区の配属であった。
前回記載した紀勢線のDF50は、スルザー社のエンジン搭載の基本番台で65両が製造された。

写真は、現在トロッコ列車が運行されている旧線の保津峡駅付近。

保津峡を行くDF50-500番台牽引の上り京都行922レ


DF50―500番台牽引の下り旅客

1968.8 山陰線 保津峡・馬堀

保津峡駅で上り列車を待っていると、下りホームにC57の4次形1番機が牽引する列車が入線した。
21、22年に製造された4次形(190~201)は、16年から製造のC59に似たスタイルである。
関西線でいつも見ていたC57とは確かに印象が異なった。

下り敦賀・豊岡行923レを牽引する梅小路機関区のC57-190 集煙装置、重油併燃装置付

1968.8 保津峡駅

上り園部発京都行1830レを牽引する梅小路機関区のC57-39

1968.8 嵯峨駅(推定)

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昭和40年代前半の鉄道写真(27)

2015-01-27 | 昭和40年代の鉄道(その他国鉄)

名古屋市内を最後まで走った蒸気機機車

昭和43年の名古屋港線、西名古屋港線の写真。

稲沢操車場から名古屋港に向かう、いわゆる臨港線の貨物列車は稲沢第一機関区のD51が牽引した。
当時は、名古屋からしばらく中央線を走行して山王信号所から分岐する名古屋港線に入っていった。

名古屋港線と、もう一方の臨港線の西名古屋港線は、名古屋市内で最後まで蒸気機関車が見られた路線である。
無煙化されたのは46年であった。

名古屋港に向けて山王信号所の先を行く貨物列車 逆行で牽引するD51-679


後方に中日球場のナイター照明塔

1968.1(推定) 名古屋港線  山王信号所・名古屋港

稲沢に向けてガス工場地帯を行く貨物列車 D51-850牽引



1968.3 名古屋港線  山王信号所・名古屋港

DD13と名古屋港駅の光景


C50と艀


貨車入換作業のD51-679





1968.1 名古屋港駅

名古屋港線とは別に、貨物駅である笹島駅を起点とする西名古屋港線があった。名古屋港から自転車で同線に移動した。
現在は第三セクターの名古屋臨海高速鉄道あおなみ線の路線となっている。

西名古屋港に向かう貨物列車 逆行で牽引するD51-155

1968.1  西名古屋港線  笹島・西名古屋港

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昭和40年代前半の鉄道写真(26)

2015-01-24 | 昭和40年代の鉄道(その他国鉄)

名古屋駅を通過していく蒸気機関車

昭和42年から43年、名古屋駅で撮ったD51の写真。

名古屋駅では、稲沢から笹島に向かう貨物線及び名古屋港に向かう貨物線を通過していくD51が見られた。
46年、名古屋港線、西名古屋港線を最後に無煙化されるまで稲沢第一機関区のD51が貨物列車を牽引していた。

稲沢・笹島線を行くD51-5 第1次形(1~85、91~100)は半流線形ナメクジドーム 後方は新幹線0系

1968.3 名古屋駅

笹島から稲沢に向かうD51重連の貨物列車

1967.10 名古屋駅

D51-571とD51の重連回送

1967.10 名古屋駅

稲沢から笹島に向かうD51-369牽引の貨物列車   後方は新幹線ホーム  

1967.12 名古屋駅

稲沢から名古屋港線に向かう貨物列車 逆行のD51-5


独特のフォームのメクジドームは格別の存在であった

1966.3 名古屋駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(6)  

2014-12-03 | 昭和40年代の鉄道(その他国鉄)

大阪駅の気動車特急

昭和43年夏の大阪駅で撮影した山陽、山陰方面に向かうキハ82系気動車特急。

36年の白紙ダイヤ改正では、"白鳥"と同時に山陽方面の3列車、山陰方面の1列車に82系が投入された。
山陽3列車のうちでは、その後の電化進捗で"へいわ"が廃止、"みどり"は電車化され、"かもめ"のみが残されていた。

大阪に入線する京都始発の下り特急"かもめ"


40年10月から関西・九州連絡として運行されていた 特急"いそかぜ" この後10月のダイヤ改正で名を消す


山陰方面は山陰線初の特急列車として登場した"まつかぜに加えて、40年10月から"やくも"が運行されていた。

大阪に入線する京都始発の特急"まつかぜ" 福知山線経由で山陰線に入る



1968.8 大阪駅

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