ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(25)

2015-01-22 | 昭和40年代の鉄道(操車場)

炎天下のハチロク

8620形テンダー式蒸気機関車は、大正から昭和初期にかけて量産され、ハチロクと呼ばれた。
キュウロクと同世代の旅客用機関車であり、広く全国に配備された。

昭和43年7月、竜華機関区のハチロクを撮影。廃車が進みつつある時期であった。

ハチロクと言えば花輪線であったが、名古屋の高校生が行ける場所はせいぜい関西線の竜華操車場が限界であった。
正午のサイレンが鳴る頃、久宝寺駅のベンチで汗を拭っているとハチロクの貨車入換作業が始まった。
目の前が操車場であり、目的のハチロクを2両撮影した。翌年にはいずれも休車になり最後の撮影機会であった。
キュウロクも稼働していた時期であるが、見ることはなかった。

78680の貨車入換作業












68657の貨車入換作業




竜華機関区の集煙装置付D51-452 


竜華機関区の集煙装置付、戦時型ドームD51-1045 



1968.7 竜華操車場

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昭和40年代前半の鉄道写真(24)

2015-01-19 | 昭和40年代の鉄道(操車場)

稲沢操車場のキュウロク(その3)

昭和43年10月の白紙ダイヤ改正が迫った8月の暑い日、3回目になる稲沢操車場のキュウロク撮影に行った。
来たるダイヤ改正では大幅な無煙化が計画され、当地から蒸気機関車が消えるのも時間の問題とされていた。

実際にはディーゼル機関車への置換えが順調に進捗しなかったので、その後の約3年間はキュウロクが活躍した。
4軸のディーゼル機関車DD13形では制動力が不足し、重量貨物のハンプ作業に不向であったことによる。
ゆえに、41年から製造されたDE10形が本格的に配備されるまで同操車場のキュウロクは生き残った。

44年から46年にかけて徐々に廃車されたが、北海道に転戦していく車両もあった。
キュウロクはD51に次ぐ車両数が製造され、この時代でも全国でナンバーツーの稼働車両数を保っていた。
蒸気機関車終焉まで残っていたのはキュウロクである。

真夏の操車場ではこの日も変わらぬ日常が待っていた。小さな動輪のキュウロクが小走りするかのように動き回る。

煙のなか、真夏の稲沢操車場


19653はじめ4両が写っている


19653の貨車入換作業


29643の貨車入換作業




79643に続いて高山機関区から転入した79642 名古屋鉄道管理局内でキュウロクが走るのはここのみになった


見たくなかったDD13とのショット

1968.8 稲沢操車場

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昭和40年代前半の鉄道写真(23)

2015-01-16 | 昭和40年代の鉄道(操車場)

稲沢操車場のキュウロク(その2)

2回目に稲沢操車場を訪れたのは、前回から半年後、昭和43年のゴールデンウイークであった。

稲沢駅の南側陸橋からは稲沢操車場で貨車の入換作業するキュウロクの働きぶりが眺望できた。
当時の記録では、ヤードは南北5.6km、東西400mに及んでいた。見られるのは操車場の一部に過ぎない。

49608の貨車入換作業と稲沢操車場遠景




19653の入換作業   行ったり来たり、気の遠くなるような貨車の入換で貨物列車が編成されていく










型番入り旧式ナンバープレートを付けた29657




生まれる前から稲沢第一機関区に配属されていた一部のキュウロクはまだ現役であったが、徐々に廃車されていく。
前回以降の半年間で3両が廃車されたが、一方、営業線で役目を終えて新たに入ってくる車両もあった。

稲沢第一機関区のキュウロクの多くは、同じ名古屋鉄道管理局管内にある高山機関区から転属してきていた。
この年1月に高山線の高山・富山操車場間が無煙化され、2両が加わった。

高山機関区から入換専用として稲沢第一機関区に転入の79643


ハンプ上の79643




北側のハンプはD51の主戦場であった。珍しくもないので、まず撮ることがなかった。

北のヤードのD51-873


デフレクターを取外したナメクジドームのD51-72

1968.5 稲沢操車場

デフレクターを外す前のD51-72 40年に撮影

1965.11 稲沢第一機関区

29643の入庫風景 逆行でターンテーブルに向かう






この日、稲沢第一機関区で見た蒸気機関車。

C50ー137


C12ー242

1968.5 稲沢第一機関区

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昭和40年代前半の鉄道写真(22)

2015-01-13 | 昭和40年代の鉄道(操車場)

稲沢操車場のキュウロク(その1)

大正時代に貨物用機関車として量産された9600形テンダー式蒸気機関車はキュウロクと呼ばれた。
昭和40年代前半、名古屋から東海道線を北へ11キロ程の稲沢操車場で貨物の入換にキュウロクが活躍していた。
稲沢操車場は関東の新鶴見、関西の吹田と並ぶ全国三大操車場の一つで、広大なハンプヤードであった。

42年10月の稲沢操車場の写真。当地のキュウロクは入換専用機で稲沢第一機関区の配属であった。
キュウロクが活躍していたのは主に南側のヤードで、北側はD50から世代交代したD51の持場になっていた。

49608の貨車入換作業




29699の貨車入換作業



1967.10 稲沢操車場

稲沢第一機関区の39600 休車扱い

1967.10 稲沢第一機関区

この日、稲沢第一機関区で見た他の蒸気機関車はC50、C58、D51。
あまり見る機会がなかったC50は名古屋港線の名古屋港の貨車入換で運用されていた。

C50ー101




C58ー25


D51ー873

1967.10 稲沢第一機関区


40年11月、初めて稲沢操車場に行った時の写真。まだD50が運用されていた。

パイプ煙突に取換えられたD50ー246

1965.11 稲沢操車場

C50-137と機関庫

1965.11 稲沢第一機関区

当時からディーゼル機関車は運用されていたが、まだ目立つ程の存在ではなかった。

貨物線を行くDD13

1965.11 稲沢駅付近

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