ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(21)

2015-01-10 | 昭和40年代の鉄道(東海道線他)

マンモスと呼ばれた電気機関車とその後継機

昭和20年代後半、東海道線米原電化を目前に重量貨物の関ヶ原越えに対応すべくEH10形機関車が開発された。
国鉄最大級、唯一の動軸8軸の直流機関車で、重量感ある独特の車体に黒に黄色の細帯が塗装されマンモスと呼ばれた。

東海道、山陽線の貨物列車専用として運行され、34年からコンテナ特急貨物列車たから号を牽引した。
当時、コンテナ貨物は新しい時代の到来を象徴するような存在であり、子供向けの絵本にもよく登場していた。

EH10-8牽引の東海道線上り貨物列車

1967.11 東海道線 稲沢駅付近

EH10-40牽引の東海道線下りコンテナ貨物列車

1968.1 東海道線 熱田・名古屋

EH10-1 1~4までが試作機でパンタグラフの位置が中央寄り 後方は量産機EH10-34


稲沢第二機関区でEF65、EF60と並ぶEH10-34

1965.11 稲沢第二機関区

35年から小型軽量化した貨物用EF60型機関車の製造が開始され、EH10は一般貨物列車への転用が進んだ。
40年代は、長大編成の貨物を牽引して家畜車、豚積車が悪臭を撒き散らして名古屋駅を通過していった印象が強い。

一灯式旧塗装のEF60-65(3次量産車47~83) ぶどう色から標準色に変更される頃

1965.9 東海道線 熱田・名古屋

東海道線下り貨物列車を牽引する一灯式EF60-30(2次量産車15~46)とEF60(4次以降)の重連

1965.9 東海道線  岐阜・穂積

40年からEF60の後続機として、高速化したEF65が登場した。

稲沢操車場を出発したEF65-43(1次車1~47)牽引の東海道線貨物列車

1968.5 稲沢駅付近

直流新形電気機関車の元祖はED60で、交流機のED70より1年遅れて33年から8両が製造された。
43年8月、竜華操車場でのED60の写真。阪和線に集中配備されていた。兄弟機ED61に出会う機会はなかった。

阪和線の貨物列車を牽引するED60-4

1968.8 竜華操車場付近

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昭和40年代前半の鉄道写真(20)

2015-01-08 | 昭和40年代の鉄道(東海道線他)

EF58と客車急行列車

昭和30年代前半の東海道線の花形列車は、31年の全線電化完成を機に登場した特急"つばめ"と"はと"であった。
牽引するEF58、客車ともに淡緑色に塗装され青大将と呼ばれた。最後尾に展望車を連結していた。
名古屋近郊の沿線でその勇姿を何度か見ているが、小学校低学年の頃のことで単なる憧れの存在でしかなかった。

EF58自体は、多くの急行、普通、荷物列車を牽引していたので何時でも見られ、あまり意識して撮っていない。
急行列車にヘッドマークがなかったことが一因でもあり、それ故に記録のない写真の列車名はあやふやである。

名古屋停車中の上り急行"雲仙・西海"のEF58-4





1967.10(推定)名古屋駅

下り急行"能登"を牽引するEF58 10系客車の2等寝台、1等寝台と続く 当時は 急行"大和"を併結していた


"能登"から約30分後、"銀河"が通過した。

下り急行"銀河"を牽引するEF58 荷物車の次位が2等寝台になる直前で2等車を連結、1等寝台が続く

1966.7 東海道線 熱田・名古屋

名古屋に到着した急行"阿蘇"の1等寝台車オロネ10 冷房車で新造された

1965.9 名古屋駅

40年に撮影した東海道線のEF58の写真。牽引していた列車は不詳である。

寝台特急色に塗装されたEF58-154牽引の東海道線上り客車列車(不詳)


EF58-47牽引の東海道線下り旅客列車(不詳) かって青大将塗装されたうちの1機

1965.9 東海道線 熱田・名古屋

ぶどう色塗装のEF58-30牽引の東海道線上り旅客列車(不詳)

1965.12 東海道線 稲沢駅付近

EF58初期型(1~31)はデッキ付で製造されたが、28年以降に改造されている。

名古屋停車中の1号機牽引の東海道線上り旅客列車

1966.1 名古屋駅

名古屋駅構内の光景 EF58-95

1967.12 名古屋駅

35年に製造されたEF60をベースにして、翌36年には旅客専用機関車としてEF61が新造された。
電車化進行の時期と重なったため18両の製造に留まり、あまり見かけることはなかった。

名古屋駅でEF61がEF58と並んで待機していたが、新旧の旅客用機関車が並ぶショットを撮る感性がなかった。
EF58-4は青大将登場を控え試験塗装された1機で、31年発行の東海道全線電化の記念切手に採用されている。

EF58-4


ぶどう色塗装のEF61-3

1967.3 名古屋駅

デッキ付の機関車はまず撮る機会がなかったが、昭和初期の直流電気機関車EF52が阪和線で旅客列車を牽引していた。

EF52-4牽引の阪和線旅客列車

1967.8 天王寺駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(19)

2015-01-05 | 昭和40年代の鉄道(東海道線他)

関西発の九州寝台特急"あかつき"

昭和40年10月、新大阪・西鹿児島、長崎間に20系客車を使用した寝台特急"あかつき"が登場した。
新幹線は開業翌年に東京・新大阪間を3時間10分に短縮して本格稼働、在来線も再び大幅にダイヤが改正された。
"あかつき"は関西と九州を結ぶ新幹線乗継列車として新設された。

東海道寝台特急はEF60からEF65ー500番台に置換られ、"あかつき"も東京機関区の同機が担当した。

40年12月、新大阪駅で撮影。早朝でなくても寝台特急が撮れるので有難かった。

新大阪に到着したEF65-509牽引の上り"あかつき"   


電源荷物車マニ20-1 マニ20は33年の"あさかぜ"登場時に3両のみが製造された

1965.12  新大阪駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(18)

2015-01-03 | 昭和40年代の鉄道(東海道線他)

名古屋を往来した寝台特急 <EF65の時代>

昭和40年10月のダイヤ改正で、東海道線20系寝台特急の機関車はEF65-500番台に置換えられた。

同時に上りの名古屋発着時刻が変更されて3列車が5時台になり、"さくら"を除き撮ることがかなり困難になった。
まずは40年11月、EF65-500番台(P形1次車501~512)に交代した"さくら"を撮った。

名古屋停車中のEF65-508牽引の上り特急"さくら"

1965.11  名古屋駅

夏であれば、家から自転車で小1時間程の熱田駅付近で夜明け頃に東海道線を疾走する列車を見ることが可能であった。
徹夜の受験勉強の流れで出かけると、"あさかぜ"、"富士"、"はやぶさ"、"みずほ"、"さくら"の順で通過していく。

薄暗いなか高速で走る列車を撮るのは当時のキャノネットでは無理があり、スピードにピントが合わず悔しい思いをした。
この程度が限界で、4時台に来る"あさかぜ"は暗過ぎてさらにボケてしまう。

EF65-500番台の上り"富士"


EF65ー500番台の上り"はやぶさ"


最後尾電源荷物車はカニ21   前方に1等寝台車ナロネ22を連結


EF65-500番台の上り"みずほ"


電源荷物車はパンタグラフを上げたカニ22

1966.8 東海道線 名古屋・熱田

上り"さくら"最後尾のパンタグラフを撤去したカニ22

1965.10 東海道線 名古屋・熱田

43年8月、名古屋駅での撮影。

名古屋に入線するEF65-527(41年に投入されたP形2次車527~531)牽引の上り"さくら" 






最後尾の電源荷物車カニ21

1968.8  名古屋駅

20系電源荷物車カニ22は当初パンタグラフから給電していたが、その後電動発電機が撤去されていった。
撮影当時、パンタグラフから給電するカニ22を連結していたのは"みずほ"のみで、この年までであったと思う。

上り"みずほ"  最後部の電源荷物車カニ22

1968.8  名古屋駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(17)

2014-12-30 | 昭和40年代の鉄道(東海道線他)

名古屋を往来した寝台特急 <EF60の時代>

昭和33年に登場した20系客車の"あさかぜ"に始まる東海道の寝台列車列車は、少年時代の憧れの的であった。
しかし、下り列車が名古屋を通るのは夜遅く、中学生では到底見ることができない。
何とかして東京まで行って、続々と帰ってくる寝台特急を撮ることが夢であったが、実現しなかった。
それでも、未明に到着する"あさかぜ"、"はやぶさ"を除けば、名古屋駅で上り列車を撮ることは可能であった。

40年8月、夏休みに早起きして名古屋駅で寝台特急3列車を撮影した。

当時、20系客車を牽引する機関車は、38年から製造されたEF60ー500番台(501~514)であった。
以前のEF58から置換えられたEF60は元来貨物用であり、寝台特急を牽引したのは2年間である。
EF65ー500番台への交代を10月に控えた時期であった。

"さくら"、"みずほ"、"富士"の順に到着。最後尾の電源荷物車はいずれもカニ21を連結していた。

EF60ー511牽引の上り特急"さくら"




EF60-505牽引の上り特急"みずほ"




この日の"富士"の牽引機はEF60-512であった。同機は一般色に塗装されていた。
珍しい写真と思うが、特急色でないことに相当がっかりした記憶がある。そんな程度の感覚の頃であった。

EF60ー512~514号機はEF60の4次量産車に当たり、前照灯は2灯シールドビームであった。
39年、"富士"が電車特急から20系寝台特急に移行する際の増備として製造されている。

EF60-512牽引の上り特急"富士"



1965.8  名古屋駅

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