ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

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昭和40年代前半の鉄道写真(43・ 近鉄)

2015-03-14 | 昭和40年代の鉄道(近鉄)

<近鉄>最後の吊掛駆動式特急電車 

昭和33年、旧ビスタカーのデビューに合わせ、当時は狭軌であった名古屋線用の特急車として6431系が登場した。
名古屋線の標準軌化が進行中であったために高性能車は投入されず、近鉄最後になる吊掛駆動車が新造された。

31年の四日市付近の路線変更により急曲線が解消されたことによる名古屋線としては初めての20m大形車であった。
シールドビームは採用せず、制御付随車の前照灯が集中式クーラーの屋根上ダクトに組込まれた独特の形状である。
モ6431形、ク6581形の2連、2編成のみが製造された。

投入時は、所期の目的の名阪連絡のため伊勢中川で標準軌の旧ビスタカーと接続するダイヤが組まれたようである。
34年の名古屋線改軌後は、名古屋からの伊勢特急として運用され、撮影した40年頃は4両1編成であった。

写真は40年7月の伊勢中川駅。先代の6421系特急はすでに引退後で、10月に一般車に格下げされる直前である。
6431系特急は、当時撮影が可能な特急電車のなかで旧ビスタカーと並ぶ最優先の存在であった。

ク6581先頭の宇治山田発名古屋行特急


2窓1組の側面窓が目新しく、座席は全席転換クロスシート


名古屋寄からク6581、モ6431、ク6582、モ6432の4両編成

1965.7 伊勢中川駅

近鉄名古屋駅は、13年、関西急行電鉄名古屋駅として開業した地下駅である。歴史を紐解くと名鉄新名古屋駅より古い。
42年12月、2面3線から4面5線に拡張、改装されているが、以前の駅はピンク色に塗られた壁が印象的であった。
当時は、特急発車前に椰子の実のメロディ―が流れてからブザーが鳴った。懐かしい光景が思い浮かぶ。

発車待ちの宇治山田行特急

1965.7 名古屋駅

以下、一般車に格下げ後の写真である。中央に両開扉を設け3扉、ロングシート化され、マルーンレッドに塗替えられた。
しばらくは冷房装置付のまま運用され、特急以外に冷房付車両がない時代において運よく乗れた人に喜ばれていた。

宇治山田行普通2連のク6581

1966.5 桑名駅

2灯シールドビーム化前のモ6431先頭の普通2連

1968.1 近鉄八田・伏屋


名古屋線の標準軌化工事とその最大の難関であった木曽三川の橋梁新設について記しておく。

35年に標準軌完成の計画で工事進捗の途上であった34年9月、超大型の伊勢湾台風が愛知、三重県を襲った。
とりわけ愛知県西部のゼロメートル地帯はじめとする水没による被害が甚大であり、近鉄沿線に多大な影響を及ぼした。

近鉄は復旧と改軌工事を同時に行うことを決断、34年11月中に標準軌化を一気に完成させたという伝説がある。
その実現は木曽三川の橋梁が幸い台風前に落成していたからこそであり、木曽川橋梁に至っては上陸の当日に落成した。

狭軌時代の木曽川橋梁及び揖斐・長良川橋梁は、明治27年に旧関西鉄道が建設した英国製の旧式の橋梁であった。
鉄道省から伊勢電気鉄道が払下げを受け、13年の桑名・名古屋間の開通時に関西急行電鉄が整備して使用を再開した。
その後、近鉄に引き継がれて標準軌化に伴う新橋梁建設まで単線で使用されていた歴史がある。

以下は旧橋梁が見られる写真。再利用が検討されたため42年まで解体されず、約7年間残っていた。

桑名側から関西線木曽川橋梁を望む 右は現近鉄線、左が廃線後の旧近鉄橋梁864m


桑名側から近鉄揖斐・長良川橋梁を望む 奥が廃線後の旧橋梁992m

1966.5


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