ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(38・北陸線交直セクションの繋ぎ役)

2015-02-28 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

北陸線交直セクションの繋ぎ役  田植の頃・D51へ主役交代

昭和43年5月26日の続編である。田村での機関車交換を撮ってから、前回と逆ルートを辿って米原まで歩いた。
前回とは打って変わり、沿線は田植が終わって間もないさわやかな日。まだ現役であったD50の撮影に間にあった。

米原機関区に配属の7両のD50は、休廃止が進行して稼働していたのは2両(300、328)になっていた。
一方、D51は3両(383、501、785)が配属されて、半間間ですっかりで主役が交代していた。

下り貨物牽引のD50ー300


金沢からの上り226レ牽引のD50-300が逆行で田村を出発


D51ー785、D50ー328重連の下り回送 いずれも集煙装置、重油併燃装置装備




上り貨物牽引のD51-785


下り急行第2"加賀"が行く

1968.5 北陸線 坂田・田村

この区間の中間にある坂田は当時から無人駅であった


新津行下り523レ牽引のD51-383


富山からの上り532レ牽引のD50ー328




上り貨物牽引のD51ー383 重油併燃装置の大型タンクをテンダーに装備


下り貨物牽引の長野工場式デフのD51ー501


下り貨物牽引のD51ー785 長野機関区の白ひげ塗装


長大編成のキハ58系下り急行"きたぐに"、"奥能登"併結

1968.5 北陸線  米原・坂田

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和40年代前半の鉄道写真(37・北陸線交直セクションの繋ぎ役)

2015-02-24 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

北陸線交直セクションの繋ぎ役  田植の頃・田村の機関車交換

昭和43年5月26日、前回から半年を経て再び湖東のこの地を訪れた。
名古屋から普通電車を乗り継いで、米原から長野行普通列車に乗った。機関車はD51に主役が交代していた。

米原出発を待つ下り長野行622レ 集煙装置、重油併燃装置付で長野工場式デフのD51ー501が牽引


客車先頭部より

1968.5 米原駅

田村到着後の機関車交換作業の様子である。

D51-501の切離し 米原方面を望む


待機していたED70ー5が連結に向かう 右は上りホーム


田村以北を牽引するED70ー5 雪害による塗装の痛みが激しい


D51ー501は上り貨物を牽引して逆行で米原操車場に向けて発車



1968.5 田村駅

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和40年代前半の鉄道写真(36・北陸線交直セクションの繋ぎ役)

2015-02-22 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

北陸線交直セクションの繋ぎ役  再び雪の湖東へ・D50の時代

昭和42年12月25日、再び米原・田村間を訪れた。前回から2年が経過していた。
名古屋から急行"比叡"1号に乗り米原到着は8時40分。辺り一面銀世界で小雪舞う北国街道を田村に向けて歩いた。

交直両用電気機関車ED30は、この年の5月にすでに転出済みであり、当時の主役はD50であった。
D50は9600形の後継機として大正末期から昭和6年までに貨物用蒸気機関車として380両が製造されている。

米原機関区には7両のD50(131、200、201、249、300、328、350)が配属されていた。
すでにD51の配備が始まっていて、うかうかしているとD50が次々に廃車されていく頃であった。

集煙装置を付けたD50ー328が米原駅構内回送中    後方は上り急行"くずりゅう"

1967.12 米原駅

北陸線下り長野行622レ牽引のD50-300 米原を出発して新幹線交差地点を力走


しばらく先に進むと、先行して田村に向かっていたD50ー328が上り貨物列車を牽引して戻ってきた。
田村では機関車の向きを変えられないので、上り列車は全て逆行運転になる。

上り貨物牽引のD50ー328  


雪が降り続くなか、琵琶湖に流れ込む天野川の鉄橋付近でしばし寒さに耐えながら下り貨物列車を待った。
この区間の最大勾配は10‰しかないが、冷込みがきついのでよい煙が期待できるはずである。
米原構内奥の操車場を発車する汽笛が聞こえ、やがて長い編成の貨物を牽引してD50が姿を見せた。

下り貨物牽引の長野工場式デフを付けたD50ー131




金沢からの上り226レを牽引して逆行で戻ってきたD50ー131


上り貨物牽引のD50-300

1967.12 北陸線 米原・坂田

田村近くまで歩いてくると、漸く雪が降り止んだ。

交直セクションを通過してきた下り新津行523レ牽引のD50-328


交流電気機関車が待機する田村駅遠景 上り貨物を牽引して逆行で戻るD50ー328が発車


D50-328は集煙装置、重油併燃装置を装備


下り貨物牽引のD50―131


富山発大阪行532レ牽引のD50ー300が田村を発車    


この区間では交直両用電車の他、気動車も見られ多彩であった。
特急気動車"白鳥"は(5)、交直両用特急電車は(12)、交直両用急行電車は(13)に掲載している。

長大編成のキハ58系下り急行"きたぐに"、"奥能登"併結

1967.12 北陸線 坂田・田村

キハ58系下り急行"大社"

1967.12 北陸線 米原・坂田

長野機関区から転属されたD51ー501がD50-328と並ぶ

1967.12 田村駅

第一種休車のD50ー201 化粧煙突に直角のデフレクター

1967.12 米原駅

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和40年代前半の鉄道写真(35・北陸線交直セクションの繋ぎ役)

2015-02-19 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

北陸線交直セクションの繋ぎ役  ED30の時代

北陸線の交流、直流の接続区間で昭和41年から43年に活躍した機関車を交直セクションの繋ぎ役と題して記録した。

昭和32年、北陸線の田村・敦賀間が交流電化されたが、米原・田村間4.7キロはしばらく非電化のまま残された。
直流の東海道線と交流の北陸線の接続がネックとなり電化完成は37年。北陸トンネル開通、福井電化開業の年である。
田村駅南方に交直セクションを設置して交直両用電車が投入されたが、電化後もこの区間は蒸気機関車が活躍していた。
米原と田村それぞれで電気機関車の付替えが不可避であり、この区間の列車を牽引する機関車を要したためである。

こうした時代背景にあって、37年に交直両用電気機関車の試作機ED30が製造され、米原機関区に配属された。
ED30は1形式1両である。当時はD50と共にこの区間の営業運転の任に就いていた。

41年1月23日、まだ中学生であったが、初めて湖東のこの区間を訪れてED30を撮影した。
名古屋から普通電車で米原に行き、雪の田村間を列車で往復した。復路はED30の牽引であった。

ED30-1   いかにも試作車両を思わせる運転室屋根上の機器




ED30への付替え作業 米原に向かう 上り532レ客車先頭部より   


田村で待機するED30-1




田村以北は交流電気機関車が担当 下り新津行523レのED70―12付替え作業


田村で待機する交流電気機関車をまとめて数両見た。初めて見るローズピンクの車体が雪のなか鮮やかであった。

ED70-7


EF70-6 白熱1灯の1次形(1~21)




EF70ー66 シールドビーム2灯の2次形(22~81)

1966.1 田村駅

写真を撮り始めた当初は蒸気機関車は当たり前の存在で、あまり写真を撮る気にならなかった。

長野工場式デフのD50ー131


ラッセル車DD15と米原駅構内除雪作業



1966.1 米原駅

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和40年代前半の鉄道写真(34)

2015-02-16 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

北陸線3形式の交流電気機関車

昭和42年3月、家族旅行で北陸の温泉に出かけた。その道中で撮影した交流電気機関車の写真。
当時の北陸線の旅客列車は、ED70、EF70、ED74の3形式の交流電気機関車が牽引していた。

ED70は、32年の北陸線田村・敦賀間の電化開業に合わせて製造された国鉄初の量産形交流電気機関車である。
19両が製造されて敦賀第二機関区に配属され、撮影当時も主軸機関車であった。大聖寺駅で1番機に遭遇した。

ED70ー1牽引の下り普通列車

1967.3 大聖寺駅 

ED70-16牽引の下り普通列車

1967.3 動橋駅

37年の敦賀・福井間の電化開業並びに北陸トンネルの開通に合わせて、EF70の1次型(1~21)が製造された。
北陸トンネル内の勾配対応等のためF機を投入したとされる。39年から増備の2次型(22~81)が製造された。
1次型は敦賀第二機関区、2次型は敦賀第二及び富山第二機関区に配属されていた。

EF70-17牽引の上り普通列車

1967.3 動橋駅

38年の金沢電化開業に伴い、ED70の増備機として平坦区間用としてED74形が製造された。
しかし、EF70を主力機として増備するとの方針変更により、6両のみの製造に止まった。
全機が敦賀第二機関区配属されていた。その後、43年に大分運転所に転属している。

ED74ー4牽引の北陸線下り普通列車

1967.3 福井駅

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする