ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

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昭和40年代前半の鉄道写真(49・近鉄)

2015-03-27 | 昭和40年代の鉄道(近鉄)

<近鉄>名阪有料特急の元祖

参宮急行電鉄の通称2227形(新モ2200形)は、2200系の増備車として昭和14年及び16年に20両が製造された。
昭和15年が紀元2600年で橿原、伊勢神宮参拝客の増加が見込まれ、その輸送増強策としての増備であった。

形式番号は、デ2200形を受け継いでデ2227~46。旧2200形と同一性能の鋼製20m車である。
外観は、溶接技術の向上によりリベットが大幅に減り、張上屋根を採用、客用扉が中央に寄って側面の形状が一変した。
両運転台車であることに変わりはないが、車内は、中央部のみに転換クロスシートが採用された。

戦時体制下、省線東海道線の代替路線が計画されていた事情で、狭軌転用の改造を可能とする前提での製造であった。
そのため、狭軌仕様のモーターを搭載したことで旧2200形より車両の床面が高くなっている。

16年、両運転台の制御付随車である3110形が5両製造された。ク3110~14で、便所は設置されなかった(除14)。
これとは別に、15年、紀元2600年を記念して貴賓車2600が製造された。

戦後の22年、伊勢中川乗換で名阪間初の有料特急が設定された。大阪線用の特急車は2227形から抜擢されている。
デ改めモ2227形となった2両に中間付随車旧サ3000形を組入れた3連で、床面はじめ不揃いの新旧混合編成であった。
車内設備を有料特急用に改装してクリームとライトブルーに塗色され、まず2編成がデビューした。
ク3110形でなくサ3000形が使用されたのは、前者が戦中、戦後の混乱期にロングシート化されていたためである。

初代はモ2227形5両、サ3000形2両の改装であったが、翌23年の伊勢特急の運行開始によって増備が始まった。
モ2227形は、過半の車両が順次特急車に格上げされた経歴を有している。

28年の2250系特急の投入以降、徐々に一般車に格下げされていくが、30年代初期に新たに格上げされた車両がある。
モ2231等(不詳)が前照灯埋込み式、前面窓枠がHゴムの形状の特急車に改造された。

貴賓車2600はサ2600に改造、改番され、28年から2250系、その後上記改造車と組んで特急車として使用された。
2200系が特急運用から完全に外れたのは、新ビスタカー登場の翌年である35年であった。

初期形は雨樋が前面外付け 一番車のモ2227先頭の宇治山田発中川行普通

1969.1 明野・明星 

雨樋の外付けはモ2230までのようで、埋込式にされたモ2233

1968.7 上本町駅

モ2227形はイコライザー式の大型台車を採用 モ2245

1969.1 明星検車区

旧モ2200形と同様、パンタグラフ非設置側の運転台横に便所が設置され、片窓の前面形状であった。

両運転台の片側の前面形状が片窓のモ2232

1966.7 伊勢中川駅


以下は、43年7月、上本町駅で撮影した大阪線の区間急行等の写真。

23年、戦後最初に大阪線用に新造された2000系。20m車であるが、復興期の製造で2200系に大きく見劣る。

両開扉に改造されたモ2001先頭の区間急行

1968.7 上本町駅

4年、大軌桜井線開通を機に製造された大型19m車、3扉の区間車旧デボ1000形、モ1002の準急


5年、大軌初の20m車として増備、3扉の区間車旧デボ1300形、モ1311の区間急行

1968.7 上本町駅


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