ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

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昭和40年代前半の鉄道写真(48・近鉄)

2015-03-24 | 昭和40年代の鉄道(近鉄)

<近鉄>参急の名車

昭和5年から6年にかけて、参宮急行電鉄により当時としては画期的な高水準である長距離高速電車2200系が製造された。
桜井・宇治山田間が全通し、大阪電気軌道桜井線と接続して大阪、伊勢間直通運転を開始するに合わせての新造であった。

青山峠をはじめとする33‰の連続勾配での高速運転のため、150kwの大容量の主電動機と発電ブレーキを装備していた。
これにより最高速度は110km/h、最大上り勾配でも65km/hの走行を可能とする能力を有した。半鋼製20m大型車である。
外観は、両端にある客用扉の間に狭窓が並ぶ端正なスタイルであり、車内は固定クロスシートが採用された。

デ2200が27両、デト二2300が8両、ク3100が5両、サ3000が17両、合計57両が製造されている。
デト二2300を伊勢方向の先頭にして、デ2200を3両とサ3000を2両連結した最大6連編成で運行されたといわれる。
急行として登場したが、戦前の特急としても運行され、一方、デ、デトニは両運転台で、区間車の単行使用もあったとされる。

2200系は、日本の電車史上語り継がれてきた名車であり、往年の電車好きであれば誰もが知る存在であった。
戦後は大阪、山田線の急行を中心に運用され、40年代も活躍中であったので幸い何度か2200系に乗車する機会があった。
青山越えにさしかかった急行電車の唸るモーター音とダブルタイフォンといわれた警笛音は脳裡に焼付いている。

40年代前半の撮影時は、衝突事故に備えて設置されたアンチクライマーが撤去されていて、3扉化の改造が進行中であった。
名古屋線でも運用されており、まだ2、3両残っていた2扉車を狙って度々撮りに行っていたが、出会うのは運次第であった。

2扉のモ2206(39年の改番後、以下同じ)最後尾の宇治山田方面回送


モ2206先頭の6連上本町行急行


区間用増備として片運転台で製造されたク3100形、3扉化後のク3102先頭に宇治山田からの回送

1969.1 明星・明野

3扉、片運転台化されたモ2204(改番前のモ2200)が最後尾の名古屋行急行

1968.2 桑名・近鉄長島

3扉、ロングシート化後のモ2217の大阪線普通

1968.7 上本町駅

モ2200形(旧)の最終番車 3扉、片運転台、ロングシート化後のモ2226


デトニ2300形は、荷物室に続く2室のコンパートメントを備えた一般車との合造車で、伊勢方面の先頭車で運用された。
また、戦後24年、改番後のモ2303は改造され、レクリエーションカーとして一時期有料特急に連結したとされる。

モニ2300形、片運転台化後のモニ2302

1969.1 明星検車区

モニ2306最後尾の上本町行急行

1969.1 明野・明星

両運転台車の2200形は、パンタグラフ非設置側の運転台横に便所を設置して片方の前面窓がない特異な形状であった。
撮影当時は片運転台化への改造も進行中であり、名物の片窓の先頭車に出会うのは2扉車よりさらに稀であった。

3扉化後も両運転台のモ2210先頭、名古屋線中川行急行

1965.5 近鉄長島・桑名

両運転台の一方に便所設置した2扉時代のモ2207 事故による車体焼失の復旧車で全溶接構造

1966.4 米野検車区

シュリーレン台車に変更された3扉、ロングシート化後のモ2222


サ3000形の一部は、22年の有料特急運転開始の際、後述するモ2227形と組んで特急専用車として使用された。

サ3000形は軸ばね台車を採用、3扉化後のサ3007

1969.1 明星検車区


1968.8 名古屋駅

38年の事故で車体焼失した旧モ2204は、機器を流用して高性能通勤型モ1460形に準じた両開3扉の軽量車体になった。

旧モ2204(改番前)の復旧車モ1421

1967.3 桑名駅

モ1421の単行回送   

1968.2 近鉄長島・桑名


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