ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(84・中央西線電化の記録㉓)

2016-01-31 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

多治見・中津川間 秋晴れの日

恵那・美乃坂本と進み、中津川までの最後の区間は美乃坂本・中津川。

昭和42年10月11日、秋晴れの日に撮影。
明科行普通DCで9:32中津川に到着、美乃坂本まで6.4キロを歩いた。この区間にも前後25‰の小さな峠がある。

D51ー771[中]牽引の上り貨物652レ 中津川停車中


駅を出て南西に歩くと中津川機関区が見えてくる。D51が4両、煙は工場のもの。



上り中津川発名古屋行548Dが中津川を渡る キハ25先頭にキハ17系3連で2両目はキハ18 


中津川から上り列車は25‰の上り勾配を行く。撮影場所を探して丘に登ると市街地が一望できた。
腹付け線増で複線化された区間であるが、まだ着工前であった。ここで上り列車牽引のD51を待つことにした。

D51-740[中]後補機の下り貨物 25‰を下る


丘の反対側を見渡すと、遠方に着工済の区間が見えた。

DD51-47[稲一]牽引の下り松本行827レ 10時40分過ぎに通過 


キハ58系上り急行第1"しなの" 中津川で下り827レと交換


下り急行第2"しなの"、10月からキハ91系で運行予定であったが58系のまま 後尾から


中津川11:13発の上り旅客列車、待ちに待ったD51が漸く25‰勾配を上ってきたが、気温が高く期待外れの煙。

半戦時型煙室戸上部切欠きのD51-851[中]牽引の上り名古屋行826レ


西に進むと、所々に複線化に向けて建設中の新線の築堤が見えてきた。
並行する国道19号線をひたすら歩き、千旦林トンネルへの別線分岐点近くまで来た。この先は続編で記載する。

D51-125[中]牽引の下り中津川行621レ 中津川到着は11:48

1967.10 中津川・美乃坂本

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和40年代前半の鉄道写真(83・中央西線電化の記録㉒)

2016-01-28 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

多治見・中津川間 大井の峠路

恵那から美乃坂本・中津川と進む。
恵那は、明知線(現在、第三セクターの明知鉄道)の分岐駅で昭和38年に大井から駅名変更した。

恵那・美乃坂本間5.2キロは腹付け線増で複線化され、恵那から3.2キロの二軒屋信号所の先は41年に完成していた。
撮影時は、恵那と中津川の市境辺りの同信号所までが新設トンネル1基を含め旧線と並行して工事中であった。
旧線は複線化後上り線として使用。下り列車にとって基本上り勾配であるが、下りもある起伏に富んだ区間である。

42年11月5日、恵那・美乃坂本間で撮影。
武並で撮影後、下り気動車で12時半頃に恵那に到着。至る所の工事現場を横目に大井トンネルを目指した。
阿木川を渡ると25‰の上り勾配が大井トンネルまで約1.5キロ続き、D51の力行が見られる。

D51牽引の下り長野行829レ 右側は複線化工事中


長さ284mの大井トンネル恵那側坑口


新トンネル恵那側坑口付近の工事現場 右手が坑口


大井トンネル上から美乃坂本、二軒屋信号所方面を展望。
下り列車はトンネルを抜けると一旦20‰勾配を下り、信号所手前まで25‰の上り勾配を行く。
左手に建設中の新トンネルは旧線のトンネルより長い378m、低い位置に設けて新設の下り線の勾配を緩和した。

上り中津川発名古屋行550D、大井トンネルに入る


新トンネルは旧線の北側になる 複線化は43年に完工


下り貨物列車を撮影しないことには始まらない。峠から恵那方向に戻り、トンネルに向かう築堤の入口で待つことにした。
曇天で夕暮れ時のように暗い。上り急行が遅れ、交換待ちの下り貨物も約10分程発車が遅れた。今や遅しと待ち構える。

15時になる頃、D51が補機を従え爆煙で25‰の築堤を登ってきた。右側の新線の勾配が緩和されているのが分かる。

D51-122[中]牽引の下り貨物 655レ


D51の後補機  


この時のD51の迫力は格別であった。未だに忘れられない光景である。



見事な煙が消えるまで見送り、恵那に向かって歩くと美乃坂本で交換した上り貨物列車が坂を下ってきた。

D51-549[中]後補機の上り貨物656レ


D51牽引の下り塩尻行831レ、恵那を出発して阿木川を渡る

1967.11 恵那・美乃坂本

42年秋の行楽シーズンに名古屋・恵那間で上下各2本、全車指定席の臨時快速"恵那峡"号が運転された。
途中の停車は千種のみで急行より早かった。節約のため先行して発車するDD51牽引の上り列車で帰途についた。

キハ58系上り快速"恵那峡"1号 発車待ち

1967.11 恵那駅

43年1月15日の撮影。
千種から明科行長距離普通気動車に乗って9:14恵那に到着。大井トンネルへの急勾配でD51の力走を再び撮影したかった。
東濃路は一面銀世界。降り続く雪の中を大井トンネルを目指した。3ヵ月前は整地中であった下り線に線路が敷設されていた。

キハ58系下り急行"第1しなの"


大井トンネルを越えて上り貨物を待つうちに吹雪になって視界不良。期待した遠景は撮影できない状況になった。
トンネル直前は20‰の上りでも、それまでが長い下り区間でありD51は惰行で来た。

D51牽引の上り貨物652レ


再びトンネルを越えて築堤沿いに恵那側に戻る。10時半頃、いつも乗ってくるDD51牽引の下り旅客列車がやって来た。
雪は降り止まず、D51牽引の次の下り列車まで1時間待ちになるのでここで断念。
この後は、駅を通り越して槙ヶ根の峠に向かった。

DD51-48[稲一]牽引の下り松本行827レ

1968.1.15 恵那・美乃坂本

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和40年代前半の鉄道写真(82・中央西線電化の記録㉑)

2016-01-24 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

多治見・中津川間 槙ヶ根トンネル

武並・恵那間の最終回。この区間のサミット、長さ730mの槙ヶ根トンネルを振り返る。

武並・恵那間の複線化は、新槙ヶ根トンネルを掘削して別ルートの下り線を建設、上り勾配を大幅に緩和している。
新トンネルは中央西線では愛岐トンネルに次ぐ延長2766mで、一直線で峠を抜けて恵那の手前で旧線と並走する。
一方、旧線は引続き上り線として使用され、思い出の槙ヶ根ルートの上り下りの25‰勾配は以前のまま残っている。

旧トンネルの電化改修は、新トンネルの開通を待って実施したので、この区間はしばらく新線のみで運行されていた。
名実ともに複線電化が開始されたのは中津川電化開業の翌年であったと思われる。

槙ヶ根トンネルの恵那側、改修前のレンガ積みの坑口。42年9月の写真である。
恵那側は線路伝いに行くことができたが、武並側は退避場所が全くないので坑口まで近付けなかった。



トンネル内は武並側から下り勾配、下り列車のD51は絶気して出てくる。

 D51-267[中]牽引の下り長野行829レ


上り塩尻発名古屋行840D、最後尾のキハ58がエンジン全開でトンネルを行く

1967.9 武並・恵那

43年6月、電化目前の梅雨時に撮影。
小雨のなかトンネル前で上り旅客を待った。先行の上り臨時貨物が運休で重連運転であったが、気温が高く煙が見えない。

D51-274[中]先頭に重連の上り中津川発名古屋行628レ

1968.6 恵那・武並

43年8月に中津川電化が完成して、10月の営業開始を待つ新トンネルの武並坑口近辺で撮影した。
新線の上り勾配は、短区間の最大20‰に緩和、トンネル内はほぼ平坦である。かつてのD51の迫力は望むべくもない。

D51牽引の下り貨物653レ 電化開業前の新線の架線下を行く


電化に向けて槙ヶ根トンネルが改修中であり、上り列車も新線を使用していた。

上り中津川発名古屋行548D 先頭キハ25にキハ17系の3連 後尾から

1968.8 武並・恵那

電化開業前であるが、電気機関車の練習運転が始まっていた。同じ日の撮影で場所は不明確。

EF60牽引の下り中津川行621レ



1968.8 瑞浪・釜戸(推定)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和40年代前半の鉄道写真(81・中央西線電化の記録⑳)

2016-01-20 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

多治見・中津川間   峠の春

昭和43年4月1日、早春の武並・恵那間で撮影。槙ヶ根の峠路を歩くのは最後になった。

明科行長距離普通DCで9:14恵那到着。3月より早めに峠に到達して、より効率的に峠前後を行き来することにした。
前回撮り損なっている下り旅客と、D51重連の上り旅客列車を上り勾配で撮影して挽回を図るつもりである。
10時20分過ぎ、道中で前回乗車してきた下り旅客に出会った。まずは槙ヶ根トンネル近くに行って上り貨物を待つ。

DD51-50[稲一]牽引の下り松本行827レ


キハ91系下り急行第2"しなの" 後尾から


恵那で下り急行と交換待ちの上り貨物列車が来るまで後10分程。トンネルの上に登って待つことにした。
高さが足りず後補機は煙だけになるが、最早移動できない。ドラフト音が高まり白煙が見え始めた。
トンネル内も25‰が続くので、ここはまず完全燃焼で来る。前照灯を点灯してD51が目前に迫ってきた。

D51-265[中]牽引の上り貨物652レ


編成が長く後補機の煙も十分入らず、想定外であった。ネコヤナギの花を入れて縦にして撮った。



本務機、補機とも透明に近い白煙で登ってくる。凄まじいドラフト音でトンネル上では恐怖感があったが、迫力を満喫。
ところが、この後が大変であった。ウルシに被れて手と顔が腫れてきた。



D51-771[中]の後補機


峠の武並側に急ぐ。武並で交換待ちの下り貨物が来るまで約20分。トンネルまで来ているので前回より楽に間に合った。
ここでの煙は外れがない。この日もなかなかの爆煙で25‰勾配を登ってきた。

D51-279[中]牽引の下り貨物653レ






D51-777[中]の後補機


峠近くの線路沿いで、十数分後に続く下り旅客を待つ。珍しく黒煙で登ってきた。
近付き過ぎていて運悪く糞尿をまともに食らった。旅客列車は要注意であったが、油断した。たまにある出来事であった。

D51-402[中]下り中津川行621レ






ここからが時間との勝負。重連で来る次の上り旅客は恵那で下り旅客と交換して11時半に発車する。
10分程で峠に来るので恵那側に向かって全力で走った。間に合わなかったのか、何故この場所で撮ったか不明。
架線柱が恨めしい。煙も今一であった。

D51- 689[中]、D51-249[中]の重連 上り松本発名古屋行826レ






この後は、しばらく列車が来ない。恵那で下り急行、下りDCと交換して12時半頃出発する上り貨物を待つ。
12時10分過ぎ、下り急行が通過した。

キハ58系下り急行"赤倉" 後尾から


峠の走破で疲れきって、同じ場所で待つことにした。ウルシ被れの症状もひどくなってきた。
上り貨物は重油併燃装置、集煙装置付のD51が牽引してきた。重油併燃装置は転属前の北陸線時代のもの。
中津川機関区のD51の集煙装置は43年夏から本格装備を開始、この頃は245、249の2機のみが取付けていた。

13時過ぎの路線バスで南下、廃線が迫る瑞浪・釜戸間の旧線に向かった。中央西線電化の記録⑭に記載している。

重油併燃装置、集煙装置付のD51-245[中]牽引の上り貨物692レ 荷物車を連結していた





D51-267[中]の後補機





1968.4 武並・恵那

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和40年代前半の鉄道写真(80・中央西線電化の記録⑲)

2016-01-15 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

多治見・中津川間   補機奮闘

昭和43年3月1日、再び武並・恵那間で撮影。
中津川電化まで半年、気温が上がる前にD51を出来る限り撮っておきたかった。
DD51牽引の松本行普通で恵那10:28の到着、列車ダイヤに合わせて峠の両側を移動して上り勾配で待つ計画である。

建設中の別線の分岐点辺りまで行くと下り急行が坂を下ってきた。恵那の約1キロ手前からは腹付け線増区間になる。

キハ91系下り急行第2"しなの"、後尾から恵那方面を望む、左側は複線化に向け整地中


先に進んで恵那方面を振り返ると、左手に複線化に向けて建設中の別線の築堤が見える。
電化後、旧線は上り線で使用するためコンクリート架線柱が建てられていた。
下り急行と恵那で交換待ちの上り貨物列車が来るのは10時45分過ぎであり、これ以上先に行くと間に合わない。
貨物の編成が長大で、ここでは後補機を入れて撮ることができないが、仕方ない。

恵那市街地から2機のD51の素晴らしい煙が見え、ゆっくりゆっくり25‰を登って来た。



D51-495[中]牽引の上り貨物652レ






D51ー792[中]の後補機も負けない煙を吐いて押してきた


しばらく直線区間、25‰勾配は槙ヶ根トンネルの出口まで続く


いつもの下り貨物653レを武並側で撮るためには、ここから20分で峠の向こう側に行かねばならない。
線路距離は約2キロでもトンネル上を国道で越すとなるとかなり厳しい。補機の後を追って兎に角走った。

11時10分頃、竹藪沿いの線路脇に辿り着くと喘ぐようなD51が姿を見せて接近してくる。間に合った。
武並側は曲線が多いので空転を起こしやすい。極めて低速、風がないので真上に煙が上がった。

D51-826[中]牽引の下り貨物653レ






下り旅客が続いたが、フィルムが突然巻けなくなり泣く泣く見送った。フィルムを入替えてカメラ動作は回復。
このトラブルで恵那側に戻る気力が失せ、この頃から定期で重連運行されていた826レは下り勾配での撮影となった。

D51ー777[中]先頭の重連、上り松本発名古屋行826レ


この後は列車ダイヤに余裕があり、正午を跨いで再び恵那側に向かった。

キハ58系下り急行"赤倉" 後尾から


トンネル付近の曲線で12時半頃に来る2本目の上り貨物を待つ。ドラフト音が高まってD51が顔を見せた。



半戦時型煙室戸上部切欠きのD51ー851[中]牽引の上り貨物692レ


後補機のD51ー549[中]は煙の中


再び武並側に移動。13時過ぎ、目的地に向け歩く途中で下り旅客列車が来てしまった。

D51牽引の下り長野行829レ




この先はさすがに恵那側には行かず、上り貨物を見送って武並近くまで来た。下り急行に続行する下り貨物を待つ。

キハ58系下り急行第1"ちくま"


14時過ぎ、下り貨物列車が武並を通過して煙を吐き上げて25‰の築堤を登ってきた。

D51-265[中]下り貨物655レ




D51-528[中]の後補機


コンクリートポールが不満であったが、名残惜しい後姿は必ず撮っていた。



キハ58系上り急行第1"ちくま"


左側を見ると、新トンネルに向かう別線の工事が進行中であった。


1968.3 武並・恵那

D51牽引の上り中津川発名古屋行628レの到着


上り旅客と交換して14:52発車の下り旅客列車は逆光でお手上げ。

D51ー402[中]牽引の下り塩尻行831レの発車


帰りの列車待ちの間に上り貨物列車を撮影、武並15:38発DD51牽引の上り828レに乗って帰った。

D51ー266[中]牽引の上り貨物656レ 武並通過

1968.3 武並駅

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする