鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

Carlão、日本に興味

2010年12月20日 | Weblog
Carlão: «Acreditem na equipa»
AVANÇADO DESPEDE-SE E ASSUME SAÍDA PARA O JAPÃO

06:51segunda-feira, 20 dezembro de 2010Autor: R.C.

“Acreditem sempre na equipa.” Foi desta forma que o avançado Carlão se despediu ontem dos adeptos leirienses. O jogador assumiu, um dia depois do presidente João Bartolomeu ter desmentido a transferência, noticiada por Record, que “tudo está muito bem encaminhado” com o Kashima Antlers, faltando apenas “assinar contrato”.

Feliz pela mudança, Carlão agradeceu o apoio que sempre sentiu desde que chegou a Portugal, mas esta é a hora certa para partir. “Um jogador não pode escolher o seu futuro. Estamos sempre dependentes do que for melhor para a nossa carreira”, refere o brasileiro, de 24 anos, que acredita que o Oriente é o melhor destino: “Penso que o Japão é muito bom para mim. É um clube grande. Até um dia.”

Por outro lado, o empresário do jogador, Jorge Baidek, assumiu que existem “99,9% de hipóteses” de Carlão se transferir para a J-League. E quando questionado pela hipótese Sporting, o agente FIFA respondeu: “Ainda não assinámos. Até lá... tudo pode acontecer.”


日本行きに興味を示すCarlãoである。
ここ数日、話題をさらっており、昨日決裂したと報じられたCarlãoが日本行きに前向きとのこと。
我等としては終わった話題であり、この先進展するとも思えぬ。
期待せずに成り行きを見守ろうと思う。

梅鉢くん、負傷をバネに成長

2010年12月20日 | Weblog
【アスリートファイル】有終V狙うプラチナ世代 高校サッカー、関大一MF梅鉢貴秀
2010.12.20 14:23


4強入りした1年前の“再現”を目指す関大一高のMF梅鉢貴秀。卒業後はJ1鹿島入りが決まっている

 30日に開幕する第89回全国高校サッカー選手権は、逸材ぞろいの「プラチナ世代」が最終学年で臨む大会として注目選手の活躍に高い関心が集まりそうだ。
 2年連続4回目の出場となった関大一(大阪)を攻守で率いる主将も、その一人。大阪勢として32大会ぶりの4強進出に貢献してから1年、卒業後はJリーグ1部(J1)鹿島に入団する18歳は「今度は、僕らが引っ張って優勝を目指したい」と意気込みを語る。
 11月16日の大阪府大会決勝で左ひじの靱帯(じんたい)を断裂。当初は全治3カ月の診断で、全国大会への影響も心配されたが、今月5日からボールを使った練習を再開し、7日にはギプスも取れて本番に間に合うめどが立った。「手術は初めて。どうなるかな」と不安な思いもあったが、離れた立場から仲間を見ることで「チームのことをより考えるようになった」という。「マイペースな子」と感じていた佐野友章監督も「けがで変わった」と主将の自覚が芽生えたことを頼もしく感じている。
 練習では、3200メートル走をチーム最速の10分30秒で走る。「月まで走れ」という部のモットーを体現するスタミナは、父の明英さんの「サッカーをやる条件」という方針で中学時代まで熱心に取り組んだ水泳でもつちかわれた。もともとは右利きだが、両足で精度の高いキックをけれる技術も大きな武器だ。
 学年トップクラスの学業成績で、もともとは国立大進学を考えていたが、プロ入りを決断。鹿島で同僚となるのが1年前の選手権準決勝で戦い、「もっとも素晴らしい選手」と大きな刺激を受ける青森山田のMF柴崎岳だ。ともに勝ち進めば、決勝で顔を合わせる。この1年で「ポジショニングと次のプレーへの予測」が成長したという梅鉢の高校生活最後の戦いがいよいよ始まる。(堀健二)
      ◇
 【プロフィル】梅鉢貴秀(うめばち・たかひで) 1992年6月8日生まれ、大阪府出身。地元の高槻FCで小学1年からサッカーを始める。関大一高が4強入りした1年前の全国選手権では、八千代(千葉)との3回戦で後半32分に決勝ゴールを奪った。ポジションは中学時代からボランチ。176センチ、68キロ


高校選手権の意気込みを語る梅鉢くんである。
三ヶ月の怪我を負った時には心配をしたが、その苦難を糧にして成長した様子。
高校三年間で培った「月まで走る」スタミナは、プロ入り即効果を発しよう。
楽しみな逸材が入ってくる。
まずは高校選手権で実績を作って欲しい。
応援しておる。

誓志、鹿島復帰へ

2010年12月20日 | Weblog
増田、鹿島復帰へ…山形

鹿島復帰を決断した山形・増田

 鹿島からモンテディオ山形に期限付き移籍中のMF増田誓志(25)の鹿島復帰が19日までに確実となった。山形側の熱心な残留要請に気持ちが揺れたものの最終的に古巣でのプレーを希望。近日中に山形側と会談。自らの意思を伝える模様だ。

 増田は14日に復帰オファーを出した鹿島側と会談。関係者によると、復帰した場合、トップ下での起用を考えていることを伝えられたという。増田自身、鹿島の中盤で勝負したい気持ちが強いため、古巣復帰を決めた。

 ボランチとして、清水の日本代表MF本田拓也(25)、右サイドバック(SB)に新潟のDF西大伍(23)の獲得を目指している鹿島だが、増田復帰の場合、トップ下でのプレーに専念できる形。来季から小笠原ら全盛期を築いたメンバーからの世代交代を進めるチーム事情もあり、年齢的にピークを迎える増田にとって、活躍の場が整っている。

 今季、26試合出場と主力として活躍した増田。17日に治療を続けていた右足の故障も癒え、全体練習に合流。25日の天皇杯準々決勝・清水戦出場も可能性も十分。2年連続のJ1残留に貢献した司令塔が、山形に置き土産を残す。

(2010年12月20日12時14分 スポーツ報知)

田代に続き誓志も鹿島に帰参するとのこと。
これは重畳。
今季は攻撃的MFのコマ不足に悩まされ、選手層の薄さを露呈してしまった。
本山の負傷も有ったが、やはり誓志のレンタル移籍が痛かったことは紛れもない事実と言えよう。
そして、来季の誓志はトップ下での起用に決定しておるとのこと
山形での起用法、活躍を顧みるに、改めて誓志は攻撃的ポジションで光り輝くと実感した。
2006年から始まったボランチ起用は間違っておったのである。
攻撃的ポジションにて起用すれば、必ずや結果を残すであろう。
田代と誓志の帰参は、日本人の大型補強である。
右SBボランチFW、トップ下と各ポジションに補強を成し得た今、王者奪還とアジア制圧へ向けて気持ちが高ぶってくる。
誓志・田代と共に来季は強い気持ちで戦っていきたい。

平瀬、引退パーティ開催

2010年12月20日 | Weblog
平瀬引退パーティーに120人…仙台


平瀬(左)の引退パーティーに赤嶺(中)、太田らチームメートが参加

 今季限りで引退したベガルタ仙台のFW平瀬智行(33)の引退パーティーが19日、仙台市内のホテルで行われた。仙台のチームメートや関係者など120人が参加。場内のモニターには高校時代(鹿児島実)や鹿島、横浜M、神戸、仙台と渡り歩いた15年間の現役生活で挙げたゴールシーンの映像などが流された。
(2010年12月20日12時14分 スポーツ報知)

先日、引退を公表し、仙台のアンバサダーに就任する平瀬の引退パーティが開催されたとのこと。
さぞかし盛り上がったことであろう。
我等も鹿島時代のゴールシーンを見直し、平瀬の偉大なるプレイを堪能したい。
お疲れ様でした。

土居くん、山形県人のメンタリティ

2010年12月20日 | Weblog
Jリーガーへの夢つかむ
郷里離れ6年鹿島ユースから昇格


鹿島アントラーズへの入団が決まった土居選手(茨城県鹿嶋市の鹿島アントラーズクラブハウスで)

 サッカーJ1・鹿島アントラーズに本県出身の土居聖真選手(18)が、同クラブのユースチームから昇格し、来季からプロとしての道を歩む。小学6年の時に鹿島の強化担当の目に留まり、父親や友人らと離れて練習に励むこと約6年でようやく夢をつかんだ。2009年にJリーグ史上初のリーグ戦3連覇を果たしたビッグクラブへの入団に、「周りの人を魅了するプレーがしたい」と気合が入っている。

 土居選手は、攻撃の要となる攻撃的MFで、繊細なボールコントロールと相手の裏をかくプレーが持ち味。目標の選手は、清水エスパルス所属の小野伸二選手だ。「楽しませるプレーをする」のが理由だという。

 幼稚園から小学6年まで山形市のサッカー少年団「OSAフォルトナ山形」に在籍。全国大会や東北大会などでのプレーが鹿島スタッフの目に留まり、ジュニアユースに誘われた。小松義典育成部長は「点を取りまくる姿が印象的だった」と振り返る。

 しかし、ジュニアユースに入るには転校が必要で、家族や友人と離ればなれになってしまう。新しい環境への不安もあった。それでも、「プロになりたい」という思いが勝り、父を残して母・栄美さん(38)と2人で茨城で暮らすことになった。

 緊張と期待で胸をいっぱいにして臨んだ初練習。レベルの高い選手を相手に、得意のドリブルでボールを渡さなかったことで自信を深めたという。山形の友人や家族を思い出すこともあったが、そんな時は、少年団の友人から贈られたメッセージ入りのサッカーボールを手に取った。その度に背中を押されたという。

 中学卒業とともにジュニアユースからユースへと昇格し、母と別れて寮生活をスタート。高校時代には16歳以下の日本代表に選出され、“世界”を肌で感じる機会にも恵まれた。順調にステップアップする土居選手に、栄美さんは「日本を代表する選手になって」と期待を寄せる。

 10月には山形で、モンテディオのユースチームと対戦。この試合で、少年団時代の同期2人と再会した。「本当にプロになるとは」「まだこれから。頑張れ」――。いまだ夢を果たしていない同期の言葉に、決意を新たにした。

 少年団で、土居選手を指導した椎名俊臣監督は「紅白戦でわざと弱いチームに入って勝たせようとするなど、サッカーに一番真摯(しんし)に向きあっていた。けがだけはせず、どんどん伸びていってほしい」とエールを送る。

 「自分を育ててくれた地元で成長した姿を見せたい」と山形での試合を楽しみしているという土居選手。「スタートラインに立ったばかりだが、レギュラーの座を脅かす存在になりたい」と夢を膨らませている。

(2010年12月19日 読売新聞)

来季の新人・土居くんを報じる読売新聞である。
山形の小学生であった土居くんが、強化担当に見いだされ、ジュニア・ユース、ユースと進んだ歴史が語られておる。
若くして故郷を離れた土居くんには、苦悩も有ったと思われる。
中学生時代こそ母・栄美さんが傍らにおったが、ユース時代は独り寮生活である。
山形県人の思いやりがあり、情が細やかという気質に加え、耐えるメンタリティも培われたのでは無かろうか。
そして、そこから「周りの人を魅了するプレイ」を信条とするようになったと言えよう。
多くのプレイで人を楽しませ、多くの得点を決めて欲しい。
楽しみな新人である。

田代、戻るつもりです

2010年12月20日 | Weblog
田代「戻るつもり」鹿島からの復帰要請を受諾
 山形に期限付き移籍していた元日本代表FW田代が、鹿島に復帰することが決定的となった。マルキーニョスが退団するなどFWの層が薄くなったため復帰を要請していたが、田代から「戻るつもりです」と連絡が入った。

 田代は今季10得点を挙げており、来季主力として期待される。今オフは積極的に補強を進めているが、田代の復帰が決定的になったことでFWの獲得は新外国人を残すだけとなった。

[ 2010年12月20日 ]

昨日、ニッカンがスクープした田代の帰還であるが、改めてスポニチが報じてきた。
スポニチは田代のコメントを載せており、復帰を実感させてくれる。
これで、昨季は足りなかった前線での高さを有することとなろう。
田代が尊敬する鈴木隆行が如くレンタル先からの帰還後の活躍を期待したい。
楽しみである。

柳沢敦、仙台のカリスマFWへ

2010年12月20日 | Weblog
柳沢、仙台入り決断…甲府と大分に断り
 京都を戦力外になった元日本代表FW柳沢敦(33)が移籍先を仙台に決めたことが19日、分かった。甲府と熊本からもオファーを受けていたが、甲府に続きこの日、熊本側に断りを入れ、同時に仙台への移籍を決断したことを伝えた。

 11月初旬に京都から戦力外通告を受けた柳沢には、熊本が真っ先にオファーを出し、甲府も続いた。仙台は手倉森誠監督(43)の続投決定で獲得に名乗り。現役時代鹿島の前身の住友金属に所属し、柳沢と親交のある手倉森監督が交渉に直接出馬し、仙台への移籍決断に至った。

 仙台はFW平瀬智行(33)の引退を受け、若手の手本となるカリスマ的なFWを探していた。その後釜として柳沢が格好の標的となった。

 柳沢は96年に鹿島でプロデビュー。サンプドリア、メッシーナでセリエAを経験し、06年に鹿島に復帰した。08年、出場機会を求めて京都に移籍。J1通算305試合出場で、日本人4人目の100ゴールを達成するなど計101得点を挙げた。日本代表でも06年ドイツW杯など58試合に出場し、17得点を挙げている。

(2010年12月20日06時01分 スポーツ報知)

柳沢敦の仙台移籍を報じる報知である。
仙台移籍に関しては、12月16日にスポニチがスクープしておるため驚きはない。
平瀬から柳沢へカリスマFWのバトンタッチが行われるのは素直に嬉しい。
また、中島との2TOPが実現すれば、鹿島ファンとしても喜ばしいことである。
柳沢敦には仙台のJ1残留へ尽力し得欲しいと願う。

シャルケ・篤人、勝敗を五分に

2010年12月20日 | Weblog
ラウルがハット!内田シャルケは3連勝
2010.12.20 05:04


ボールが内田の頭を直撃…ではなく、ヘディングしたのだと思います、たぶん(ロイター)

 ブンデスリーガ・シャルケの日本代表DF内田篤人(22)が18日、ケルン戦(ホーム)にフル出場。元スペイン代表FWラウル・ゴンサレス(33)のハットトリックを演出するなど、3-0の快勝に貢献した。

 冬季中断前の快勝をDF内田が演出した。1-0の後半7分、自陣からロングボールをMFファルファンに上げると、そこからの右クロスがFWラウルの2点目につながった。同42分にはゴールやや右でFKをゲット。これがラウルの今季2度目のハットトリックとなる3点目につながり、3連勝を決定付けた。

 「素晴らしい仲間のおかげだし、きょうのことは一生忘れないだろうね」と、ラウルは内田らに感謝。2点演出だけでなく、安定した守備で完封にも貢献した内田は、笑顔と拍手でラウルをたたえた。

 移籍直後の今季開幕時は出場機会が少なかった内田だが、これで10試合連続先発。大型選手への対処法などを身につけ、不動の存在になった。1月のアジア杯に向け、週末にも帰国予定。次はザック・ジャパンで、成長した姿を披露する。

ラウルハット、内田シャルケが10年3連勝締め

ケルン戦の前半、競り合うシャルケの内田(左)(共同)

 ◆ドイツ・ブンデスリーガ第17節 シャルケ04 3─0 1FCケルン(18日、フェルティンス・アレナ) 日本代表DF内田篤人(22)が所属するシャルケ04が、1FCケルンに3―0で快勝した。

 スペインの至宝が、貫禄のハットトリックでリーグ年内最終戦を締めくくった。ヘディングで先制したFWラウルは後半5分、内田のパスから始まった攻撃で、2点目をゲット。ラウルは42分にも3点目を決め、移籍後初のハットを達成した。マガト監督は「ラウルはチームにとって最も大切な選手だ」と33歳の新エースに賛辞を惜しまなかった。

 内田は「無失点だったからうれしいです。前で点を取ってくれる人もいるし」と笑顔をみせた。降格圏に低迷した序盤のつまづきから完全に立ち直った。チームの復調と同時に、内田自身もフィットしてきた。アジア杯参加は「まだ分かんないです。メンバー発表されてないし」というが、フルメンバーの招集は確定的。決勝まで進出すれば少なくともリーグ戦4試合の離脱となる。

 暫定10位に浮上。得失点差もプラス1となり“借金”を完済した。「もっともっと(順位を)上げていかないと。それができるメンバーだと思っていますから」。CL1回戦の相手バレンシアについては「全然分かんないっす」という内田。「これから、って気がします」と、日本代表のことよりも、上昇ムードのチームから離れがたい様子をうかがわせていた。

[2010/12/20-06:01 スポーツ報知]

完封を喜ぶシャルケの篤人である。
チームも上昇気流に乗り、勝ち負けを五分とした。
不動のレギュラーを掴んだ篤人が独で活躍しておるのは素直に嬉しい。
良いクリスマス休暇を過ごして欲しい。