鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

2005年の想い出

2010年12月07日 | Weblog
[ J1:第34節 鹿島 vs 柏 ]

前半ロスタイムにアレックスミネイロがGOAL!! 前半7分の先制点後、ややリズムを失った鹿島を再び奮い立たせる2点目だった。

[ J1:第34節 鹿島 vs 柏 ]

先制点は野沢! 最終節を4位で迎えた鹿島は勝つしかない状況で得点を重ねたが…。

[ J1:第34節 鹿島 vs 柏 ]

後半34分にPKで今季初ゴール(通算4得点め)を決めた本田選手。
「かつて、ハセ(長谷川)の最後の試合で、私が勝敗に固執しすぎたために彼に出場機会を与え忘れてしまった。彼をスッキリと送り出せなかったことを今でも反省している。今日は本田に感謝の気持ちを伝えたかった」とトニーニョ・セレーゾ監督が指示したものだったという。

[ J1:第34節 鹿島 vs 柏 ]

最終戦の試合後あいさつで、涙で言葉に詰まったトニーニョ・セレーゾ監督。「6年間、応援してくれた1人1人に、選手たち1人1人にありがとうと言いたい」とメッセージ。
セレモニーで選手たちと場内を1周した後には、ゴール裏のサポーターから胴上げも…。メインスタンドやバックスタンドにもたくさん残ってコールを送り続けるサポーターに手を振り、6年間のリーグ戦の指揮を終えた。

[ J1:第34節 鹿島 vs 柏 ]

記者会見場を出るトニーニョ・セレーゾ監督の最後の言葉は「日本は、最後にいちばん泣かされる国だよ」。涙をためた目で会見場に現れ、時に笑顔を見せたが、最後にはまた涙をたたえて会見場を去っていった。


2005年最終節の想い出である。
あの試合では優勝の可能性は残されておったが他力本願の部分もあった。
退任の決まっておった髭ことトニーニョ・セレーゾ監督のリーグ戦最終節を有終の美で飾りたかったため、チームの士気は高かったと言えよう。
結果だけ申せば、4-0で完封勝利。
野沢の2得点とアレックス・ミネイロに本田主将のPKであった。
本田主将のPKを得たのは野沢であったため、誰もが野沢のハットトリックを期待したことを覚えておる。
圧倒的強さで勝利を積み重ねた2005年シーズンも、後半は引き分けが多く優勝には見放されてしまった。
どこかに慢心があったのやも知れぬ。
この想い出を胸に、我等は前へ進んだのである。
歴史を紐解くのも悪い話ではない。

鹿島で育ったシャルケの篤人

2010年12月07日 | Weblog
内田はバイエルン戦で守備に貢献、香川はマークに苦しむ
ブンデスリーガ第15節 日本人選手の通信簿

2010年12月6日(月)
■内田はリベリーとマッチアップ


バイエルン戦でリベリーとマッチアップしたシャルケの内田(左)【Bongarts/Getty Images】
 シャルケ04は4日、王者バイエルンをホームに迎えた。この日も内田篤人は右サイドバックとして先発し、フル出場を果たした。前半はバイエルンがゲームを支配し、7度の決定機をつかんだが、FWマリオ・ゴメスのシュートミスやシャルケのGKノイアーの好セーブもあり、無得点に終わる。
 後半になるとシャルケが巻き返し、58分にフラドが、67分にヘベデスがゴールを決め、2-0で勝利。内田は前半こそリベリーに裏を取られる場面が見られたが、後半はしっかりと守備でも貢献した。

■「鹿島でやってきたことが生きている」

<内田のコメント>


――前半はピンチの連続でしたが

 向こうも良いチームですから、ピンチはたくさんありましたけど、体を張って防いだり……。センターバックの2人が本当に良いプレーしてくれた。

――前半の中盤から終盤にかけて、リベリーに立て続けに裏を突かれ、決定機を許していましたが、その後にはどういう意識でプレーしていた?

 ああ、こいつは(守備には)下がって来ないで(前線に)残っているというのは分かっていたんだけど、そこで(自分が)前に行かないというのは、せっかく(バイエルンと試合を)やっているのにつまらないな、と思って。

――後半、オーバーラップは抑え気味でしたが、ロスタイムには前線に上がって良いクロスを入れていました。そこは自分の判断で?

(2点をリードしてからは)上がるなとは言われていたけど、「ここは行っていいでしょ!」と。もちろん、上がった後には(自陣への)戻りだけはしっかりとしないといけない。戻る時はマジ、必死でしたけど(笑)。

――そのあたりの判断は、うまくできるようになってきた?

 うーん……まだまだ。探りながらですけど、
鹿島でやってきたことが生きているかな。そのへんはオズワルド(鹿島監督)から厳しく言われていたし、満男さん(小笠原)だったり、サッカーを知っている人から、いろいろと教わってきましたから。

<ドイツメディアの評価>

・『キッカー』誌(スポーツ専門誌):3点

・『ビルト』紙(全国紙):4点

※ドイツの採点方式では1が最高、6が最低点


独での躍進を鹿島で培ったとコメントするシャルケの篤人である。
鹿島で育み、多くの者を得、そして旅立った内田篤人。
彼が我等の残したものは多い。
そして、篤人が鹿島から得たものもまた多いのである。
鹿島のDNAを独で、欧州で、発揮するのだ。
篤人の活躍は我等にとっても励みになる。
来年のCWCで対戦すべく、鹿島は天皇杯に照準を合わせた。
共に強く戦っていこうではないか。