鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

セレッソ・石神、湘南へ

2010年12月16日 | Weblog
セレッソ大阪 石神直哉選手 移籍加入のお知らせ
この度、セレッソ大阪の石神直哉選手が移籍加入することになりましたのでお知らせいたします。

尚、石神選手は完全移籍による加入となります。

【プロフィール】

◆氏名
 石神 直哉(イシガミ ナオヤ)

◆生年月日
 1985年3月2日(25歳)

◆ポジション
 DF

◆身長/体重
 181cm/74kg

◆出身
 茨城県

◆出身チーム
 横瀬SSS-神栖第一中-鹿島高-神奈川大-鹿島アントラーズ-セレッソ大阪

◆出場記録  

年度
所属チーム
リーグ戦
カップ戦
天皇杯
2007
鹿島アントラーズ
10試合0得点
3試合0得点
0試合0得点
2008
鹿島アントラーズ
4試合0得点
0試合0得点
0試合0得点
2009
セレッソ大阪
50試合5得点

0試合0得点
2010
セレッソ大阪
14試合1得点
4試合0得点
2試合0得点
合計
78試合6得点
7試合0得点
2試合0得点
【石神選手コメント】
このたびセレッソ大阪から加入することになりました石神直哉です。去年のJ2では、大変苦しめられた、すばらしいチームに加入できることをうれしく思います。一緒に1年でJ1に戻りましょう!

【10/12/16】石神直哉選手 湘南ベルマーレへの完全移籍のお知らせ
弊クラブ所属のDF石神 直哉選手が、湘南ベルマーレへ完全移籍することになりましたので、お知らせいたします。
石神 直哉選手のプロフィール、コメントは下記のとおりです。

【石神 直哉(いしがみ なおや)選手 プロフィール】
■生年月日:1985年3月2日(25歳)
■出身地:茨城県
■身長/体重:181cm/74kg
■ポジション:DF
■経歴:横瀬SSS-神栖第一中-鹿島高-神奈川大-鹿島アントラーズ-セレッソ大阪
■出場記録:J1通算 リーグ戦28試合出場(1得点)/カップ戦7試合出場(0得点)/天皇杯2試合出場(0得点)
J2通算 リーグ戦50試合出場(5得点) / 天皇杯0試合出場(0得点)

■石神 直哉選手コメント

「このたび湘南ベルマーレに移籍することになりました。2年間という短い間でしたが、どんなときも温かい応援をありがとうございました。サポーターの皆さんとは、一緒にJ1昇格、ACL出場という結果を残せてうれしかったです。大阪というすばらしい街から離れるのは大変さびしいですが、長い休みや試合などでまた大阪に来られるのを楽しみにしています。ありがとうございました」

昨年、惜しまれながらもセレッソに完全移籍した石神であるが、来季からは湘南のユニフォームを着ることになったとのこと。
去年、セレッソのJ1昇格に尽力し、レギュラーポジションとして請われて移籍したはずが、若手にポジションを奪われ不遇を託っておった。
そこに、U-23日本代表に呼んだこともある反町監督が目を付けた模様。
是非とも、レギュラーポジションを得、湘南の主力として輝きを放って欲しい。
フィジカル・レフティの名に恥じぬよう、上下のアップ・ダウンを繰り返すのだ。
そして、得意の左足からクロスを上げよ。
来季の湘南に注目である。

満男のパス捌き

2010年12月16日 | Weblog
2010年12月16日(木)

冷たい雨が降る中、4つのゴールを使用したミニゲームなど、実戦形式のトレーニングを行いました。

練習する満男である。
天皇杯で頂点を目指すには小笠原主将が本来の力を発揮する必要が有る。
中盤の王様として君臨せよ。
ボールを奪取し、パスを捌き、ゴール前へ飛び込むのだ。
小笠原満男と共に日本一の栄冠を手に入れたい。
元日に向けてリスタートである。

V逸の理由は如何に

2010年12月16日 | Weblog
“常勝”鹿島に突きつけられた課題
岐路に立つ79年組体制

2010年12月16日(木)
■4連覇の可能性はかなり薄かった


4連覇を逃した鹿島は、最終的に4位に沈んだ【写真:アフロ】

 72、63、66、60。
 オズワルド・オリベイラが率いるようになった4シーズン、鹿島アントラーズが獲得した勝ち点を並べると、こういう数字となる。今季と3連覇を果たした昨季との数字を比べてみても差はわずかに6なのだ。しかし、終盤に追い付かれてしまった第26節の湘南ベルマーレ戦などを、しっかり勝ち切ったとしても名古屋グランパスの独走を止めることはできなかっただろう。

 なぜなら、数字を見れば明らかだが、鹿島の勝ち点が70を超えたのは終盤の9連勝で優勝をもぎ取った07年の1度しかない。しかし、第29節の直接対決を前にして、名古屋の勝ち点はすでに60に達していた。残り6試合を五分五分の成績だったとしても、勝ち点は69まで延びてしまう。そうなると鹿島のペースでは、追い付くのが難しかったのだ。

 そのことは、選手たちも痛感していた。まだ名古屋との直接対決を残し、わずかながら逆転優勝の可能性が残された時期でも、岩政大樹は「これだけ走られてしまうと、うちの戦い方を考えると厳しいんですよね」と、ため息混じりに漏らすこともあった。確かに、ヴィッセル神戸に引き分け、ジュビロ磐田に敗れるなど、シーズン終盤の戦い方はふがいないものだった。しかし、今季は、3連覇したシーズンと比べると、まったく違う様相を持ったタイトル争いだったのである。過去3年と同じように戦った鹿島の4連覇の可能性はかなり薄かった。

■チーム力を表す二つの要素

 変えたのは、もちろん名古屋だ。鹿島の鈴木満常務取締役強化部長も、そのことを強く認識していた。
「これまでの名古屋は100の戦力を用意しても、その半分の50くらいの力しか出せなかった。だから、うちが80の戦力だとしても、発揮率を高めて70にすれば勝てた。でも、今年は戦力を150にしてきた。そうすると発揮率はそのままでも75になる。大概、どこのチームもそこまでできないけど、久米さんはやり切った。いまの時代、そこまでやり切るは久米さんしかいない」

「久米さん」というのは名古屋の久米一正ゼネラルマネージャーのこと。くしくも2人は中央大学サッカー部の先輩と後輩になる。久米が柏レイソルに在籍していた時期から、強化担当者同士しのぎを削り、久米にとって鈴木の存在は常に「目の上のたんこぶ」だったのだ。
 鈴木によると、チームの力を表すには二つの要素があるという。一つは、優秀な選手がいればいるほど高くなるチームが持つポテンシャル、つまり戦力の「絶対値」だ。もう一つが「発揮率」。いくら良い選手がたくさんいても、その能力が発揮されなければ宝の持ち腐れとなってしまう。編成を苦慮し、選手をうまく組み合わせ、モチベーションを高く保つようにサポートを欠かさないことで、発揮率は高められる。

 鹿島というか、鈴木が得意としてきたのは発揮率を極限まで高めることだ。例え話とはいえ、80の戦力があれば70まで発揮させることができると豪語できるのは鈴木くらいだろう。発揮率は0.875。チームが持つポテンシャルを、ほとんどすべて出させているのだ。
 とはいえ、どんなに力を発揮しても絶対値が80ならば、発揮率が100%だとしても80を超えることはない。強力な布陣を敷いてきた名古屋のやり方が軌道に乗り始めたこともあり、追走することはできなかった。

■逆転を狙う場面で小笠原をベンチに下げる


オリベイラ監督の戦い方はチームの実情にそぐわなかった。来季は新しい戦い方を模索する必要がある【写真:アフロ】

 しかし、名古屋の独走を許してしまった要因は強化部の方針だけではなく、さまざまな要素が絡み合った結果だ。オリベイラ監督の戦い方が、チームの実情にそぐわなくなってしまったことも、一つの要因として見逃せない。これまでは、威風堂々とした指揮官に率いられどんな相手を前にしても戦い方を変えず王道を歩んできたが、今季はそのやり方では勝てなかった。疲弊した主力選手たちのパフォーマンスは一貫して高まらず、元気な若手は気持ちをくすぶらせてしまったのである。

 オリベイラはメンバーを固定して戦う。そのため終始一貫して戦い方はぶれず、安定した成績を残すことができていた。夏場になると毎年のように失速する鹿島だが、昨季にあった5連敗後の復活劇の際も「戻る場所があった」と小笠原満男が話したように、やり方を変えずに戦うことが3連覇につながっていた。フィジカルコーチ出身の監督らしく、年間を通じてピークをどこにもってくるのか計算され尽くしたコンディショニングで、他チームの追随を許さず、11月、12月の終盤戦は無敗を誇ってきた。ところが今季は、夏場に落ちた運動量がいつまで経っても戻らず、試合をコントロールする王道のサッカーを志すも、そこからほど遠いサッカーしか見せることができなかったのである。

 終盤戦は、その移り変わりを顕著に表していたのかもしれない。リーグ戦で8年ぶりに勝利を譲った11月23日の磐田戦後、伊野波雅彦は沈痛な面持ちだった。
「見た人が一番分かるでしょ」
 動けない中盤はセカンドボールを支配され、試合をコントロールするどころではなかった。

 次の京都サンガF.C.戦では、目を疑う光景が待っていた。速攻から左サイドを攻め上がる小笠原。ペナルティーエリアに侵入し、左足で中央に折り返そうとしたその時、軸足の右足に力が入らず左足を振り抜くことができなかった。ボールは転々とエンドラインを割っていった。
 最終節のモンテディオ山形戦では、逆転を狙うための大切な時間帯に交代を命じられたのが、その小笠原だった。こうした大事な場面でキャプテンをベンチに下げる判断を、オリベイラ監督が下したのは初めての出来事だった。

■新しいやり方を模索しなければ今季の二の舞も

「今年は良くない時期も確かにあった。チームも勝てなかったし」
 小笠原は自身の今季をそう振り返った。ただ、悔しさを糧にして天皇杯や来季に向かうわけでもないという。
「悔しい、悔しいと言って勝てるなら、次の試合にも悔しさをぶつけますけど、そうじゃない。それに、常に満足はないですね。勝ったとしても、喜びはあるけど満足はない」

 もしかしたら、その繰り返しが“常勝”を支えてきたのかもしれない。とはいえ、鹿島は来季から新たなサイクルに入る。小笠原とともにオリベイラ体制のエースFWだったマルキーニョスが退団。惜しむ声も聞かれるが、マルキーニョスがリーグ戦に先発で出場できなかった試合は、昨季の3に対し今季は7と急増した。得点は11と二けたを超えたが、その得点パターンはごくごく限られたものだけになり、衰えは隠しようがなかった。

 また、名古屋との戦力差を最小限に押しとどめる必要性もある。当初は、小笠原や中田浩二といった79年組から来季に入団するプラチナ世代への緩やかな世代交代が予定されていたが、本山雅志がこの1年でほとんどピッチに立てないなど(15試合出場)、想定外の事態を迎えている。「小笠原ら、主力が動けるうちに」という狙いも、いつ絵空事になってしまうか分からない。ちょうどその間の世代となる清水エスパルスの本田拓也獲得へ動き、戦力の充実を図る理由も推し量れる。

 ただ、そうなれば監督の采配(さいはい)も変わらざるを得ないだろう。
 名古屋があれだけの戦力を集めた以上、ある程度の戦力を確保しなければ対抗できない。しかし、まだ正式な合意はないが、オリベイラ監督続投の方針に変わりはなく、メンバーを固定する従来のやり方では不満がたまることは避けられない。控え選手たちの不満を、自らの練習姿勢で抑えていた大岩剛も引退する。勝点70を目指した戦いになった時、もし従来のまま、シーズン半ばに失速するようなことがあれば、それは優勝戦線からの離脱を意味する可能性もある。新しいやり方を模索しなければ難しいだろう。
 来季、チーム創設20周年という記念すべき年を迎える鹿島。どんな姿で現れるのだろうか。


<了>

田中氏による2010年の鹿島を振り返るコラムである。
優勝した名古屋の戦力と監督の戦い方にスポットが当たっておる。
概ね、多くの人々が思う結論に近いと思われる。
まず、名古屋の戦力は突出しておったことは事実であろう。
代表クラス、外国人をずらりと並べた選手層は他のクラブからすると羨望の眼差しであったに違いない。
特にGK、CB、FWは日本屈指と言っても過言では無かろう。
そして、それ以上にサブが充実しておった事が優勝の要因との分析である。
それもまた、一つの考え方と言えよう。
とはいえ、今季の鹿島も+1構想として、それぞれのポジションに+1人の人員を配し戦力を増強したとのことであった。
この状況は鹿島以上に名古屋は充実した戦力を有したということなのであろう。
確かに、本山の離脱や、篤人・イ・ジョンスの移籍など、戦力低下に対して手を拱いたことは紛れもない事実である。
ヤスの成長や、ジウトンの抜擢で、サブの層が極端に薄くなってしまったことは手に取るようにわかった。
また、監督の采配も一つの大きな要素と言う。
確かにメンバーを固定して戦っておるように映る戦術は、そう受け取られても仕方のないところと言えよう。
しかしながら、前述したように、選手層を考慮すると、変えようがなかったことも事実では無かろうか。
船山や修人を重要な試合で起用できたかどうか疑問である。
ジウトンや新井場に代わって出場した宮崎と當間が結果を残したかと言うとそうとは言いきれぬ。
流石に大迫にマルキーニョスの代役は荷が重すぎた。
単に監督の戦い方だけを批判するのは、浅はかのように思えるのも事実であろう。
今季の反省は反省として検討したい。
そして、来季に目を向けると、新戦力を多く抱えることとなろう。
今季とは異なる戦い方で、また新たにチャレンジしていきたいと思う。

曽ケ端、契約交渉

2010年12月16日 | Weblog
鹿島 GK曽ケ端に複数年契約を提示
 鹿島の日本代表GK曽ケ端が契約延長のオファーを受けた。契約更改交渉がスタートし、年俸は現状維持の7000万円(推定)だったが、残り1年だった契約年数を2年に延長することを提示された。

 3年連続で公式戦全試合に先発フル出場している不動の守護神は、「年俸?優勝しないといけないチームなので」と現状維持には納得しており、次回の交渉でサインする見込みだ。
[ 2010年12月16日 ]

曽ケ端、2年連続リーグ最少失点も現状維持…鹿島
 鹿島の来季の契約交渉が15日に始まり、日本代表GK曽ケ端らが臨んだ。今季リーグ戦で4連覇を逃し、4位に終わったため、主力についてはほぼ現状維持の提示。2年連続のリーグ最少失点と結果を残した曽ケ端も複数年契約、現状維持の年俸7000万円(推定)を提示を受け、「優勝を義務づけられているチーム。来年は優勝目指してやりたい」と話した

(2010年12月16日06時02分 スポーツ報知)

曽ケ端が契約交渉を行ったとのこと。
現状維持の7000万円に契約年数の延長に納得した様子。
最少失点・最少負け数、そしてフル出場のGKに対して厳しい提示だとは思うが、タイトルを逃した事実は曲げられぬ事実であろう。
来季は多くのタイトルを得、多くの完封檄を演じて欲しい。
期待しておる。

平瀬智行、仙台アンバサダー就任

2010年12月16日 | Weblog
J1仙台のアンバサダーに平瀬就任へ

平瀬智行

 J1仙台のアンバサダーに、今季限りで現役を引退する仙台の元日本代表FW平瀬智行(33)が来季就任する見通しであることが15日分かった。初代アンバサダーの元日本代表MF岩本輝雄さん(38)は退任する。
 アンバサダーは2009年1月に新設したポスト。クラブの親善大使として、各種イベントやサッカー教室などで活動する。岩本さんは2年間にわたり高い知名度を生かし、クラブの認知度アップやサッカーの普及などに取り組んだ。
 平瀬は現役引退後も、仙台に残ってクラブに役立ちたいとの意思を示しており、クラブは知名度、実績のほか、これまで地域貢献活動に取り組んできた姿勢などを評価し、岩本さんの後任とする方針を固めたもようだ。
 平瀬は東京都出身、鹿児島実高出。1996年から鹿島でプレーし、00年のシドニー五輪代表も務めた。08年に仙台入りし、昨季は40試合出場8得点でJ1昇格に貢献したほか、岩手・宮城内陸地震の被災地支援などにも熱心に取り組んだ。

2010年12月16日木曜日

我等が三冠戦士・平瀬智行が仙台のアンバサダーに就任とのこと。
これは重畳。
平瀬には、まだまだサッカー界に貢献してもらわねばならぬであろう。
2004年に去るまでは、鹿島FWの軸として活躍した平瀬には、2000年の三冠のイメージが強い。
しかしながら、平瀬を語る上で最も重要な年と言えば、2003年であろう。
助っ人のエウレルは負傷がちであり、ベテランの長谷川がユニフォームを脱いだこの年の後半は、平瀬以外には新人の中島と深井だけというFW陣で一人気を吐きチームを牽引してくれた。
この年、ナビスコ杯決勝戦に出場できれば(累積警告で出場停止)歴史は変わっておったやも知れぬ。
また、2ndステージでは最終節まで優勝争いに加われたのは、平瀬の活躍のおかげと言っても過言ではない。
そして、長谷川の引退試合となった。2003年7月27日、1stステージホーム最終戦のセレッソ大阪戦で11番のユニフォームを手渡したことが、印象に残っておる。
これだけ活躍した2003年の平瀬であるが、いくら得点を重ねても平瀬のコールをしないという愚挙に及んだのもこの年である。
平瀬には鹿島のレジェンドとなる素養があったことは紛れもない事実であろう。
彼の残した足跡は決して消えぬ。
仙台の地で、新たなる人生を歩み始めることに期待しておる。

柳沢敦、仙台を選択

2010年12月16日 | Weblog
柳沢、甲府&熊本“蹴って”仙台移籍へ
 京都から戦力外通告を受けた元日本代表FW柳沢敦(33)が来季、仙台入りすることが決定的となった。来季J1に昇格する甲府、J2熊本からもオファーを受けていたが、関係者によると、15日に仙台側と交渉を持ち、仙台入りを決断。条件面などの細部の詰めが終わり次第、正式発表される運びとなった。

 柳沢は欧州移籍を挟んで10年間在籍した鹿島を離れ、08年に京都へ移籍。移籍初年度には日本人トップのリーグ14得点を挙げた。今季も主力として31試合3得点を記録したが、高年俸もあり来季J2に降格する京都から契約を延長しない方針を伝えられていた。日本代表として02年日韓大会、06年ドイツ大会と2度のW杯に出場。国際Aマッチ通算58試合17得点を誇るストライカーが新天地で復活を期す。

[ 2010年12月16日 ]

ここ数日紙面を賑わせておる柳沢敦の移籍先であるが、J1の仙台に落ち着きそうである。
来季もまたトップリーグでの活躍ということで、我等の前に立ちはだかってくることとなろう。
今季、鹿島は仙台とアウェイでは勝ち星を落としておるだけに、来季は是非とも勝利を挙げたいところ。
その仙台に大きな戦力が加わったことで、我等にとっては驚異と言えよう。
柳沢には、来季も得点を重ね、日本屈指のFWであるところを見せつけて欲しい。
対戦が楽しみである。