鹿島アントラーズ原理主義

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平瀬智行、仙台アンバサダー就任

2010年12月16日 | Weblog
J1仙台のアンバサダーに平瀬就任へ

平瀬智行

 J1仙台のアンバサダーに、今季限りで現役を引退する仙台の元日本代表FW平瀬智行(33)が来季就任する見通しであることが15日分かった。初代アンバサダーの元日本代表MF岩本輝雄さん(38)は退任する。
 アンバサダーは2009年1月に新設したポスト。クラブの親善大使として、各種イベントやサッカー教室などで活動する。岩本さんは2年間にわたり高い知名度を生かし、クラブの認知度アップやサッカーの普及などに取り組んだ。
 平瀬は現役引退後も、仙台に残ってクラブに役立ちたいとの意思を示しており、クラブは知名度、実績のほか、これまで地域貢献活動に取り組んできた姿勢などを評価し、岩本さんの後任とする方針を固めたもようだ。
 平瀬は東京都出身、鹿児島実高出。1996年から鹿島でプレーし、00年のシドニー五輪代表も務めた。08年に仙台入りし、昨季は40試合出場8得点でJ1昇格に貢献したほか、岩手・宮城内陸地震の被災地支援などにも熱心に取り組んだ。

2010年12月16日木曜日

我等が三冠戦士・平瀬智行が仙台のアンバサダーに就任とのこと。
これは重畳。
平瀬には、まだまだサッカー界に貢献してもらわねばならぬであろう。
2004年に去るまでは、鹿島FWの軸として活躍した平瀬には、2000年の三冠のイメージが強い。
しかしながら、平瀬を語る上で最も重要な年と言えば、2003年であろう。
助っ人のエウレルは負傷がちであり、ベテランの長谷川がユニフォームを脱いだこの年の後半は、平瀬以外には新人の中島と深井だけというFW陣で一人気を吐きチームを牽引してくれた。
この年、ナビスコ杯決勝戦に出場できれば(累積警告で出場停止)歴史は変わっておったやも知れぬ。
また、2ndステージでは最終節まで優勝争いに加われたのは、平瀬の活躍のおかげと言っても過言ではない。
そして、長谷川の引退試合となった。2003年7月27日、1stステージホーム最終戦のセレッソ大阪戦で11番のユニフォームを手渡したことが、印象に残っておる。
これだけ活躍した2003年の平瀬であるが、いくら得点を重ねても平瀬のコールをしないという愚挙に及んだのもこの年である。
平瀬には鹿島のレジェンドとなる素養があったことは紛れもない事実であろう。
彼の残した足跡は決して消えぬ。
仙台の地で、新たなる人生を歩み始めることに期待しておる。

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