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6月10日、夜中に電話のベルで、目を覚ましました。
受話器を取ろうと思ったら、すぐに切れてしまいました。
すぐに切れたのは、夢だったからです。
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明け方、兄から「病院から母の様子が急変したとの連絡があった」と電話がありました。
慌てて支度をして、上京。
元々、この日は前の上京から1週間経つので、病院へ様子を見に行く予定でいました。
主人は、あいにく体調が悪く病院へ行く予定。
とりあえず、私だけあずさで上京。
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この時、既に母の命はありませんでした。
死亡診断書による母の命の絶えた時間。
2013年6月10日6時41分。
この日、姉も3時半頃目が覚め、母に何かあったのではと思ったそうです。
私が夢の電話で、目が覚めたのも同じ頃。
死亡診断書は、医師が出勤して死亡を確認した時刻になりますので、実際には、私と姉が目を覚ました時間頃に亡くなったのかもしれません。
翌11日。
森鴎外、
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太宰治の墓のある寺での葬儀となりました。
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12日が友引きのため、11日、13日は寺も火葬場も、大変、混雑しているそうです。
母の息子も婿も、既に定年退職済みですので職場の義理もなく、母の生前から家族葬と決めてありました。
私は、前々から母が亡くなる時は、さぞ取り乱すことだろうと思っていたのですが、意外と冷静でした。
母が、94歳まで長生きしてくれたせいでしょうか。。。
担当してくださったお坊様のお話では、「歯の見える葬儀、歯の見えない葬儀」という言い方があるそうです。
母の葬儀は、94歳という天寿を全うした葬儀ですので、列席者の口が開くが、まだお若い方の葬儀ですと悲しみで口も開かない歯の見えない葬儀になるそうです。
「歯の見える葬儀(話し声や笑い声が聞こえる)」は、お坊様も気が楽とのこと。
母の胸の真ん中に、天国へのパスポートが乗せられ、棺が閉じられました。
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葬儀のあと、棺は息子、婿、孫、計6名の男性に担がれ車に乗せられました。
母を乗せた車が寺を出て行きます。
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火葬場の方の話では、母の骨は大変しっかりしているそうで、のど仏もきれいな形でした。
人によっては、粉々な方もいらっしゃるそうです。
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骨壺には、足の方の骨から入れ、上に喉仏、最後に頭の骨で全体を覆うようにして骨壺に蓋をします。
母は、兄が骨壺、兄嫁が位牌、甥が写真を持って、タクシーで兄の家へと向かいました。
これで東京は、母が待つ街では、なくなりました。
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私が写した、母の最期の写真。
2013年4月29日、94歳6か月。
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豪徳寺駅前、渡辺薬局の弘ちゃんを捜したくて、FBに登録もしましたが、間に合いませんでした。
長生きして、他の方たちのお母様より私たちの傍に長くいてくれてありがとう。
もっと、ずっとずっと、生きていてほしかったけれど仕方がないですね。
死因は、大腸がんによる腸閉そくでした。
合掌。