震災後、20日目に気仙沼のI君から電話があった。
最初の地震の時は揺れもなく、強い余震で、外に出たら、周りの家がぷかぷか浮いていた。高台にある彼の家は、庭先まで水が来たが、無事だった。
津波を知らせるサイレンは鳴ったが、普段、アワビ採りの解禁の時などになるサイレンと同じ。最初は、津波を知らせるサイレンとは判らなかった。
地元の方と違い、よそ者の彼は、避難が遅れ、家は無事とはいえ、恐ろしい思いをした。
ライフラインが止まっているので、食事は、避難所でいただいている。
避難所の食事時には、家が流された人の他に、彼のように、家は無事だったが、食糧がないという人も集まり、100人ほどになる。
今は、幸い無事だった彼の自転車を使い、市役所や対策本部へ通い、地域の連絡員をボランティアしている。
衣食は、救援物資で、ほぼ間に合っている。物によっては、余ってもいる。
今、欲しいものは新学期を迎える子供たちのランドセル。それも多いほどよい。
ランドセルを沢山と言われても個人では、どうしようもない。でも、これからの日本をになう子供たちに関することは、何よりも優先して、心を配らなくてはならない。
地元小学生のランドセルを見せてもらいに行った。
私たちの時のように、赤とか黒の革製というのとは違う。校章も入っている。
他になければ、市役所なり、小学校の先生にご相談することになるが、東京の同期生にも頼んだというのでそちらと相談した後のことになる。とりあえず、仲間にこの写真を送った。
主人がテレビで、ランドセルメーカーが、全国に呼び掛け集めた中古のランドセルを修理し待機していると報じていたという。
ありました。
http://fuwarii.com/charity/receive.html
東京でも、見つけた人がいて、MLに載った。
まだ、電気を使えない現地では、当然テレビも見れない。
被災者は一番必要としている情報を捕らえられずにいる。
東京の同期生が、彼に、こうした情報を手紙で送ることになった。
きっと安心することと思います。
現在、郵便は、自宅に届くが宅急便は、対策本部あてとなる。
今また東北地方に、余震があったと報じている。
原子炉に、注水する水のような雲でした。