標高900 田舎ぐらし

~* 八ヶ岳の麓にて *~

今年もお世話になりました。

2009年12月31日 | Weblog
ときどき

諏訪大社、「秋宮」 ( 下諏訪町 ) です。
来年は、7年に1度の御柱祭。
右側に立っているのが、前回の一の御柱。来年は、お勤めを終え、新しい御柱と代わります。

あと、4時間で2009年も幕を閉じます。

本年は、いろいろとお世話になりました。
明年も、よろしくお願い申し上げます。


悲しい知らせ

2009年12月30日 | Weblog

昨日、帰宅して家に入るなり 「ピンポーン」 とチャイムが鳴りました。
玄関に出ると、ポストマンが 「書留です。判をお願いします。」
書留なんて何かしらと、開けてみると兄から実家が売れたので年が明けたら印鑑証明を取ってきてほしいという知らせでした。
スキーから戻った主人に 「豪徳寺が売れちゃったの。」 と報告すると、「それは、良かった。」
「私は悲しい!!」
確かに売りに出していたのが、この不況の時に売れたのだから、良かったことには違いない。
でも、悲しい!!

小学校1年の時に、世田谷区に引っ越し、主人と結婚するまで、あの家で育った。
学区の一番はずれのため、一番遠くから当時、新設の赤堤小学校に通った。
同じく学区のはずれだった松沢中学校は、さらに遠くなった。
就職する時は、当時、入社試験時の身元調査が日本で一番うるさいと言われた職場だったため、人事部の職員が一日中、隣近所に私の事や、家族のことを聞いて歩いたという。
小さい時から私のことをかわいがってくださったご近所の皆様が 「yakkoちゃんのことを何だと思っているんだ。」 と怒って報告にきた。今は、亡きそういうご近所の皆様の顔も浮かぶ。
就職してからは、朝に夕にラッシュの中央線に乗って、日本橋まで行き来した。

父が亡くなる前、1カ月毎日、あの家から、渋谷の日赤まで通った。動かせなくなった父が 「家に帰る。家に帰る。」 と言った家。
父が亡くなり、一人暮らしになった母が、子供たちの負担にはなりたくないと89歳まで一人で頑張った家。

その家が、年明け早々、壊されるという。

一年の終わりにとても悲しい知らせ。。。

トルコ ⅩⅣ  カッパドキア フレスコ画

2009年12月29日 | 

こういった岩窟の中に、30ほどの教会が残っていて、



内部には、きれいなフレスコ画が描かれています。



イエスの顔は、イスラム教徒により、削られたという説明でしたが、上のように残っているのもありますので、実際はどうなのでしょうか?







ところどころで、兵隊さんがガードしていますが、このお二人、どうも仕事の話ではなさそう。
彼女とデートの約束かな?


トルコ ⅩⅢ  カッパドキア

2009年12月28日 | 

カイマルク地下都市の後、絨毯工房により、ぐるっと回って 「ウサヒサールカヤ」 とは反対側からの、カッパドキア見物です。



朝食時、朝景に、うかびあっがっていたエルジェス山、今は、雪が見えます。トルコも、これからウインターシーズンです。



観光ラクダがいます。こんなふうに、乗り降りするのですね。



パパと、うれしそう。



ラクダ岩と名付けられた岩。



日本のおみくじみたい。
このガラス玉は、ナザール(目)ボンジュ(ガラス玉)といい、邪悪なものをにらみ返すという、トルコの魔よけのお守り。
日本人には、現地の人は目玉、目玉と言い、いたるところで売っています。
ギリシャでも売っていましたので、ギリシャの物かと思っていました。
元々は、ギリシャ神話の女神の目からきているそうです。
トルコもギリシャも元は一つの国だったことがありますので、同じような土産物を売っています。
隣国ギリシャは今は、トルコと最も仲が悪い国。
ガラスですので、壊れた時は、ナザールボンジュが悪いことを持って行ってくれたということになります。
大きさは、いろいろあり大きな目玉を玄関口にかけている家もありました。


トルコ ⅩⅡ  カイマルク地下都市

2009年12月27日 | 

さあ、4日目の観光にスタートです。

キリスト教弾圧時代迫害から逃れるためにキリスト教徒により造られた地下都市、カイマルク地下都市
まるで、アリの巣。天井が低く、どこもかがみながらの見学です。



だんだんと堀り進められ地下8階構造になるが、現在、見学できるのは地下4階まで。
教会、台所、食糧庫、家畜小屋、換気口、トイレと生活に必要な施設は何でもある。

外敵遮断用の岩のドア。回転させて、通路を遮断。



特に、注意されたのが、場所が解ってしまう、台所の排煙。火山灰土なので、自然吸収もあったそうです。

家畜小屋 ( 左下、小さな穴が、えさ入れ )



通路



犠牲祭2日目。牛が引かれていきます。


M E R R Y    C H R I S T M A S !!

2009年12月24日 | Weblog

Merry Christmas !!
11月から、12月にかけて海外に出ると、あちこちで素敵なクリスマスオーナメントを見れ、それがまた旅の楽しみでもありますが、トルコは、イスラムの国。
クリスマスの飾りつけは、1つも見ませんでした。

そんなわけで、今年のカードは、先日行った、横須賀でのサンタさん。



ディナーでは、その横須賀土産の 「 東郷ビール 」 で、乾杯 



東郷ビールの由来

アミラーリ 「 東郷ビール 」  は、フィンランドの首都ヘルシンキの北、タンペレという街のビューニッキ社というビール工場で1972年に生産が開始された。
1905年( 明治38年 )5月27日 「東郷元帥」 の率いる 「日本連合艦隊」 は、フィンランドのクロンシュタット軍港を出撃したロシアの 「バルチック艦隊」 を対馬沖に迎え討ち、これを撃墜した。
この 「東洋の小国 日本」が 「大国 ロシア」 に大勝利を収めた快挙に勇気づけられたフィンランドは1809年以降のロシアの支配と圧政からの独立運動を起こし、1917年、これを達成した。
こうして、東洋の英雄 「アドミラル トーゴー」 は、フィンランド人の心に深く刻まれるようになり、元帥の名を入れたビールが生産されるようになった。 

現在はフィンランドでは生産されていないが、2006年から、日本で生産されるようになった。

冬至  獅子ゆず

2009年12月22日 | 植物

今日は、冬至。大きなゆずをお届けします。

「 獅子ゆず (鬼ゆず) 」 と呼びます。
香りは、普通のゆずのほうが強いですが、かぼちゃほどもある大きさにびっくり。
東京では、路地植えで育ちますが、「 ゆずの大馬鹿、13年 」
ゆずは、こちらでも実生で芽が出ますが、冬は家の中。この種をまいても13年では、無理かも。

「ゆず湯ですよ~。」




トルコ ⅩⅠ  カッパドキアの朝

2009年12月21日 | 

ようやく、旅を感じるようになりました。
世界遺産カッパドキアの素晴らしい朝です。標高3,928mのエルジェス山。



昨晩は、洞窟という点に期待が大きすぎたためか、普通のホテルじゃないと、がっかりしていましたが、
「ウサヒサールカヤ」 が、ツァーによっては、宿泊のために追加料金を取るのが解りました。
この眺望です。



朝食を取ろうとしていたら、日の出です。



皆さん食事の途中で、レストランベランダに出て撮影タイム。



「わぁ!!」「おー!!」 と歓声が上がります。



スタートで、飛行機が8時間遅れたと載せたら、「わっはっはっは!!」 とメールを入れてきた悪友がいる。



まのちゃん、見て! みて!!
素晴らしい朝でしょう。 今度は、私が 「わっはっはっは!!」



この気球に乗れたら、最高だったのだけど、もう1泊しないとね。


トルコ Ⅹ  カッパドキアへ 

2009年12月20日 | 

さあ、いよいよ今回の旅のメイン、カッパドキアに向け290キロ、4時間30分のバスの旅です。



お泊まりは、洞窟ホテルと銘打つホテル 「 ウサヒサールカヤ 」
洞窟ホテルなんてどんなホテルかと期待していたのですが、



廊下や部屋の天井、窓や、ドアのデザインがアーチ型で洞窟をイメージさせるというだけかな?
遠くからこちらを見ると、カッパドキアの崖をしょい、それらしく見えるようですが。。。
お部屋の前のベランダ。



お夕食は、バイキングです。味は、日本人にあう味ですが、肉は、細かく切ってあり、どれもボリューム感はありません。



沢山のデザートが用意されていますが、日本人には甘め。


トルコ Ⅸ  トルコの犬

2009年12月19日 | 

これから行くカッパドキアで見た犬。



大きな犬が、町にも遺跡にもゴロンとしています。でも、吠えているのは一度も聞きませんでした。皆、おとなしい。



市で野良犬の予防注射をしているそうで、耳には、タグが付いています。



この犬も、耳の裏側についています。気持よさそう。



ツァーのメンバーの方が 「おい、寝てばかりいるな。」と声をかけたら、一瞬、起き上ったのですが、



また、すぐゴロンです。



お仕事しているのは、牧羊犬のみ。



沢山の羊を追っていました。


トルコ Ⅷ   アナトリア文明博物館

2009年12月18日 | 

首都アンカラのもう一つの見学先、1968年開館のアナトリア文明博物館。



元々は、こんなに荒れていたのを改築。隊商宿だったという説がある。



どのガイドブックにも必ず掲載されている地母神。両足の間から、子供が顔を出している。



以下は、何気なく写してきた展示品の一部ですので、個々の説明は、できません。悪しからず。



天然石をビーズにしたアクセサリー。



博物館内は、フラッシュをたかなければ、ほとんどが、撮影自由。



何の器だったのかな? 説明文を読んでくれば良かった。 面白い形。



歴史の長いトルコでは、文化財が多すぎ、建物の中にあるのは、5,000年以上昔のもので、それ以後のは、外に展示だそうです。
どの像も頭部は、偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒進攻の時に、破壊されています。
現在、国民の99パーセントがイスラム教徒。



2009年日本の援助12億円をかけてアナトリア考古学研究所を開設。

トルコ Ⅶ  トイレ事情

2009年12月17日 | 

イスタンブル、ハーレム(江戸時代の大奥のような場所)のサルタン(王)の浴槽横のトイレ。
和式のように座るタイプ。



こちらも遺跡のトイレ。洋式トイレのように腰かけタイプ。ずらっと並んでいますので、公衆トイレ?



現代の公衆トイレ。
私たちが旅したルートで、最もきれいだったトイレです。なんといっても大理石張り。トルコでは、大理石を採石できます。



建国の父、アタチュルク廟のトイレです。

さて、一見、普通の水洗トイレですが両サイドにあるケースは、何でしょう。
実は、トルコの下水管は、大変細いそうで、ペーパーを流してはいけないことになっています。
我が家のトイレは、勝手に便座カバーが開き、勝手に水が流れ、勝手にカバーが、閉じます。
そんなトイレに慣れていた私は、つい、ペーパーを便器に落としてしまい、慌てて拾いケースへというふうです。



ペーパーは、絶対便器に流しては、いけません。

こちらは、フリータイムに行ったガラタ塔のトイレ。
ビニールの便座カバーが、センターのボタンを押すと自動で送られ新しくなります。
なかなかの優れものですが、このシステムのトイレは、ここだけでした。



イスタンブル国際空港のトイレ。
ここが一番使いやすいトイレでした。ペーパー入れが腕の高さ。他のトイレのように、ペーパーを入れるのに、かがんだり後ろを振り返ったりしなくて済みます。
以上が、観光客などが行く場所にある特に清潔で無料のトイレ。



通常、ドライブインなどにあるトイレは、有料で1~0,5トルコリラ。
長方形の陶器の便器で、床に平らに埋め込まれています。
本当は、これが一番トルコらしいトイレなので、写真があると良かったのですが、ちょっと写す気にはなりませんでした。

トルコ Ⅵ アンカラ駅

2009年12月15日 | 

今日のランチは、アンカラ駅構内のレストラン。



イスタンブル ⇔ アンカラ 間の特急列車。
主人が、大昔に来た時は、イスタンブル、アンカラ間を陸路で行くというのは、道路状況も悪く、断られたそうです。
仕方なく、陸路移動をあきらめ、飛行機で飛んだので、今までの景色は、始めてみた事になります。



壁には、アタチュルク等の沢山の写真が飾られています。

このころになると、ツァー参加の方たちと、いろいろ会話が弾むようになってきます。
結局、成田でキャンセルなさった方は、お一人のみで、合計34名。それにツァコン、現地ガイド、バスのドライバーとで合計37名での旅になりました。
70代の走る会のグループ 7名。60代の山の会のグループ 6名。お一人参加5名。母娘 一組。残りが我が家も含めご夫婦という構成。



ここにもパン屋さんがあります。椅子とテーブルが用意されているので日本の立ち食いソバ屋さんみたいな役割かな。



トルコ版キオスク



上を見上げて、「随分、古いガラスを使っているなぁ。」という声。「え?どうして古いって解るの?」 
「すごい、ゆがんで映っている。」 「なるほど。」
トルコに、最初の鉄道が敷設されたのは、1856年。

おかげで、面白い写真が撮れました。


トルコ Ⅴ  アタチュルク廟

2009年12月14日 | 

トルコ建国の父、アタチュルク廟の見学です。



現在のトルコ人にとって、最も大切な施設の一つ。入口では、セキュリティーのチェックがあります。
車体の下を、鏡で念入りにチェック。



入口左右に立つ、それぞれ、国民を表す像です。
たまたま、私は、男性像(左)、  左、有識者。右、兵隊。奥、農民。



主人は、女性像(右)を撮っていました。  それぞれの妻。
この像が表す国民が協力して、建国したという象徴。



この像の両サイドと、廟の入口両サイドに兵隊さんが、微動だせず立っています。
制服の色が違いますので、きっと、所属する軍が違うのでしょうね。



階段両サイドには、レリーフ。





東トルコでは、テロが絶えませんし、アジアとヨーロッパに挟まれるトルコは、皆兵制で、男性は必ず入隊しないとなりません。
その入隊を逃れるために、偽装結婚をする人もいるそうで、ドイツには、トルコ人相手に偽装結婚の世話をする会社もあるそうです。
韓国人女性と偽装結婚をして、韓国籍を取ったが、韓国も皆兵制で、結局、韓国で兵役に服しているという笑い話もあるとか。
先日の新聞には、70歳過ぎた羊飼いのおじさんが、逃れきれずに入隊させられたが3カ月残したところで亡くなったというニュースが載ったそうです。
大学で日本語学科専攻の現地ガイドも、兵役を逃れるため卒業論文のみを提出せず留年していたが、それも10年が限度ということで、いよいよ来年入隊予定。
学卒は、博物館などに配置されることが多いとのことでしたが、ここにいる兵隊さんは、どなたも若いし背も高くイケメン。



窓際のゴールドに輝く天井の下に、アタチュルクの棺が納められています。





今日から、主人のスキーシーズン開始。朝から、スキーに出かけています。