標高900 田舎ぐらし

~* 八ヶ岳の麓にて *~

しだれ栗の接ぎ木

2011年04月24日 | 植物

reityaさんの庭のしだれ栗。

ご主人様の今は亡きお父様が、辰野のしだれ栗の実から育てた栗の木。

東京で、栗園を営む友人が、「シンボルツリーにしたい」と、枝をいただき、接ぎ木を試みました。

 

先ほど、「成功しました」と、写真が届きました。

「接ぎ木をするのは、桜が散ってから」と言っていたのに、もう、結果が判るのかなぁ?

東京の桜が散ったのは、つい先日のように思うのですが。。。

大きな木に接ぎ木をするのかと思っていましたが台木用の苗が育ててあったのでしょうか?

この木が、シンボルツリーになるまでに、何年かかるのでしょう?

桃栗3年?

台木の大きさに育つにも、何年か経っているのでしょうから、そうはいかないのでしょうね。

楽しみですね。

長生きして、見に行かなくては。。。

reityaさん、ありがとう!

ここ、米沢の桜も見頃となりました。

図書館に行ったら、運動公園の桜並木も満開。

今日は、写真を写している時間はありませんでしたが、近々、撮りに行かなくては、あっという間に終わってしまう。

庭の桜もかわいく咲いています。

この春はいろいろありましたが、花が咲き始めると、少し、心も晴れます。


高遠お花見

2011年04月23日 | Weblog

毎日、テレビから流れるニュースは、いつ終わるかも判らない原発のことばかり。

友人が送ってくれる東京からの桜だよりに、心癒しておりましたが、あっという間に、桜前線は、長野県まで北上してきました。

ここ、高遠城址公園には、何年か前に来たことはありますが、何箇所かある駐車場の案内係に、誘導されるままに車を動かしていたら、元の場所へ。

結局、駐車場に入れず、城址公園のお花見はあきらめ周辺の桜を見て帰ってきました。 

 

ゆっくり、散策したのは、3回目の今回が初めてです。

満開の桜をお楽しみください。

 

有名な桜の名所ではありますが、山全体を、桜が埋め尽くしているというだけで、景色が良いとか風情がある場所というわけではありません。

 

近くには、小さな高遠湖があります。日あたりが良いその周辺には、かわいい山野草が、何種類も自生していました。

大好きな「ヤマエンゴサク」も咲いています。

ダム湖100選の1つだそうです。

そこから、少し車を走らせると美和湖。こちらも、ダム湖です

 

 


友の訃報

2011年04月21日 | Weblog

今日は、上京。

立ち寄ったデパートのレスポートサック売り場で、旧友を思い出していました。

「このバック、軽くていいのよ。Yakkoも買いなさい」と、教えてくれた時に持っていた柄と同じ黒地に白のハート模様のバックが新柄として並んでいたのです。 

後列、下段のトートーバックです。

「あら、あの時のバックと同じ」と。

それまで、派手なレスポートサックは、好みじゃなかったのですが、「その柄ならいいわ」と買いに行きましたが、その時は、既に売り切れ。あれから、5年ほどたったでしょうか。

次に逢った時は、「今度はこの柄のを原宿の本店で買ってもらったの。前のは、スーパーのお買物バックにしたわ」と、違う柄のバックを見せてくれました。 

わたしが、レスポートサックを使い始めたのは、彼女の影響。

 

昨日は、高遠の満開の桜見物。

東京の桜アルバムのお礼に、明日にでもアルバムにしてプチMLに送る予定でした。

まのちゃんご案内の江戸城お花見ツァーのブログアップもまだでした。

早くアップしないと、まのちゃんに叱られると思いつつ、なかなか時間がとれずにいました。

デパートで、彼女の事を思い出したのは虫が知らせたのでしょうか?

今日、彼女の訃報が届きました。

病院に行った時は既に手遅れの末期すい臓がん。病院で、息を引き取ったとのこと。

毎年がん検診を受けていたのに、なぜ?

独身時代、ある日突然に、何年振りかで、その頃勤めていた銀行に「Yakko、今度隣に、来たわよ」と電話がありました。

世田谷支店から、私が勤める職場の隣の日本橋本店に配転なったと連絡があり、それから独身時代から今日まで、よく一緒に旅行をした。

この日、有楽町へ向かう中央線の車窓から、2人の元職場が見えた。手前が私の職場、奥の高層ビルが、彼女の職場だった所。私の職場は、その当時と変わらないが、彼女の職場は、建てなおされ、高層ビルとなり、当時とは、すっかり変わっている。

お互いの結婚式にも参列した。

直近では、ブログにも載せたカナダ旅行を楽しんだ。

「主人が来年、定年になるので、イタリアに行きたいって言っているの」と、ご主人様との初の海外旅行を楽しみにしていた。その旅行は実現したのだろうか?

末っ子の甘えん坊で、にぎやかだった彼女がいなくなり、ご主人様は、まだ、現実を受け止められないでいる。

私も同じ。

なぜ、突然に。。。

まのちゃん、毎回「ダサも、誘っておいで」と言ってくれていた、閑人会に1度も参加することなく、ダサはいなくなってしまいました。

悲しい。。。

澄んだ声で、「yakko,yakko」と呼ぶ声が聞こえる。


千鳥ヶ淵の桜と白鳥のお昼寝

2011年04月14日 | 

靖国神社から、千鳥ヶ淵の桜を見ながら、

待ち合わせ場所の田安門に向かいます。

お堀の向こうには、九段会館が見えます。

昔、ここで、挙式した友人もいますが、地震後は休館中です。

周りの方が、「地震で天井が落ちた九段会館が見えるわ」と話しています。

お二人の死者が出る事故となりました。お悔やみ申し上げます。

お堀の渕では、白鳥がお昼寝です。

毎年、諏訪湖にも沢山の白鳥がやってきますが、こんな姿は始めて見ました。

諏訪湖では、皆、北帰行済みと聞いていますが、ここには、1年中いるのでしょうか?

橋の上の混雑ぶりを知ってか知らずか、熟睡中です。

 


靖国神社の桜

2011年04月12日 | 

ブログで、「まのちゃ~~ん」と、呼んだら、メールで、「呼んだかい。出ておいで!」とこだまが返ってきました。

そんなわけで、この日だけが雨という9日、「江戸城お花見ツァー」に、お出かけ。

1,000円のが半額セールというので、山用に買った小さな折りたたみ傘を持って。。。

東京は、雨だけではなく、強風。

安い傘は、お猪口にばかりなって、役立たず。

傘の安いのって、こういう弱点があったのですね。

江戸城に行く前に、恒例の和子さんとのお散歩。

靖国神社の桜を見てから、集合場所に行くことになりました。

高さ11メートルの大鳥居をくぐると、右側にヤツデが寄生した桜の老木がありました。

鳥が運んだ種が、育ったのでしょうか?

第2鳥居

雨にも負けず、風にも負けず、他にも大勢の花見客がいました。

これが、東京の桜開花宣言の標本木ソメイヨシノです。

靖国神社社務所では、独特の記念品を売っています。

国旗もありました。

神門には、こんなご紋が。

戦跡の石。

遺骨収集が難しい戦地で、「せめて戦場の石でも」という気持ちで集められた石が、はめこまれています。

母が、まだ、海外旅行に行く体力がある頃、一緒に上海に行きました。

その時、母も、上海で戦死した弟のせめてものあかしにと、小石を拾ってきて、祖父母の墓に入れていました。

この日は、近くの白百合学園の入学式だったようです。小さな女の子の手を引いた親子連れが沢山いました。

桜の根は、こんなにたくましいです。

希望を胸にの幼子も、東北の子らも、これから、世の中の助力を受け、たくましく前に進んで行く事を願いつつ、集合場所へ。

 


甲斐駒ケ岳とイチゲ

2011年04月08日 | Weblog

曇りぎみで、の土手で咲き始めたアズマイチゲを写すのに丁度よいと行ってみました。

風が強く、小さなイチゲが、風になびき写しにくかったです。激しく左右に揺れ、ピントが合わせられない。

草丈は、10㎝もありません。

まだ、しべが開いていないでセンターの青い部分が写りません。

あと、2~3日してからが良いですね。

八ヶ岳には雲がかぶさり、甲斐駒ケ岳の上にも、雲がかかり始めています。

庭では、キクザキイチゲが咲き始めました。

我が家のキクザキイチゲが咲くと、三井の森竜神池のほとりの沢山のキクザキイチゲも咲きだします。

近々、行ってみなくては。

明日は、江戸城お花見ツァーですが、どうしよう。

大津波以来、気はふさぎがちだし、気分転換で、お花見には行きたい.

でも、天気は悪いし、地震が来ても困る。

昨晩の地震は、こちらでは、揺れがなかったが、東京では、かなり揺れたという。

東北からのメールでは、東北全域が一時停電した。

被災地の方は、11日の大震災がよぎったことと思います。

いつまでも大変ですね。

雨天決行というけれど、まのちゃ~~ん。


シャッタースピードの練習

2011年04月04日 | デジカメ

I君へ、支援物資を送ったら、何となく安心したのか、久しぶりで写真を写したくなりました。

でも、こちらは、素材の端境期。

運動公園の桜並木も、まだ、こんなです。

3月と同じ日に、八ヶ岳を写してみました。

3月

 

4月、雪がだいぶ融けました。空も春の色。

結局、シャッタースピードの練習をすることに。

用水路のハンドルが、キラキラ輝く川面に影になるのがお気に入りの場所。

何度かトライしているのですが、なかなかキラキラ感をだせません。

かわいそうに子供が、遊んでいて川に落としてしまったのでしょうか?

 


大津波支援物資 ランドセル

2011年04月03日 | 大津波

震災後、20日目に気仙沼のI君から電話があった。

最初の地震の時は揺れもなく、強い余震で、外に出たら、周りの家がぷかぷか浮いていた。高台にある彼の家は、庭先まで水が来たが、無事だった。

津波を知らせるサイレンは鳴ったが、普段、アワビ採りの解禁の時などになるサイレンと同じ。最初は、津波を知らせるサイレンとは判らなかった。

地元の方と違い、よそ者の彼は、避難が遅れ、家は無事とはいえ、恐ろしい思いをした。

ライフラインが止まっているので、食事は、避難所でいただいている。

避難所の食事時には、家が流された人の他に、彼のように、家は無事だったが、食糧がないという人も集まり、100人ほどになる。

今は、幸い無事だった彼の自転車を使い、市役所や対策本部へ通い、地域の連絡員をボランティアしている。

衣食は、救援物資で、ほぼ間に合っている。物によっては、余ってもいる。

今、欲しいものは新学期を迎える子供たちのランドセル。それも多いほどよい。

ランドセルを沢山と言われても個人では、どうしようもない。でも、これからの日本をになう子供たちに関することは、何よりも優先して、心を配らなくてはならない。

地元小学生のランドセルを見せてもらいに行った。

私たちの時のように、赤とか黒の革製というのとは違う。校章も入っている。

他になければ、市役所なり、小学校の先生にご相談することになるが、東京の同期生にも頼んだというのでそちらと相談した後のことになる。とりあえず、仲間にこの写真を送った。

主人がテレビで、ランドセルメーカーが、全国に呼び掛け集めた中古のランドセルを修理し待機していると報じていたという。

ありました。

http://fuwarii.com/charity/receive.html

東京でも、見つけた人がいて、MLに載った。

まだ、電気を使えない現地では、当然テレビも見れない。

被災者は一番必要としている情報を捕らえられずにいる。

東京の同期生が、彼に、こうした情報を手紙で送ることになった。

きっと安心することと思います。

現在、郵便は、自宅に届くが宅急便は、対策本部あてとなる。

今また東北地方に、余震があったと報じている。

原子炉に、注水する水のような雲でした。

 


これからの物価

2011年04月02日 | 大津波

これが、長野県産「川中島納豆」

昨日、久しぶりでスーパーにありました。

私が、1つカゴに入れたら、続けて他の方も。で、棚に残ったのは1つ。

震災後、初めて買った時は、1つ、100円。他のは3つで98円という時にです。

2度目の時は、125円。そして3度目の昨日は、138円。

20日で、4割アップです。それでも楽天などの通販では、1つ180円ですので、地元価格は安い。

 芽出し肥えをあげなくてはと、肥料を買いに行った。

いつもの年なら、春の花が店頭をにぎわしているのに、花がない。

店主が「東京で、花が売れないので、生産農家が、西の方に出してしまい、東京の市場に出ない。

あっても蘭が多く、まだ、寒いこの地方向きの花はない。

今は、市場での競りもコンピューター使用。計画停電のあおりで、競りが出来ない。

母の日には、間に合うんじゃないかと言っているけれどね」と話していた。

その頃には、お花も値上がり?それとも、今の東京のように、花どころではないと売れない?

値上げにはなっても、花どころではないという情勢には、ならないことを願いつつ、ミニバラ「レンゲ」を買ってきました。

これから大きな鉢に植え替えです。

かわいい花に、心なぐさめてもらいましょう。

昨日まで、閉じていた庭のカタクリも、ようやく花芽がでてきました。