風塵社的業務日誌

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背中が痛い

2016年10月12日 | 出版
ようやく涼しくなってきたなあと天候に感謝していたら、夜になると涼しいどころか寒くなってきた。タオルケット1枚でのうのうと寝てなんていられない。押入れから綿布団を引きずり出し、それをかぶって寝ることになる。そのうち四季なんてなくなってしまい、暑期と寒期だけになってしまうのだろうか。
夜半、妻が小用に起き出す。それにつられて、小生も目が覚めてしまった。すると背中に痛みを覚える。腰上から10センチほどのところだろうか、背骨の両脇に筋肉痛ともまたちがう鈍痛が走る。おそらくその痛みのせいで眠りが浅く、妻が起きたために小生も目が覚めてしまったのだろう。
布団のうえに起き上がり、痛いところに両手を当てて、鎮まるのを待つ。しかし、なかなか痛みは引きそうにもないし、これまでに経験したことのない痛みだ。そこに妻がトイレからもどってきた。「どうしたの?」とたずねられ、「背中が痛い」と答えると、「ヨガをした筋肉痛?」「いや、それもわからない」「明日、病院に行って診てもらったら」「やだ」「阿藤快さんも亡くなる前に、背中が痛いって言ってたんでしょ。なんかの病気の前兆なのかもしれないんだから、病院に行ってみたら」「病院に行くくらいなら、死んだ方がまし」「じゃあ、勝手にしなさいよ。私、寝る」
小生もまた寝付こうとするものの、背中の痛みがうずく。ようやくウトウトしていたら明け方になっていた。明け方になると布団から出られない。昔からの悪いクセである。どうして、スパッと眼が覚めないのだろうか。6:00に起きて目覚ましのスイッチを止めてから再び布団にもぐりこみ、ようやくそこから出たのが7:00過ぎ。テレビでは、例によって、マユコとアベちゃんがなんちゃらしゃべっている。背中の痛みはいささか引いたようであるけれど、どこか重い。重いのは眠気のせいだろうか。
本日から、次の新刊『白組読本』の営業で書店さんを回ってみようかと考えていた。近日公開の『海賊とよばれた男』(東宝)のVFXと監督を手がけているのが、白組である。同社ではこれまでも、『ALWAYS 三丁目の夕日』『永遠の0』『STAND BY ME ドラえもん』といったメガヒット作の制作・監督も手がけられている。その白組の創作の秘密を公開するのが本書というわけだ。
映画に合わせて来月の刊行を予定しているところなので、タイムリーな刊行になることだろう。そのため営業もがんばらないというわけだけれど、まだF社にお願いして、書店さんに案内のファクスを流しただけだ。都内の主要書店くらいは足で回らないことにはどうしようもない。しかしねえ、泥縄感はどこか否めない。新刊がようやく形になってくる。そのスケジュールに合わせて、とってつけたように都内の主要書店を回ってみる。もう少し、営業と編集とが絡み合うような展開をはからなければならないのだろうけれど、こちらも身一つである。そんな贅沢を言っていられる立場ではない。
そのうえ、名人戦の第5局は始まるし、プロ野球のCSもいよいよカープが登場してきた。仕事だなんて言ってられる状況にはないのだ。名人戦は明日には決まってしまうのだろうか。素人目には黒の高尾挑戦者が厳しいように見えるのだけれど、そこで封じ手となっている。なにか鬼手が炸裂するのだろうか。井山名人が巻き返し、7戦までもつれ込んでほしい。ウーム、それはそれで仕事にならない時間が増えるだけかもしれない。
そんなある日、久しぶりに(10何年ぶり?)に大河ドラマにチャンネルを合わせてしまった。旧友のSが遊びにきて酒を飲みながら話をしていて、「いまの『真田丸』は面白い」とSが語っていたせいかもしれない。見始めてのっけから笑い出してしまったのであるけれど、豊臣側の片桐且元と女官のお局様との間に確執があり、それが方広寺の鐘の銘をめぐるきっかけになってしまったというのだ。
それがどこまで史実を反映した話なのかは知らないけれど、なにやら現代の会社ストーリーを見せられているようで、それが小生の爆笑を誘ってしまったのである。日頃大河を見ない小生が大河を見て笑っているので、妻が不審がる。「なんの宗旨替えがあって、大河ドラマなんて見てるの?真田なんて、いつも安曇族の敵だって言っているのに」と声をかけてくる。
いや、べつに、それほどの関心が『真田丸』にあるわけではない。Sが面白いと言っていたから、たまたま見ていて、それでおかしかったから、笑い出したという、それだけである。しかも、このストーリーは実証史学的にははなはだ疑問であるし、こちとら決してそういうドラマ的な感動を史学に求めているわけでもない。それどころか、ドラマという感情移入しやすい世界を史学に持ち込むと、文献を読むときにその演じていた俳優さんの顔がちらついて、かえって邪魔になるのである。したがって、大河をはじめ時代劇および時代小説は接することをやめたという、それだけのことなのだ。

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