風塵社的業務日誌

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難波大助

2008年07月30日 | 出版
実は小生、難波大助の大ファンである。
難波大助(1899-1924)を知らない人のために簡単に説明しておくと、1923年12月27日、時の摂政であった皇太子(のちの昭和天皇ヒロヒト)を虎ノ門外で狙撃するも失敗(虎の門事件)、その場で取り押さえられた難波は大逆罪で死刑判決を受け、翌年刑場の露と消えることになった。
先日、井上章一氏の『狂気と王権』(講談社学術文庫、本体価格壱千壱百円也)を読んでいたら、その難波大助裁判について詳しく述べられていた。そこで難波の弁護を務めた楢橋渡の戦後になっての回想から、「吾れ遂に勝てり。君らが答え得ない処に自己欺瞞がある。…吾れを絞首刑にせよ!」と、難波が法廷で裁判長と検事に吐いた捨て台詞を引いている。
ここで井上氏の論考が素敵だなあと思うのは、この部分を、「事実にしては、あまりに劇的すぎる。楢橋による潤色が、まったくなかったとはいいきれまい」と、一歩引いて資料批判しようとしている点である。小生ならば「難波、最高!」と舞い上がって思考停止になるところを、井上氏の分析力は二歩も三歩も先を行っている。素晴らしい。
本書はなかなか面白い内容なので、機会があればまじめに紹介したと考えている。

で本日、その難波大助のお墓でも弔おうと、雑司ケ谷霊園に行くことにした。井上氏が、「市ヶ谷刑務所の無縁仏は、雑司ケ谷の囚人墓地にほうむる。そんな規則があったからである」と述べられていたからである。ついでに、あきやまみみこさんと墓場デートをすることにした。ところが待ち合わせ場所にしていた地下鉄副都心線の雑司ヶ谷駅というのが、わからない。こちらは池袋から雑司ケ谷霊園に歩いてきて、霊園内の地図を見てみるが、どこにも雑司ヶ谷駅なんて乗っていない。まだ新しすぎるのだろう。霊園内を彷徨うこと数十分。
14:30、ようやく合流し、都立雑司ケ谷霊園管理事務所に入ってみると、「霊園MAP」なるものが置かれている。一枚もらうことにした。さらにその奥の事務所のドアを開けて、恐る恐る、天下の不忠者・難波大助の墓所の場所を尋ねてみることにする。
手前にいらした男性の職員の方が応対に出てくれて、「それはわからないなあ」と言いながら、各霊園に埋葬されている有名人リストをひっくり返し始めた。ところがそのリストには載っていない。「なにをされていた方ですか?」と逆に尋ねられ、つい「テロリストです」と答えようとして、一瞬こちらも口ごもる。ちょっと考えて、「昭和の初期に処刑された人なんです」となるべく当たり障りのないような言い方を選ぶ。
すると奥の席に座っていた女性の職員が、「それならここじゃないんです。この事務所の裏に法務省管轄の墓地があって、そこなんじゃないかと思います。中には入れないですけど、外からちょっとのぞくことはできますよ」と、親切に教えてくださった。それで事務所の外に出て裏側をのぞいてみるが、どれがその法務省管轄の墓所なのかよくわからない。
それで本日の難波大助オッカケは、そこまでにすることにした。代わりに、東條英機(東條家の)のお墓を発見。喜んで携帯に収める(画像)。その裏には永井荷風のお墓がある。泉鏡花のお墓も近くにある。それに「霊園MAP」を片手に霊園内を散策している人の姿もよく見かける。暑い中、霊園の木陰は涼しいし、都会のど真ん中で気軽に森林浴が楽しめるからだろう。
ところが困ったことに、蚊が多すぎる。こちらが短パンにTシャツという、肌の出てるカッコウだったのもよくなかった。気が付くとふくらはぎに3匹も蚊が止まっていやがる。貧乏人から生き血を吸い取りやがって!
17:00まで、雑司ケ谷霊園を散策し、あきやまさんと別れ某所に向かうことにした。

狂気と王権
井上 章一
紀伊國屋書店

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4 コメント

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懐かしき名前に接して (あっぱれ!虚誕堂)
2008-07-31 20:04:07
ご無沙汰いたしております。
「ぶらヂン」の大牟田のNこと虚誕堂です。
本日の「難波大助」の文中に”楢橋渡”を発見!
懐かしさのあまりついメールいたします。

彼は、私の母方の祖父が熱烈に支持しておりました代議士(大牟田選挙区)でありまして、アゴヒゲなどたくわえたなかなかの雄弁家であったと記憶しております。
所属政党も自民党結成前の、改進党か進歩党か、はたまた自由党か民主党かはハッキリしませんが、福岡県南部の筑後地方を地盤に活躍した人との認識はありました。が、難波大助の弁護をしていたとは!!
大いに認識を改めさせていただきました。

秋には状況の予定です。
一献差し上げたく計画いたしおります。
時節柄ご自愛のほどを。




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コメントありがとうございます (腹巻オヤジ)
2008-08-01 13:16:10
意外な縁があるんですね。驚きました。
戦後は保守派の重鎮となるのでしょうが、難波大助の弁護人をするくらいですから、リベラルな人だったんでしょうね。
調べてみると若い時はかなり苦労しているようで、そのため大衆的な人気を博していたのかもしれません。

お会いできることを楽しみにしております。
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Unknown (サンディカリスト)
2020-05-30 22:44:21
参考になりました、ありがとうございます
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コメントありがとうございます「 (腹巻おやじ)
2020-06-18 19:27:36
すみません。コメント寄せられていることに気がついていませんでした。
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