風塵社的業務日誌

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人間的な、

2015年06月08日 | 出版
この間、仲間内で準備を進めてきた悪魔教の黒ミサが近づいてきた。本来なら5月中に開きたかったものであるけど、場所が予約できなかったりして、今月にズレこんでしまった。なにせ、生贄の処女の血しぶきがあたりに飛び散るのであるから、後片付けは大変だし、そんなことに貸してくれる会場を探すのも面倒なのである。というのはウソ。
しかし、黒ミサを予定しているのは事実であるけれど、現在、小生を襲っている不幸の進行具合によっては出席も見送りかなと考えていた。何回目のヤマが明日控えていて、その結果次第という側面はあるが、いまのところは黒ミサには出席するつもりである。なにせ今回は悪魔教の祭司Oさんの秘儀を予定しているうえ、小生としてもOさんに秘儀を依頼した以上、出席しないわけにもいかないだろう。
その詰めの会議を、先日、弊社内で行った。一通りの話が終わり、アルコールタイムとなる。そこでSさんが飲尿療法についてボソボソ語り出した。Sさんはもう何十年も飲尿療法を続けているが、最近は手に力が入らず、頭の回転も鈍っていると嘆いている。だから、そんなもんに健康効果があるはずないでしょ、というのが小生の結論となる。
そこで、「そもそも、体内で不必要なものが腎臓でろ過されて尿になるわけでしょ。それを飲んだって意味がないじゃない」と小生が言うと、「いや、だから尿には不純物が入ってないからいいんだ」というのがSさんの反論となる。そこでSさんは、あの人も続けている、この人もやっていた、ぼくの場合はかくかくしかじかと説明を続ける。
その話を聞いていて、既視感を覚えた。そこで思い至る。この感覚は陰謀史観と同じ構造なのだ。まず、常識から外れた極論を持ち出す(世界はユダヤが支配しているとか、ションベンを飲めば健康になるとか)。次に、その成功例を羅列する(アメリカの大富豪はみんなユダヤ人だとか、ションベン飲んで健康になった例だとか)。そして、常識的な見解は頭から排除する(近代医学は一部の金儲けの手段にすぎないとか)。さらに、失敗例は視野に入れようとはしない。
まずSさんについて述べれば、彼は決して陰謀史観論者ではない。次から次に苦労の絶えないはずなのに、「鬱だ鬱だ」と愚痴りながらも、そうした苦労を飄々と乗り越えていっているように見える。そして、飲尿療法にはまったのも、Sさんなりのやむをえない事情があり、さらには一本気なところもあるから現在も続けているというだけである。
したがって、以下に述べることはSさん個人の問題というよりも、民間療法や陰謀史観大好き系の分析ということになるのだけれど、結局、そんなものにハマるのは、人間的な弱さなのじゃないだろうか。一方で、近代医学が素晴らしいものであると小生は主張しているわけでもない。近代医学にも多々問題があることだろう。しかし、例えば病気になったとき、医学以上のなにか大きなものに包まれたいという願望が民間療法であり、さえない人生を送っていることを自覚すれば、その一発逆転を陰謀史観に求めているのじゃないかと推察している。鈴木邦男さんの言葉を借りれば、「俺だけが世界の秘密を知っているという優越感」というこである。
だがしかし、どうしようもない日常はどうしようもない。そのどうしようもなさを直視できないことを、人間的弱さだと先ほど表現した。宗教の根源もそこにあるのだろう。それならば、そのどうしようもなさをしっかり直視できるほど小生は強いのだろうかという疑問は、次に当然ながら湧きあがってくる。
その答えは当たり前だけど、強いわけがない。つまり、弱い。しかし、無政府共産主義者としての信念と矜持にかけて、弱者の思想や奴隷の発想は断固拒否し、科学的で目的合理性に基いた強靭な思考をし続けなければならないと信じている。というのもウソです。だいたい無政府共産主義を唱えているところで、自分はたいして強くないですよと宣言しているようなものなのだ。つまり、無政府共産主義とは弱者の思想だと小生は主張しているわけである。
冗談はさておき、それならば、人間的な弱さとはどういうことなのだろうか。小生がガキのころから愛読している永井豪先生の『デビルマン』では、それを恐怖心だと喝破されていた。ある日デーモンが目覚めてみたら、地球上には人類にあふれ、しかも危険な武器まで持っている。こいつらを滅ぼすにはどうしようかとデーモンたちは考える。そこで彼らの見つけた人間の弱点とは恐怖心であった。その恐怖心を衝くべくデーモンは人間への合体攻撃を仕掛け、人間の恐怖心を煽って人類が自己破滅していくように仕向ける。ところが、その過程でデビルマンが計算ちがいに生まれてしまった。
いまの小生も恐怖でいっぱいだ。明日も恐怖だし、その後の展開も怖れしかない。その恐怖心を克服しようなどとするよりも、恐怖に身を任せるしかないだろう。したがって、Fear Is A Man's Best Friendという心境にはなれないのである。

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