風塵社的業務日誌

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新年度へ

2013年03月29日 | 出版
昨夜は某企画の編集会議。口うるさいジジイとババアと和気藹々酒を飲みつつ、大枠において彼らの了承を取り付ける。それにしても、いちいちうるせえ奴らだなあ。まあ、いいか。21:00ころお開きとなり、小生は片付けをしてから、某所へ某書の「はじめに」のpdfファイルを送信して帰ることにする。23:00には就寝。
明け方、鼻水が噴出し始めて目が覚めてしまう。少しウツラウツラしては鼻水が出てきて起き出し、またしばらくしたらその繰り返し。花粉症はつらいねえ。ようやく6:00前に起き出し、まずはアレルギーの薬を妻にもらう。このシーズン、2回目の薬だ。
そのせいか、朝飯を食べたらもう眠くなってきた。妻をお見送り申し上げてから、再び布団へ。しばらくウツラウツラしてから、小生も会社に行くことにする。なにせ、年度末最後の営業日である。家でいつまでもチンタラ寝ているわけにはいかないだろう。
あちこちにメールをしたり、銀行に行ったり、その間も鼻水が時おり噴出しやがる。面倒くせなあ。
10:00、某法律事務所Wさんに恐る恐る電話。先日、某ミニコミ用にWさんのインタビュー原稿を書き、確認してもらうため送信していているのだけれど、なんの返事も戻ってきていないのだ。
こういう時、こちらは大変不安な心理状態に陥ってしまう。もしかしたら、メールが届いてないのかなあ(実際にそういうことが数日前にあった)、こちらのまとめ方に不満で怒っているのかなあ(過去にそういうことがあった)、それともただ単に忙しいだけなのかなあ(そうは言ってもこちらも締切があるし)などなど、こちらは勝手に疑心暗鬼に陥ってしまうものなのだ。
そういうわけで、電話をかけるとなると、どうしても恐る恐るとなってしまう。Wさんに取り次いでいただくと、「いやあ、ごめんなさい。ここのところバタバタしていて、今日中に確認してお返しします」と明るい声で返事をされたので、こちらはホッと一息。
〈以下は既出のエピソードだっけ?〉
以前のある日、今は亡き若松孝二監督から電話がかかってきた。若松さんには、ある対談ゲラを送付していて、内容をご確認くださいとお願いしてあったのだ。
「腹巻さんはいますか? 映画監督の若松と申します」と嗄れ声でしゃべり始めた。
「あっ、はい。私が腹巻です」と突然の電話に緊張して受け答えることになる。
「おっまえの文章はヘタだなあ。いいか、直したものを送るから、絶対にそれでなければダメだぞ」ガシャ。
これには温厚な小生も腹が立った。何を言ってんだこのクソジジイとは思いつつも、とにかくゲラのもどりを待つことにした。翌日だったか、若松さんから朱を入れたゲラが届いた。
すると、文章の直しは一カ所もない。近日公開予定の映画の細部について語っている箇所を削っているだけなのだ。要するに、公開前に内容をオープンにするようなことはしたくないというそれだけの話だったのだ。
その程度で、ずいぶんと大仰な態度だなあと笑っちゃった。その後、対談相手だったSさんも心配されたのだろう、お会いした時に「若松さんのところはどうなったの? 初校ゲラとほとんど変ってないじゃない」とたずねられた。それで、しかじかかくかくですよと説明したら、「ああ、そういうことか。いやあ、上出来上出来」とほめられてしまい、Sさんの度量の大きさに感じ入ることになってしまった。
また後日、若松監督と近しかった某氏に、酒を飲みながらそんな話をしたら、「あの人はそういう人なんだよ。最初にガーっとかまして、相手を従わせるわけ」と説明された。
そういうのって面倒くさいなあと、こちらは思ってしまうわけなのである。ここはこうしてくれと淡々と指示を出してくれれば、当然、こちらはそうするのに、どうしていちいち感情に訴えるような行動をするのかなあと疑問に感じてしまうのであるけれど、しかし、それが若松孝二が若松孝二である所以なのだろう。
若松孝二が冷静に青信号なんか待たず、適当に車道を横断しようとしたから車にはねられて死んじゃったわけであり、その死に様はまさに監督の生き様ではないか。
と偉そうに述べてみたけれど、実は若松作品を小生はほとんど見たことがない。監督、どうもすみません。先日も、若松初期作品上映会を新百合ヶ丘でやるぞとAさんからチラシをいただき、小生も見にいこうと思っていたのだけれど、結局行けなかった。
そういえば94、95年くらいのこと、ある集会で若松監督が話をした。記憶が定かでないが、30~50人くらいの規模で、集会の内容も映画とはまったく関係のないものである。しかし、そのテーマと監督は深い因縁があり、それで話をしたわけであるけれど、終わった後、当時公開間際の『エンドレス・ワルツ』(松竹)を参加者一人ひとりにていねいに配っていた姿を覚えている。
今も当時も、小生、映画業界のことなんてさっぱりわからないけれど、映画監督って自らこんなことまでするんだ、大変なんだなあと感じたことだけは覚えている。

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