風塵社的業務日誌

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ある入力原稿(不定期連載0011)

2022年07月20日 | 任侠伝
長らく中断していた下の原稿、ようやく刊行準備に入ることにした。これからまじめに仕事をしなければならない。(腹巻)

 肺を刺されて入院したときに、広田さんと一緒に見舞いに来てくれた女性洋子が、その後広田さんの家にも遊びに来るようになった。もしかすると前から来ていたが、俺が知らなかっただけかもしれない。広田さんの前の彼女で、二二歳という。家に出入りしていたので、俺も周りの人もみんな、まだ広田さんの彼女だと思っていた。それでも、一緒にお茶を飲みになど行っていた。
 彼女と知り合って一ヵ月くらいして、広田さんとは二年前にすでに別れていると聞かされた。それなら、なぜいまも広田さんの家に出入りしているのかと俺が聞くと、実家(親)と広田さんは金銭関係でつながっており、広田さんも実家によく来るとのことで、別れてからも妹のように可愛がってもらっていると言う。広田さんにはすでに別の彼女がいることを、洋子から初めて聞いた。
 洋子から前に何度か食事に誘われたが、それを断っていた。いま思えば別れていたからであるけれど、そのころは広田さんと付き合っていてなんで俺を誘うのだろうと疑問に感じていたものだった。俺の周りの人は、洋子は広田さんの彼女だとまだ思っていたけど、その話を聞いて洋子と食事など一緒に行くことになる。
 広田さんの取引先は上級な会社が多く、その会社のパーティや社交界などによく招待されていた。そのたびに洋子を誘って連れていこうとしたようだが、すでに別れていたので、洋子はパーティの誘いを断っていたと言う。しかし俺と付き合うようになり、俺と一緒ならパーティに出席すると広田さんに伝えたらしく、広田さんから直接パーティの誘いがきた。洋子と三回ほど行ったことがある。
 洋子と俺のことを、広田さんは前から知っていたと思う。広田さんのところにいる俺に洋子がよく電話をしてきたし、その電話を広田さん自身がよく取るのだから、気付かない方がおかしい。もしかすると、洋子が直接広田さんに伝えたのかもしれない。広田さんと別れていたにしても、広田さんはそのことを俺に直接なにも言ってこなかったし、なんの変化もなかったが、俺としてはなにも言わずにいるわけにもいかないので、広田さんに直接付き合ったいることを知らせた。
 広田さんはもちろん知っていた。そして、洋子とが広田さんが前に付き合っていたことを知っているし、俺は浮ついた気持ちではなく洋子のことを真剣に考えていると伝えた。広田さんから、「彼女の親とつながりがあるし、責任もあるので、親と会って話をし、ちゃんとした形を取ってほしい」と言われた。俺もゆくゆくはそうしようと考えているが、経済力、資金力がないこともあり、いますぐとはいかないとの思いから、親にすぐ会いに行くことは断った。
 この日を境に、こそこそ隠れて付き合う必要がなくなった。しかし、周りの人たちは俺たちのことを悪くは思ってもよく思うことはなく、広田さんのところで続けるわけにはいかない。テキヤに戻るか、ちゃんとしたカタギの仕事を探して働くか悩み、洋子にも相談する。洋子の親と会うのに、「テキヤをやってます」では世間体が悪くて言いずらいとの思いもあり、世間体のいいカタギの仕事をいろいろと探すこととなる。洋子も探してくれた。
 しかし、鉄工所や町工場などの仕事ばかりで客商売ではなく、どうしても俺には無理だと思う。そんなことで仕事など見つかるはずもなく、広田さんのところで手伝っていたのだが、そうこうして数日後、広田さんの兄貴分になる鎌田の親父さんの奥さんで、新橋で芸者をしている姐さんが突然、俺に「もう来なくていい。出てゆけ」との話をされる。
 おれはどうしてそんなことを言われるのかわからず、見当もつかないので、なぜそういうことを言うのかたずねると、「自分がやっていることをよく考えてみろ」と言われてしまう。考えても思い当たることがないので、「親父さんに聞いてみます」と出ていったのだが、しばらく考えたら、姐さんの面倒を見て身の回りのことをしているのは広田さんの若衆であった。
 広田さんの周りにいる人たちは、洋子が広田さんの彼女だとまだ思っており、姐さんも同じであった。その広田さんの彼女と俺が隠れて付き合っていると、姐さんに若衆がチンコロしたのだと思うようになった。姐さんにしてみれば、「広田さんに面倒見てもらっているのに、なんて不義理な男だ」と、俺のことを思ったにちがいない。鎌田の親父さんも、広田さんもすべて知っているのだが、姐さんだけ知らなかったのだ。そんなところに不義理な話を聞いてしまったため、「出ていけ」という話になったのだろう。俺が思うに、知らなければ、そう言っても仕方がない。
 そんなこんなで広田さんの家にもいづらくなり、急いで仕事と住むところを探すこととなる。新聞に載っていた上野池之端にあるキャバレー市松(ニュー市松、マンボで有名)という店のボーイ募集が目に入った。そしてすぐに面接に行くと上野界隈では一番大きな店であった。その日から働くこととなり、店での名前は泉となった。市松で面接したあと、お店に入る夜までしばらく時間があったので、洋子と会い、市松で働くことを伝えた。そして、住むところも広田さんのところから、当面は箸家の部屋を借りることを付け加えた。

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