風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

板橋大山へ(02)

2020年02月06日 | 出版
大山のハッピーロード商店街で書店を2軒定点観測しておく。やはり、書店のある商店街はいいものだ。両店にはこれからも末永くがんばっていただきたい。ただ、その1店は、棚の面出し商品を増やして在庫を減らしているような雰囲気があり、いささか気になった。在庫負担を軽減したいのはどの小売業にも共通の課題ではあるけれど、それを前面に押し出してしまうと、スカスカ感が漂ってしまい、逆効果も生じてしまう。品薄状態というものは客に選択肢のなさを示してしまうわけで、生活必需品ならまだしも、書籍や雑誌のような奢侈品(!)の場合は購買意欲をかきたたせなくなってしまう。雑貨店なんかも同じような構造にあると想像するが、客を選択という迷路に誘い込むことが勝負の鍵となる。
偉そうに書店業について講釈など述べるのは、そのへんにしておこう。そしてついでに、踏み切りを渡って北口の遊座(ゆうざ)大山商店街もブラついてみることにする。なんでも、その踏み切りも高架になるそうだ。東武東上線の踏み切りも高架になってくれると、ずいぶんと便利になることだろう。しかし、便利になれば地価も上昇してしまうのかな。ついでながら、西武線の椎名町駅も高架にしてくれないものだろうか。
まだ営業されているのかどうかを知らないが、その遊座商店街から1本駅側に入り込んだところに古書店があった。なかなか渋い品揃えのお店で、ずいぶん以前のこととなるが、そこにフラッと入って棚を眺めていたら、平岡正明さんの『あらゆる犯罪は革命的である』(現代評論社、1972年)が1冊、面出しで置かれていて仰天したものだった。実はいまだその本を読んでいないので、仰天して終りではなく、その場で購入して読んでおけばよかったなと反省してしまう。そこでなにを買ったのかは忘れてしまったけれど、別の本に関心がわいてしまい、それを購入したと思う。本との出会いというのも一期一会的なところがあり、ちょっとした気まぐれで一生すれちがってしまうこともあるのだろう。
その平岡さんとM翁とは折り合いが悪かった。20年くらい前になんだったかがあり、M翁をまじえて数人で酒を飲んでいたとき、「うちの近所の古本屋に、ぼくの本と平岡の本が並んで置かれていたんだよ。そうしたら、ぼくの本はすぐに売れてなくなっちゃったけど、平岡の本はまだ並んでいるぞ」と、これまたつまらない自慢話をM翁が始める。「それって、売れたんじゃなくて、店主に下げられただけじゃないんですか?」という問いが喉までこみ上げてきたものの、空気の読める小生がそれを口に出すわけがない。
話がそれてしまった。久しぶりに妻と遊座商店街をブラブラ歩いてみることにしたのであった。駅近くは、どうしてもチェーン系のお店ばかりとなってしまう。つまらない。少し歩けば、板橋区の文化会館がある。その日は、日舞かなんかの発表会があったようで、和服姿のオバハンたちが多数建物から出てくるところだった。小生はリズム感(ついでに音感も)がゼロなので、ヒップホップに限らず踊りやらダンスやらなどを強制されたら、それこそ地獄でしかない。
しかしもちろん、それをもって他者が楽しむことを否定するつもりなど、かけらもない。ご自由に楽しんでもらいたいというだけのことである。しかもオバハンら、関係する人たちにあいさつをしながら会場をあとにしつつも、その表情がどことなく楽しそうだ。自己表現の場でそれなりに満足のできるパフォーマンスができたという満足感に由来するものなのだろうか。いや、こうした小生の分析など的外れで意味などないのかもしれない。
オバハンらのことはさておき、遊座商店街を山手通りに向かってプラプラ歩いてみる。歩いているうちに腹が減ってきちゃった。その日の昼飯なんて、故あって素麺を2束ゆがいただけである。妻に「腹が減ったなあ」と伝えると、こいつは勝手に警戒モードに陥っている。つまりは、小生がどこかの店に入って酒を飲み始めるのではないか、という危惧を覚えたわけだろう。正直なところ、そうした欲求が小生のなかにないわけではない。しかし、飢えを覚えているのも事実ではある。
すると、ベトナム料理のバインミーのお店を発見。数ヶ月前、池袋で夫婦二人してバインミーを提供しているお店に入ったことがあり、妻は「初めてバインミーを食べた」と喜んでいたことを思い出した。バインミーなるものがなにかを、いまいち小生は理解していないし、肉の入っている食べものになど関心はわかない。しかし、ここはおのれの飢えを癒さざるをえない、という状況である。そのお店に入り、妻はバインミーを、小生はクレープの海鮮巻きのようなものを頼むことにした。さらには、ベトナムティーも一人分お願いしておくた。
その店内で一人で働く若い女性がどの国から来たのかは知らないが、東南アジア系なのは間違いない。しかも日本語を流暢に話す。学生のとき中国語の習得にシャラッと挫折した人間にしてみれば、シャラシャラと日本語をしゃべる外国人には、どうしても敬意が生じてしまう。ベトナム語でも、中国語なり朝鮮語でもなんでもいいのだけれど、他国の言葉を日常会話レベルで話すことって小生にはとても難しかったからだ。

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