風塵社的業務日誌

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塀の中の夢と希望

2010年03月19日 | 出版
極北の地にいる友人から手紙が届いた。困ったことに、夢想が肥大化し始めているようだ。それもこれも、住環境が悪すぎるのだろう。

 お元気ですか。
 3月15日現在当所ではまだ「大イヌのフグリ」が見つかりません。毎年大イヌのフグリを見つけたら春!と決めているのにです。過去5年間とは運動スペースが変わってしまって土手に遠くなったせいかもしれません。ちょっとさみしい。でもてんとう虫は2月24日に見つけました(向こうから飛んできてくれたのでした)。みんなのところに春は確実に近づいていますか。さあ「5・19」35年をどんな企画にするんだろうと楽しみに(人ごとみたいでゴメン)していたいけど、あまりにみんなの構想が大きすぎて、まとまりきらない様子、楽しみがますますデカくなっています。
 あの頃、35年先のことなんて考えたこともなかったように思う。K君は当時、「ワタシ30歳になったら引退させてもらって…」と言っていたけど、とても引退後の50代60代になってやることを考えていたとは思えない。どんな社会(世界)を作るのか、そのために今自分たちは何から始めるのかという発想よりも、今の社会(世界)をとにかく否定すること、変えるためにはまず今ある誤りをなくすことからという発想だったように思う。そんな闘い方の中には、自分たちの30年40年後の役割なんて入り込む余地もなかった。
 「これが必要なんだ」と思って担った闘争が、自分たちの予期したこととはまったく違う結果を呈して、「なぜなんだ」と問い返す時、それでも「必要なんだ」という一点は疑うことのない前提として、自分たちの技術や能力の問題と考えたり仲間(賛同者)を増やすことで克服しようとしていた。
 あとから参加した仲間と話した時、「当面は海外侵出企業を…」と言ったK君に「それでどうすんの?」と聞き返す人がいて、一瞬「ウッ!」という感じで次の語に長い間があったことがある。どうするんだろう?と私も思ったけど、当時そんなことは私の考えることではないと思っていたので、深くは考えなかったような気がする。新しい社会を作るのは、他の人たちの仕事、とにかく私たちは当面の…という、そんな自己規定が私たちの闘争の最大の欠陥としてあったと思っている。新しい社会を創り出すものとして、闘争を組み立てなかったこと。それを気付かせてくれたのは、獄内外で出会うことのできた友人たち・仲間たちの、ことに生活・人生をかかえた生きざま・闘いざまそのものからだった。
 先日受刑仲間と話している時、年度末職員の交替の話になって、必然的に職員への評価的な発言が相次いだ。その中でアッ!と思わされたのは、みんなからあまり評判のよくないある幹部職員について仲間の一人が、「あの先生は絶対に私たちを励まして、前に押し出すような話はしないから。私たちのことを何か言うときは必ず、否定形でしか言わないから。あの人の訓示とか聞くと、自分のことも周りのことも、もっと嫌いになるだけ」というようなことを言っていた。
 いくら「正しい」ことを言われても、今を、自分を否定されるだけでは、人は前へ進めないし、希望は持てないし、「正しさ」を支持できはしないのだと思う。仲間たちは、「そう。あの先生だと〝やってられるか〟〝グレてやる〟って気分にさせられること多いよね」と笑い合っていたが、きっと社会をかえる仕方も子育てと同じなんだって、一緒に「そう。私もさんざんグレてる。懲罰3回だよ」と言い合って笑いながら考えていた。まず今あるいいところを伸ばしてやろう。
 そんな、ますますグレたくなるような職員(一部です)の「指導」を受けるたびに、刑務所が決して人が同じ誤りをくり返すことを防止するための機能を有する場ではないことを日々実感させられています。前便で、仲間たちの生活(仕事・活動)現場の実情をいっぱい知りたいと書きましたが、このところ私は、「刑を終えて、社会に戻ったけど…」と立ち往生せざるをえない人々が再び刑務所に追いやられたり、刑務所に「逃げ出したり」する必要がないように、一人では生きずらくても、束になれば共にであれば生き抜ける、そんな居場所をこの社会の中に生み出すことはできないものかと本気で考え、知恵と力をできることからの協力をお願いしまくっています。残る刑期をその準備期間として、可能な学習を意識的に進めたいと考えています。
 なんせこの国のシャバとは35年(出所時は42年になる)も無縁な今浦島です。まず自分の足の置き場、息の仕方を見つけることからの大仕事になるのははっきりしているのですが、何回も何回も刑務所とシャバを往復して人生をやっている仲間たちの中で、一緒に仕事をしていると、この仲間たちに落ち着いた居場所や仕事を提供し得ない社会がおかしい。ならば自分たちで力を合わせてそれを作るっきゃあないんだという気持にならざるをえません。これだけの人材を、なぜこの社会は生かせないのか、と。
 これも35年、あの誤りのゆえに見え始めたことのささやかな一つだろうと思っています。つながり合って、私たちは世界を少しは広げ育てているのでしょうか。そうできる一つのステップをまた、今年いっしょに踏み切りたいものです。
 M君の体調が心配です。Sさんの腫瘍マーカーもまた上がっているという報告です。東拘の日照も外気も自然の生気にふれることもない住環境が長期に収容されている仲間たちの心身をむしばんでいることはだれが考えても事実です。健康志向のこの国であのような居住建築が権的であることを科学的に追及し、告発し、改善させる取り組みはできないものでしょうか。長期在監者の心身状況の一つひとつが、このような施設に人を閉じ込めるのは殺人行為であることの貴重な「人体実験データ」だと思うのですが。
 春を、なんとか吸い取って、健康を少しでも取り戻してそれなりの病気とは上手に付き合って元気でいきましょう。共に!


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