風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

吾野へ(3)

2018年09月25日 | 出版
嗚呼、カネがねえ。今月をどうしのごうかなあと思っているうちに日数も詰まってきた。首を絞められていくような気分だ。そしてまた、そんなことはわかっていたけれど、そのどうしようもなさから逃げ出すため、西武秩父線に乗り込んだのであった。それにしても、困ったなあ。どうしたものか。実は、今月の支払を来月に引き伸ばそうかという作戦を考えてはいたのだけれども、その来月の支払もたいしたことがないことが判明。そこで打つ手が見つからないのである。
それはともかく、蝉の鳴き声のうるさいなか、岩殿観音へと登っていく。10分だったか、15分だったか登ると、滝の表示のあるところに出た。滝、これが?という感じで、岩の間をちょろちょろ水が落ちているような落ちていないような、滝と呼ぶにはあまりにもダイナミックさに欠けるかなあというのが、正直な印象である。その脇には大きな岩があり、そこには絵がなにやら彫られているようだ。それが、「弘法の爪書き不動」と表示が出ている。空海からずっと時代が下ってからの作であることにまちがいない。しかしそれを、空海に強引に結び付けてしまう怖いもの知らずさが面白い。そのうえ、下にあったお寺は曹洞宗なので、真言密教なんて仏敵でしかないのではなかろうか。それはともかく、なんの絵かしげしげと眺めたのではあるけれど、岩の欠けているところもあったりして、絵の輪郭すらよくわからなかった。
それじゃあしょうがない。さらに上に登っていくことにしよう。再び開けたところに出ると、大きな岩に張り付くように朱塗りのお堂がある。これが目指す岩殿観音のようだ。「中に入る人は左側の戸を開けて入ってください。自動的に電気が点きます」のようなことが書かれた看板がある。ならば入ってみようかとそのお堂の名前を見上げたら、懺悔室なる文字が目に飛び込んできた。世の中に懺悔したい相手は山ほどいるが、観音さんごときに懺悔などする意思はない。アホらしくなり一服タイムとする。その観音堂に向かって右側は、どこかのセメント会社の敷地につながっている。その日は休日なので、大きなトラックやらが整然と並んでいた。そこの会社の社員の方は、観音さんに懺悔などしないことだろう。
さらに上に登る道があるので進んでいくことにした。そこまで結構な傾斜であったから、すでに汗でグッショリだ。しばらく歩くと小さな祠のあるところに出た。観音堂の奥の院なのかななどと、勝手に理解することにする。その奥に道らしきものが、あるようなないような判断のつかない感じだ。それならば、猛進してみよう。道なきところに道を作る。魯迅も、高村光太郎もそんなようなことを語っていたではないか。ああ、高村光太郎で思い出した。その昔、かなり恥ずかしい経験がある。高村光太郎のお墓(染井霊園)の前で『智恵子抄』の「東京に空がない……」という有名な詩を朗読しろと、某TV番組の某ディレクターに命令されたのだ。
それは春先のことだったか、まだ肌寒い季節で小生はジャンパーを着ていた。その内ポケットになぜか『智恵子抄』(新潮文庫)が入っていて、おもむろにそれを取り出してから墓前で朗読しろという、あまりにもあざとい演出を某ディレクターが要求してきている。そんなことを拒絶する権利はなくもないけれど、弊社の本をPRしたいというあさましい根性はこちらにもたっぷりある。しかし、慣れていない者にしてみると、カメラを前に自然に振るまおうとすること自体が難しい。どうしても緊張してしまうのだ。
そしてtake01、ジャンパーの内側に手を入れようとしたら、そこに設置していたマイクのコードに指が引っかかってしまいNG。take02、事前にジャンパーのジッパーをかなり下げておいたのに、文庫本を取り出そうとしたら、再びマイクに指が引っかかってまたNG。そしてtake03、うまく文庫本を取り出したところまではよかったのに、緊張のあまり落としてしまった。嗚呼、我ながら情けない。こりゃあかんと、隣にいる妻に朗読をお願いするはめになる。するとディレクター、「ああそうですねえ、奥さんの方が絶対にいいですよ」なんてチャラけた感じの対応で、朗読するのを妻にバトンタッチすることにした。
すると妻は、ジャンパーの外ポケットだったかに文庫本をしのばせているという演出だったのかな、さらっと本を取り出して「あどけない話」を読み始めた。そして、シャラシャラとカメラの前で読み終えやがる。なんだよ、だったら最初からこいつにやられせればよかやんというのが小生の気分だ。すると、それを脇で見ていた有名歌手のTさんが、「おたくの奥さんすごいですねえ。全然噛まずに最後まで朗読しちゃいましたよ」と小生にささやく。これには赤面と同時にお礼をTさんに述べるしかなかったという記憶がある。いま思うに、小生ならどうせ失敗するに決まっているから、妻にどうやって話を振ろうかというディレクターの作戦だったにちがいない。
いかん、また回想モードに入っている。そこで、道なき道を突破しようとしたつもりであった。といって、さほどのことでもないように思っている。数メートル先に開けた感じがあるからだ。しかし、枝をかいくぐったりまたいだりしてその数メートル先まで進んでみると、眼下に広がるのはなんと石灰岩の巨大な採掘場であった。先ほどの会社の仕事場であったわけだ。これではスゴスゴと撤退するしかない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿